821−2.日本の構造変化について



構造改革が必要であるという前提条件の日本の構造的な変化を検討
しよう。この検討なしには、どう構造改革していいのかわからない。
                   Fより

このコラムを読んでいただいている方たちは、ある程度、Fの主張
がご理解いただいていると思うが、日本の構造変化が起きていて、
その構造変化によって、日本の仕組みを改造する必要に迫られてい
るのだ。

デフレの原因は、中国製品が安く、日本企業の多くも中国での生産
になっているためで、中国の人件費が安いため、製品を安く出来る。
もし、この中国産の安い商品に日本産の商品が対抗しようとすれば、
無人工場か人件費のDOWNしかない。このため、効果的なデフレ
対策はないのです。それを政府の政策が悪いために起こっていると
言うのは、評論家の勉強不足でしかない。また、それを国民は信用
するから、評論家もそれでいいと思ってしまう。真の原因を追求し
なくなる。

中国の出現により、工業国家としての日本は終焉となり、知的創造
国家(知価社会、知価国家)になるしかないのです。しかし、工業
国家として必要とした規則や法が、知的創造国家には合わないので
す。会社はいち早く、背広からカジュアルへ。勤務時間のフレキシ
ブル化などの施策を行うが、この理由をあまり考えなかった。
知価社会では、各個人の創造的な能力を最高に発揮してもらう必要
があり、この能力を企業は買うことになる。しかし、個人の創造的
な能力はどうすれば、着ける事ができて、かつその能力を最高に発
揮してもらえるのでしょうか?

その国家的な役割と、企業の役割を分けて考えることが重要です。
創造の方向は、ユーザや消費者の利便性の向上であり、国家として
は大きなコンセプトを提示することが必要であろう。戦後から85
年までは、国家がそのようなあるべき姿を示していた。80年代に、
日本株式会社を諸外国から非難されて、その姿勢を変化させたが、
逆に欧米では、昔の通産省の役割を真似している。もう一度、日本
再生のため、政府と民間が協力して、日本の企業・国家としての具
体的な目標を設定するべきでしょうね。日本の力はまだまだ、強い
ため、今なら企業再生は間に合う。

知的生産国家として、個人の創造的能力を着ける必要があり、この
中でもコンセプト・メイキングや将来の社会を想像できる能力は、
多くの人が身につけえることが必要である。このためには巨視的な
視野を持つことが重要なのです。この巨視的能力を着けるには、
歴史的な変化の根源を知ることであり、論語などの確固とした思想
的背景を必要をしているのです。ユダヤ人たちの発想は、そのユダ
ヤ教の厳しい戒律から出てくるようだ。思想的な背景が無いと、効
果的な発想が出ないのかもしれない。現代日本の発想の無さは、あ
まりにも思想的な素養がないためではにでしょうか?

この意味するところは、教養と技術がないと、創造的なことができ
ないことを意味する。戦後の発展は、戦前の論語などの思想教育と
戦後入ってきた米国の技術が融合して、日本の多彩な工業製品を生
み出したような気がする。このように考えると、歴史教育と論語な
どの教育は再度必要になっているようだ。

発想が豊かであっても、社会を構成する個人や企業が、虚偽の商品
や他人との契約を守らない社会は、社会的な効率を悪くしてしまう。
人口減少する日本で、かつ労働人口が減少するため、高信頼性国家
にする必要がある。雪印食品を倒産させるのは当たり前であるし、
スターゼンも倒産させるべきである。高信頼性社会を日本は必要を
している。この反面教師が中国で、契約が途中で反故になることが
あり、安定的に付き合うのが難しい。信頼性がない分、大きな利幅
がないと、短期回収ができない。

人口減少社会は、老人層が多くなるため、文化的な面での充実や、
政治的な面での高度化が可能である。時間がある人が増えるのです
から。北欧の政策と同じような福祉政策を行う必要が出てきている
ような気がする。ここでも文明の時間差を感じるが??

政治の方法も変化している。国家権力の源泉は情報の独占でしたが
、現在インターネットにより、誰でも情報を取得できるようになり
、情報の独占が国家ができないようになった。このため、国家指導
というのは、できなくなっている。外務省の海外大使館での日本国
民へのサービスが最低であることも、このコラム等で暴露されるな
ど、報道機関を抑えても、民間団体や個人のWEBサイトまでは、
抑えることができない。
今後、国家は国民の意見や国民の要望と国家が持つ専門家の意見を
開示して、同意形成に持っていくしかないように感じる。国家権力
から国民権力にシフトするべきであろう。より日本にとっていい政
策を志向するべきである。

日本の取り巻く環境は、普通の国家になることを促している。安全
保障上も一国平和主義は許されない。集団安保も検討するべきだと
思う。


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