829−2. 日本のジャーナリズム



日本のジャーナリズム             ishizuka

数ヶ月ぶりに中国から日本に一ヶ月ほど帰国して、テレビなど
をぼんやり見ていて感じたのはやはり進歩と見識の無い日本の
マスコミのことです。

その一つにはスポーツマスコミのソルトレイクオリンピックの
報道です。
なんだか訳のわからないタレントとか冬季の種目とは関係の
ないスポーツ出身者をキャスター代わりに派遣して、訳の分か
らない報道に終始したり、(特に松岡修造のものは酷かった)
若さと容貌だけがとりえの女子アナに報道させたり、競技を台
無しにしかねないピント外れの解説をしたり、彼らがオリンピ
ックを冒涜しているような印象さえ受けた人も少なくないので
はないでしょうか?

二十歳そこそこの競技の経験どころかアナウンサーの入社試験
以外にたいした経験も殆ど無いような女子アナに世界のトップ
アスリートたちが、しのぎを削って争うオリンピックの舞台に
何かを付け加えて報道することが出来ると考えて、テレビ局は
キャスターを選定しているのでしょうか?(そんな中で長島カ
ズシゲは
気をはいていたように見ましたが)

スポーツの報道は出来ればそのスポーツの経験のある人で、
きちんと取材、解説の出来る人がやるべきだなのは言うまでも
無く当たり前だと思う。日本のマスコミはなんでそんな当たり
前のことが出来ないのでしょうか?解説の良し悪しによって、
競技の報道を台無しにすることもできるし、芸術品にまで高め
るとも
できるはずだ。人選はキチンとやってい欲しかった。

もう一つは私も再三前から指摘していたことですが、日本の政
治報道の酷さです。

小泉内閣の支持率が80%台から40%台に落ちたことについて、
なんらろくな分析もせずに「下がった下がった」とそれだけ報
道しているのは、救いようが無いとしか言い様がありません。
あがった時に「上がった上がった」といって下がった時に
「下がった下がった」では、自分でバブルに火をつけて、自分
で水をかけているのと同じです。自分でバブルを煽っておいて
、後でなにかあれば、それを叩き落して、その落差が大衆の気
晴らしになり、視聴率や発行部数を稼ぐというのはレベルが低
すぎます。こう言った報道は非常に危険ですし、歴史的に考え
ても
評価できません。

例えば日露戦争講和締結の時の小村寿太郎、
下って国際連盟を脱退してしまった時の松岡洋右への報道。
小村はそれこそ国賊のように、マスコミと大衆から扱われ、
後に日比谷事件が起こりました。一方
松岡は英雄として扱われました。しかし、歴史的な評価は
マスコミ、大衆のその時点の評価と逆です。

先進国で支持率が80%とか90%を
超えるというのは以上なのは分かり切っているはずで、80%と
いうほうがおかしくて、良くても50%前後というのが普通であ
るという事実を報道が初めからリードすべきだったのではない
でしょうか?

社民党の辻本氏が「昔は総理、総理と追及するとおまえなんや
ねんといわれたのに、今総理総理と追及するともっと突っ込め
といわれる。いったい世論てなんやねんと思う」というのが印
象に残りました。
大衆の低俗な欲望を日本のマスコミが、気晴らしとして煽って
しまうのでは、アングロサクソンのマスコミなどと比べてやは
り
レベルが50年間、進歩していないいわざるを得ないでしょう。

今国益にとって一番不利益なのは、不良債権の処理やデフレの
処理の遅れではなく、首相を短期間でころころ変えることだと
つくづく思う。1,2年で首相がころころ変わるのは日本にとっ
てもっとも望ましくないことで、それではどんな優秀な人でも
真価を発揮できるわけはありません。日本にもっとも必要なの
はリーダーシップであるはずです。日本のマスコミのリードと
見識を期待します。


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