826−21.反米・親米 保守派のねじれ



反米・親米 保守派のねじれ 米中 枢同時テロ 
沖縄県石垣島(じま)より 
 
 只今小生は、平成9年5月6日に西村眞悟衆議院議員と共に中共
が領有権を主張してゐる尖閣諸島に上陸した仲間均(なかま・ひと
し)石垣市議会議員の石垣市長選挙出馬のため、西村眞悟事務所よ
り派遣され当地に滞在してをります。
 
 2月24日(日)告示され、3月3日(日)投開票日です。4日
(月)に帰還します。滞在12日間です。4候補による激戦です。

本日は2・26事件の日です。
昭和11年、2.26事件が発生しました。
陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造
を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸などを襲撃しました。
内大臣・大蔵大臣などが殺害され、永田町一帯が占拠されました。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとって
いましたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので
、29日に鎮圧を開始しました。飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビ
ラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ち
に抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけ
るラジオ放送を行ないました。形勢が不利になったと判断した将校
たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日
のうちに鎮定されました。 

咸臨丸の日
1860(万延元)年、幕府が派遣した使節団が、咸臨丸による37日間の
太平洋横断航海を終えてサンフランシスコに到着しました。

忌日
昭和11年 高橋是清(首相(20代),蔵相)<81歳> 2.26事件で殺害
昭和11年 渡辺錠太郎(陸軍教育総監) 2.26事件で殺害
昭和11年 齋藤實(首相(30代),海軍大将)<77歳> 2.26事件で殺害
昭和11年 松尾伝蔵(陸軍大佐,岡田啓介首相の義弟)2.26事件で
          首相と誤認され殺害

★★★産経新聞2・21
■正論 埼玉大学教授 長谷川 三千子
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論争をでっち上げるなかれ
日米関係の逆説見つめることが大事
≪問題の根本に複雑なねじれ≫

 昨年の同時多発テロ事件をきつかけとして、日米関係をどう構想
してゆくかといふことがあらためて問題になつてゐる。『正論』三
月号には西尾幹二氏と田久保忠衛氏が、西部邁氏、小林よしのり氏
や私の論に対する批判を寄せられ、小林氏の『戦争論2』をめぐる
シンポジウムでも、あらためて意見の相違が浮かび上がるといふ格
好となつた。

これを見て「大論争に発展するのは必至」と期待する方もあらう。
しかし、この問題はもともと「論争」とはなりえない性質のもので
あり、また無理に「論争」に仕立て上げたりしてはならない性質の
ものである。といふのも、この問題の根本には或る複雑なねじれが
ひそんでおり、そのねじれの構造に多くの方向から光をあててゆく
ことこそが大切なのだからである。

 もつともいけないのは、二月十二日付(即売版)の産経新聞「主張
」に見られるやうな粗雑な議論でことを片付けようとすることであ
る。それによれば、このところ「米国は日本に原爆を落としたから
テロ攻撃を受けても当然だ」とか「米国は日本に東京裁判史観を押
しつけたから、日本は米国のテロ撲滅に協力するな」といつた暴論
を吐く「自称保守派」がゐて困るといふのであるが、もちろんこん
なことを言つてゐる人はどこにもゐない。少なくともいまここに名
を挙げた人々は、日本がテロと戦ふべきであるといふことについて
も、日米同盟の維持が現在もつとも現実的な選択であることについ
ても、まつたく同意見である。

≪「独立国」の気概どう取り戻す≫
 また、その場合の日米同盟はあくまでも独立国と独立国の同盟で
なければならず、間違つても「属国関係」となつてはならないこと
。にもかかわらず、今の日本には独立国、主権国家としての気概が
、絶望的なまでに欠けてゐること−かうした点についても、完全に
意見が一致してゐる。ただ、それでは今後どうやつて独立国として
の気概を取り戻したらよいのか、といふことになると、それぞれ各
人各様の見方がある。それが外からは「意見の対立」と見えるにす
ぎないのである。

 私自身は、この一見すると何でもなささうな〈「独立国」として
の気概を取り戻す〉といふことが、実はなかなか容易ならぬ課題で
あると考へてゐる。本来ならば、昭和二十七年四月二十八日、サン
フランシスコ講和条約の発効によつて主権が回復された時点で、
日本はふたたび「独立国」に戻つたのであるから、その後の日本人
はそれにふさはしく振舞つて当然のはずである。ところが、その後
五十年たつた今もなほ(あの不審船引上げ問題を見てもわかるとほり
)日本は独立国として振舞つてゐない。せつかく取り戻したはずの国
家主権を持ちぐされにしてゐる。まことにもどかしい限りであるが
、ここには、なにか国民の心がけ一つではどうにもならない、ほと
んど「構造的」な問題がひそんでゐるやうに思はれるのである。

≪「肝だめし」になったテロ事件≫
 実は、よく見ると、まさに日本の主権回復を承認した、あの講和
条約そのものの内にも、問題の根がひそんでゐる。たとへば第十一
条には「日本国は、極東軍事裁判所…の裁判を受諾し」とある。
もちろんこれは、日本を一方的に侵略者ときめつけるその判決をう
呑みにする、といふことではない。しかし、ひとたびあの不公正き
はまりない東京裁判を「受諾」してしまつたら、その不当性をあば
き出し、無効を宣言するといふ道は封じられ、「日本は悪い戦争を
した」といふ呪文が日本人を縛りつづけるといふことになつてしま
ふ。

 また第十九条には、「日本国は、占領期間中に占領当局の指令に
基いて」行はれた「すべての作為又は不作為の効力を承認し」とい
ふ文言がある。もしこれを素直に受け取れば、GHQの憲法作成も
、占領中の検閲−英米中ソその他の連合国に対する一切の批判を封
じた検閲−も、すべて有難く頂戴すべきであるといふことになる。
これでは独立国としての気概を養ふどころの騒ぎではない。

 一口に言へば、戦後のわれわれに独立を与へてくれたその当のも
のが、われわれの独立を損つてきたのである。この逆説にたち向ふ
のは、思想的な意味でも実際的な意味でも、たいへんな冒険である
。しかしその冒険をくぐり抜けないと、われわれは真の独立を手に
することはできない−昨年のテロ事件は、いはばわれわれにとつて
の「肝だめし」であつたと言へよう。(はせがわ みちこ)

産経新聞2・22
■正論 杏林大学社会科学部長 田久保忠衛
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保守派には親米も反米もない
喧嘩両成敗のような発言は慎むべし

≪テロと米国同列に置けるか≫
 先日都内で開かれたシンポジウムに討論者として出席した。「親
米保守派」と「反米保守派」の大論争などと囃し立てる人がいて気
にしながら壇上に立ったが、私の気持ちは終始変わっていない。
そこでの発言内容を以下に述べる。

 先ず、テロはおかしいが、さりとて米国にも攻撃される理由があ
るとのテロと米国を同列に置いた議論には事実の誤認がある。ニュ
ーヨーク・タイムズ紙のトム・フリードマン記者がつとに指摘した
ことだが、米国を襲った今回のテロリストには二十年間にわたる大
きな流れがある。八二年二月にシリアのハフェズ・アサド大統領が
イスラム過激派に政権を打倒するとの脅迫を受けた。シリア第四の
市ハマにテロリストがいるのを突きとめたアサドは精強な軍隊で周
囲を包囲し、数日間にわたって猛烈な砲撃を止めず、テロリストを
市民もろとも皆殺しにしてしまった。

 シリア政府は一般市民千人が巻き添えになったと公表したが、
アムネスティ・インターナショナルは一万人から二万五千人が犠牲
になったと述べている。冷酷非情なアサドは死体と瓦礫をブルドー
ザーで平らにし、コンクリートを流し込んでいくつかの広大な駐車
場にした。以後過激派によるシリア恫喝(どうかつ)はなくなった。
この「ハマの掟(おきて)」をエジプト、アルジェリア、チュニジア
の指導者が次々に実行した。テロリストは自由な活動ができるとこ
ろに散った。一つはアフガニスタン、二つはレバノンのベカー平原
、三つは欧米の民主主義諸国である。

≪テロ根絶できない裏の理由≫
 これらテロリストの背景には貧困があるといわれている。が、
貧困が直接結び付いている証拠を見つけようとしても、それは難し
い。パレスチナとイスラエルの対立が根本にあるとの指摘もある。
テロの首魁(しゅかい)で富豪ビンラーディンの母親がパレスチナ人
であるからそういうこともあろうが、これまた直接的には関連しな
いと思う。テロリストを根絶やしにできない最大の理由は中東の腐
敗政権が建前では米国との協力を言い、裏で政権維持のため危険な
グループに様々な支援をしているからであろう。

 ブッシュ大統領は年頭の一般教書の中で、北朝鮮、イラク、イラ
ンの三カ国を「悪の枢軸」と名指しした。欧州諸国から反発が出た
との日本の新聞報道を読んで調べてみたが、「米政府は事前に相談
せずに単独行動主義に走らないでほしい」との忠告で、この三カ国
がテロ支援国家ではないとか、ましてや「枢軸」という表現が怪し
からんと文句をつけたものではない。

≪感情より冷静な計算優先を≫
 テロは米国だけを標的にしたのではなく、自由・民主主義体制に
直接攻撃を加えてきたのだ。この体制の恩恵をたっぷり受けている
言論機関、政治家、言論人があたかもアンパイアのような態度で「
テロも悪いが米国も悪い」など喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
のような発言、主張をするのは慎むべきではないのか。テロや流血
の革命時代を経て、われわれは一定のルールに基づいて意見を表明
し、それを実現できる民主主義体制を苦労してつくり上げてきたの
ではないか。言論、集会、結社の自由を簡単に否定する勢力の存在
は認められない。

 米国怪しからぬ、の批判は日本にあるし、米国にも日本はおかし
いとの不満があるのは当然であり、自由な国家間で互いにやり合え
ばいい。日本側には米国の単独行動主義やグローバリゼーションへ
の不満、東京裁判史観、日本国憲法、教育基本法の押し付け、広島
、長崎への原爆投下などへの怨みが存在する。単独行動主義とか
グローバリゼーション批判は世界中にあるが、だからといってテロ
リストの肩を持とうとの議論は正常ではない。テロと米国批判は理
屈の上で全く関係がない。憲法、教育基本法を改めるのは戦後五十
七年も経(た)った現在のわれわれの仕事だ。東京裁判で「日本無罪
論」を述べたのはインドのパル判事であり、「日本は原爆に対して
報復する権利を持つ」とウェッブ裁判長に食ってかかったのは米国
のブレークニー弁護士であった。

 反米感情があるからとて、これを対米政策に転化するわけにはい
かない。国益を守り、国際社会の中で生きていくには冷静な計算が
優先する。感情はときには有害だ。ブレジンスキー元大統領補佐官
に「日本は米国の事実上の被保護国だ」と言われて反発を感じるの
であれば、その地位から早く脱却しなければならない。ここの努力
を怠っての対米批判は空威張りに終わる。こう考えれば保守派には
親米も反米もないはずだ。(たくぼ ただえ)

世界日報2・24
■【論壇時評】保守派の複雑なねじれ現象 
昨年九月十一日に起きた米同時多発テロ以後の論壇を眺めていて、
ずっと気になっていたことがあった。それはこのテロ問題で、いわ
ゆる保守派といわれる知識・文化人の容赦のない対米批判である。 
 小欄でも紹介したことがあるが、評論家・福田和也氏の、テロ側
を「文明秩序の破壊者」と非難しつつも、米国の対アフガン攻撃に
も「野蛮と直面せざるを得なくなった文明が、自ら野蛮化していく
過程」(「正論」昨年11月号)と断ずるなどは、その一例だ。 

 もちろん、そのトーンに個人差はあるが、こうした大規模なテロ
を受ける要素が米国の政策、路線にもあったとし、また対アフガニ
スタン軍事攻撃にも極めて冷ややかなスタンスをとっているのが特
徴といえる。テロも悪いが、受けた側にもそれなりの理由があるで
はないかという主張ともとれるのだ。 

 確かに、冷戦終結後、米ソ二大陣営のイデオロギー対決の呪縛(
じゅばく)が解け、民族・宗教紛争や地域紛争が噴出する一方で、
論壇では言論・思想の多様化となって現れている。その過程で、
保守対左翼、あるいはリベラルという図式が崩壊してしまったこと
は承知している。まさに“パンドラの箱”が開き、何でもありの状
況と化したのだ。 

 冷戦時、対ソ連・対共産主義戦線でほぼ足並みをそろえていた感
のあった保守論壇はすっかり影を潜め、多極化分極化が著しい。
しかも、テーマによっては保守派同士がいがみ合うといったケース
もまれではない。 

 これこそが自由闊達(かったつ)な言論だといえばそれまでだが
、多様化した言論はいいとしても、今回のような対テロ問題という
、わが国にとっても国家安全保障上、重要な岐路にあたっての対応
で、保守派のねじれをどうとらえればよいのか。 

 そんな思いでいるときに、二つの論が目に入った。「Voice
」三月号の長谷川三千子氏「対米支援ごっこの居心地の悪さ」であ
り、「正論」三月号の西尾幹二氏「保守派の反米主義に異議あり」
である。 

 長谷川氏の論は、テロ後の米国を支持し、支援する保守派知識人
を念頭に置いていることは明らかだ。例えば東京裁判の「正義」を
欺瞞(ぎまん)と批判する保守派が、同じ「正義」に基づき行われ
る米国の戦争を称賛の対象にしている、と指摘している。 

 もちろん、長谷川氏とて現実的な国家戦略として当分は、米国の
パートナーであるとの姿勢を崩すわけにはいかない事情に対しては
「理解」を示しているが、それでも「国家のあり方として、それだ
けですむのか」という点に、日本人にとって大きな問題が残ってい
ると主張するのだ。 

 つまり、同氏の言う「居心地の悪さ」というのは、「結局のとこ
ろ、戦後日本の背骨が溶けたようなあり方は、アメリカという非常
に強大な物量に叩きのめされて、しかも叩きのめされたままでいる
ことから生まれてくるものです。その意識が、日本人が胸を張って
自分の判断で生きることを不可能にしてきたわけです」というもの
だ。 

 一方、西尾氏は、米国の対テロ戦に批判的言辞を繰り返す保守派
に対して名指しでナデ斬りにしている。その中に氏の盟友でもある
長谷川氏が含まれていることも、そうした保守論壇の混迷(?)を
うかがわせる。それぞれに批判的論点はあるが、「テロと先の大戦
とを時代の相違を無視して、無媒介に並べて比較し、強者アメリカ
に対決した弱者日本、ないし被害者日本を過激派の側に置く位置づ
けは、今回一斉に発言している保守系の日本の論客たちのほとんど
全員に共通しているスタンディングポイントでもある」という。 

 だが、西尾氏の米国支持論も、あれだけの攻撃を受けて何も報復
しなかったら、「米国は腰骨を折られて起ち上れない今の日本と同
じタイプの国家になってしまう」と述べているように、親米的動機
からではなさそうだ。つまり、拉致(らち)問題一つをとってみて
もコメ支援に擦り寄る以外手を持たない日本に対する怒りの対極と
して、米国を見ているのである。いわば、国家主義的スタンスから
、米国の対応を支持しているともいえよう。 

 長谷川氏の、保守としての一貫性を貫く姿勢には共感するが、
そのことと国家の現実的対応策との乖離(かいり)が気になるとこ
ろだ。中東政策など米国への自省を促す分析や論自体も「反米」と
して切り捨てる西尾氏の主張にも、「居心地の悪さ」を感じるので
ある。 
以上 
図越

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