806−1. 異文化交流術



文化・異文化について考察を加えてみました。お時間のあるかたは
、どうか感想なり御批判をお送りください。

異文化交流術(1) 異文化は楽しい
・ 簡単な自己紹介:つくられていった自分
 1993年から1997年にかけて、ロンドンをベースにして宇宙専門商
社の駐在員をしていたときに、親しくなった英国やフランスの技術
者たちとよく文化を巡って議論した。
お互いの考え方には違いがあることをわかってもらったほうが、仕
事がしやすかったので、できるだけ相手が、文化の違いを実感でき
るように単純明快にズバズバと発言した。

「その考え方は、イギリスでは正しいけど、日本では通用しないよ
。なぜなら日本は○○だからね」と何度も助言した。「フランスと
日本の文化は違わない。(ここで相手がほっとする表情となったと
ころを見計らって)反対なんだ。(not different, と言ってから少
し間を取ってbut oppositeという)」、すると相手は「おー、違うっ
てのはわかるけど、反対ってのは想像もつかない」となんだか煙に
まかれたような顔になるが、こちらの助言にわりとよく耳を貸して
くれるようになる。こうして双方の文化の違いをむしろ自分の武器
にして仕事を進めることを楽しんだ。

 私は1986年5月に当時勤務していた会社の語学留学生として生まれ
てはじめてパリの地を踏んだのだが、東京からパリに向かう機中で
機内食がまったくのどを通らなかったことを今でも覚えている。
食事の時間に、隣の乳業メーカーの技術者とおしゃべりをしていた
のだが、自分の皿がちっとも片付かないことに気づいて、「それに
しても全然食欲がわかない」と言ったら、「ホームシック。緊張し
ているんですよ」と教えてもらった。それほどまでに自分が緊張し
ていることに気づいていなかったのだ。

 語学研修は、中部フランスのヴィシーと南フランス・モンペリエ
で約1年続いた。
その後、東京で4年間勤務したのち、外務省のアソシエート・エキ
スパートとして、1991年から1993年までパリのユネスコ(国際連合教
育科学文化機関)で二年間勤務した。
国連幻想を持っていた戦後民主主義世代にとっては、それまで信じ
ていたものがガラガラと崩れ落ちるような体験だった。でもそのお
かげで岡倉天心の「茶の本」や内村鑑三の「代表的日本人」といっ
た日本の思想を外国人向けに紹介する本にすがるようにして出会い
、新たな自己形成をはじめたのだった。

「茶の本」も「代表的日本人」も著者自身が外国人に日本を紹介す
るために英語で書いた本である。それが20世紀末に海外で自己喪失
寸前となったひとりの日本人を救ったのだから、本というものは実
にありがたい。

 これらの経験を踏まえて、ロンドンでの駐在員時代には、ヨーロ
ッパの一神教徒の合理主義者たち(monotheiste cartesian)と、東ア
ジア多神教社会の非合理主義者たちの考え方の違いを、相対化して
捉えられるまでに成長していたと思う。文化の違いを楽しみながら
仕事をできるようになるまでには、それなりに時間をかけ、修羅場
をかいくぐってきたのだとしみじみ思う。

・ 文化は行動のプログラム
 文化の違いといっても、なかなか実感がわかない方もおられるだ
ろう。むずかしく考える必要はない。単に同じ条件においても取る
行動が違うと思えばいい。同じ状況下で考えることが違うのだ。

 たとえば、目の前にドアがあるとする。取っ手はついているが、
押すのか引くのか書いていない。この時に、多くの日本人は引くの
ではないか。それに対してヨーロッパ人の多くは押すであろう。

 こんなことがあった。ロンドンのピカデリーサーカスの近くの
寿司屋にイギリス人の技術者と行った時のことだ。彼とはいっしょ
に東京にも行き、うどん、串揚げ、魚の活き造り、くじら料理、し
し鍋と、いろんなものを食べた。その寿司屋でも彼は私のすすめる
ものなら何でも試した。だから、鰻の握りも、素直に受け入れた。

 鰻の握り一巻といっしょに、竹づつに入った山椒粉が出てきた。
直径3cm、長さ12ー3cmの竹づつの下のほうに、穴があって
そこから山椒を振り出すタイプ。この穴には竹ひごの栓がしてあり
、使うときには栓を抜く仕組みだ。彼が「これどうやって使うの」
と聞くので、「あててごらん」とちょっと遊んでみたところ、彼は
上から下までじろじろと眺めた後で竹ひごに気づいて「これか」と
聞いてきた。私が「そうだ」と答えると、いきなり彼はその竹ひご
を筒の中に力まかせに押し込んでしまったのだ。

 こういうのが典型的なカルチャーショックである。彼にとっては
、そのボタンは押すのが当然であったが、私は、当然引き抜くもの
と思っていた。彼も驚いたが、私も驚いた。竹ひごは強く押し込め
られたために、もはや抜けなかった。

 あるいは、たった一人で夜道を歩いていて、目の前に誰かの大金
の入った財布が落ちているとする。それをネコババするか、交番に
届けるか。ヨーロッパには交番がないので、警察署に持参するかど
うかと考えることにする。これは個人のモラルの違いもあるだろう
が、おそらく欧州のキリスト教徒の多くは平気でネコババするので
はないか。日本人の場合には、交番に届け出る人が大半ではないだ
ろうか。

 私は一度パリのタクシーの中で財布を拾ったので、運転手に渡し
たところ、変な顔をされたことがある。彼はおそらく自分のものに
したことだろう。

・ 文化によって行動が予測できる
 文化は、人間が社会の構成員として身につけるものだから、集団
ごとに行動パターンは予測できる。もちろん、同一集団の中でも、
個人の能力差や性向差があったり、社会化(文化獲得)の度合いが異
なっているために、予測可能性は100%ではないが、少なくとも私の
経験では、かなりの高い確率で行動パターンが予測できる。

 やはりロンドンにいたときの話。職場の近くの韓国料理店でラン
チを食べていると、フランスの地方都市から観光にきていたカップ
ルが入ってきた。彼らは、前菜として餃子、メインにプルコギ(焼
肉)をといって注文した。フランスの韓国料理屋だったら、そのよ
うに注文されなくても、必ず餃子を先に持ってきて、それがきれい
に片付けられた時に、焼肉をもってくるだろう。ところが、ここは
食にあまりうるさくない隣国イギリスだ。なんと、まず焼肉が配膳
されたのだった。

 この先に何が起きるか。わかりますか。この二人のフランス人は
、焼肉が冷めるのも気にせず、ひたすら餃子が来るのを待っていた
。そして餃子が運ばれてくると、それをまずゆっくりゆっくり丁寧
に平らげて、それからおもむろに冷めた焼肉に箸をつけたのだった
。なんとも変な光景かと思うかもしれない。日本人だったら、万一
注文した順番と違っていても、まず熱いうちに焼肉に箸をつけるだ
ろう。そして途中で餃子がきたら、そっちも平行して食べるだろう。

 でもフランス人だったら、おそらくほとんどの人がこのカップル
と同じ行動を取るのではないだろうか。少なくとも私は彼らの取る
べき行動が予測できた。先に焼肉を持ってきたときに、「これはま
ずいことになる」と思ったのだった。幸い彼らは焼肉が冷めても文
句を言わずに食べたので、何も問題は起きなかったが。

 これと逆の体験をしたことがある。1986年にパリの場末の中華料
理店に妻と入って、適当に6品ほど注文したところ、店が勝手に二
品ずつ持ってくるのだ。そして最初の皿が空かないと、次の皿を持
ってこない。これには参った。どうすればいっぺんに全部持ってき
てもらえるのかと考え、店の人に相談しているうちに、「全部いっ
ぺんに(tous en meme temps)」とか、「順番はいいから(sans ordre)
」という言葉を知ったのだった。

・ 異文化の間に孤立無援で置かれて
 ロンドン駐在を終える少し前に、卒業試験ともいうべきむずかし
い立場にたたされた。
 そもそも日本の会社Aが、フランスの会社Bから、ある装置を購入
した。ところが設置して試運転すると、ある部品が壊れたのだった
。 A社は、フランスの手抜き工事のせいだと怒り、図面を取り寄せ
て、日本の下請け会社Cに同じ部品を製造させた。ところが、この
日本で作った部品も試運転ですぐに壊れたのだ。

 あまりに変だというので、B社の技術者が原因を究明すると、壊れ
た部品には予定されていたよりも大きな力がかかっていたことがわ
かり、A社の圧力計算ミスによる部品損傷であることが明らかとなっ
た。そこでB社が新たに図面を書き直して、C社に強度を増した部品
を作らせたところ、問題なく運転できたというもの。

 A社もB社も大会社であったので、お互いにかかった社内経費につ
いては、不問に付すということで紳士的に処理されることになった
のだが、C社が二度部品を作った費用は支払わなければならない。
本来であれば、これはA社が全額支払うのが筋だといえるが、A社は
日本の最終顧客に対する面子もあり、全部自分が悪いという形には
したくなかった。そこで二回目の製造費1100万円はA社が支払うが、
一回目の製造費700万円をB社に負担してもらいたいと言ってきたの
だ。

 私は、A社とB社の間に立って、どうすれば双方が満足する結果と
なるか悩んだ。おそらくフランス人の合理主義は、自社に責任がな
いときはビタ一文出すことを許さないだろう。しかし、日本人だっ
たら、相手がそこまで言うのならと、自分に責任がなくてもとりあ
えず一部の負担を受け入れるだろうし、そうするほうが顧客との関
係にはかえってプラスになるだろうと先の先まで読むに違いない。

 実際にパリ郊外にあるB社の担当役員に電話したところ、A社がB社
に負担を求めてくるのは「馬の前に馬車をつなぐ」話であり、本末
転倒だという。そもそもの成りゆきを考えなくてはならない、のだ
という。するとB社には全く過失がない、だから一文も払う必要はな
い、ということになるのだろう。フランス人ならそうくるだろうと
思っていた。

・ 異文化交流術「移項」
 合理主義ゆえに先の先まで読んだ行動を取れないフランス人を、
どうすれば日本人と同じ行動に導くことができるのか。昼休みに会
社の近くを散歩しながら頭を悩ませていて、ふとひらめいた。フラ
ンス人に、ひとまず結論を押し付けておいて、それを正当化するた
めの論理を探させてはどうだろうか、と。

 さっそく職場に戻って、朝と同じ人に電話した。「私はあなた方
に不利益を与えようとしているのではありません。ここではA社のお
願いを聞いてあげたほうが後々いい関係になることができ、御社に
とってもプラスだと思ってお勧めしているのです。
仮にですよ、仮に御社が700万円を支払うとしたら、あなたはどうい
う口実を付けますか」

 このひと言で全てが決まった。相手は、「我々は別に絶対払えな
いというわけではないのだ」と態度を和らげた。彼は頭の中のハー
ドルをひとつ乗り越えたのだろう。
私はそのお手伝いをしたことになるだろうか。

 日本人は後々のことまで考えて目先の合理性を捨てる。日本人は
未来から今を振り返って考えるという「引き算」の思考法に慣れて
いるのだ。ここで過失なくして費用を負担しても、得るものはある
ということを知っている。日本人は義理人情の世界を生きてきた。

 一方、フランス人は、常に足し算の思考法しかできない。彼らは
そもそも引き算という発想を受け入れないのだ。そんな不合理な計
算がまかり通るのは、日本のような閉じた狭い社会だけのことだと
言うだろう。私はそんな彼らが、足し算だけを使って引き算の結果
を得ることができるように、計算式を入れ替えてあげたのだ。つま
り、意味もなく費用負担するという式だと彼らが生理的に受け付け
ないので、もし費用負担するという結論が出ているとしたら、どの
ように論理づけたのであろうか、と問うたのだ。
 異文化交流術では、これを「移項」という。
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異文化交流術(2) 文化は心のソフトウエア
・ パソコンのハードとソフトのたとえ
 イギリス人と日本人のものの考え方が違うことを、イギリス人に
説明していたら、相手は「同じ人間じゃないのか」と言ってきたの
で、「いやいや、同じコンピュータでも、ウィンドーズとマックで
はファイルもプログラムも互換性がないだろ。OSの違いみたいなも
のさ。」と、とっさに説明した。
 文化の違いをパソコンソフトウエアの違いとして説明するのは結
構的を得ているように思う。

 おかあさんのお腹の中で胎児として過ごした後に、人間はオギャ
ーと生まれてくる。(ちなみにオギャーというのは日本だけのこと
らしい。擬音語の豊かな日本語だけのことはある。)それから毎日
、お腹が減っては泣き、おかあさんの肌のぬくもりがないといって
は泣き、お尻が汚れて気持ち悪いと泣く。また、目の前に人の顔が
あって安心すると笑い、子守唄を聞いては笑いかつ手を振り、お風
呂が気持ちいいと目を閉じて微笑む。
 胎内から誕生直後のこの時期は、パソコンにたとえるとマシン語
の習得といえるかもしれない。さまざまな本能とそれにともなう
不満や満足、達成感次第で、泣いたり笑ったりぐずったりの表現を
行うのだ。
 親や兄弟たちとのやりとりを続けるうちに、言葉にならない言葉
「アー」「ウー」といった喃語(なんご)という音を発するように
なる。それから一歳になるころになってやっと片言の言葉を話すよ
うになる。
 言葉はとても大事な文化である。言葉によって自己との対話が行
われ、言葉によって他者とのコミュニケーションがとられる。子供
はこうして徐々に言葉を、発達にともなって徐々に身に付けていく
。子供はゆっくりと言語を自己の意識の上にインストールしていく
のである。
 料理や文章表現や工作や裁縫や礼儀や信仰やその他の文化的活動
も、だんだんと成長するにしたがって、身に付けていくことになる。

・ 心がバラバラに破壊された子供たち
 三森創著「プログラム駆動症候群」(新曜社、1998年)が取り上
げるのは、文化を身につけようにも、インストール先の心がない子
供たち。犯罪を犯したのに動機がない、心が壊れてしまってバラバ
ラになってしまった子供たち。PDOS(心理的無組織化症候群)という
無気味な行動をとる若者たちのことである。
 本の中で紹介されている少年鑑別所の心理技官によれば、少年達
の家庭は一貫して崩壊している。女子の場合、幼児期に何らかの性
的虐待を受けている。弱い立場にいる子供の時分に、親や社会から
愛情や保護を受けることができずに、子供たちは心を失う。子供た
ちの心はバラバラになる。
 彼らは人間社会から離れて狼といっしょに暮らした狼少女よりも
不幸かもしれない。彼らは獣よりも孤独であり、自然からも隔絶さ
れているからだ。
 戦後民主主義で育った子供たちは、戦前を徹底的に否定する風潮
の中で、文化は獲得し伝承するものであるということを学ばなかっ
た。そのため、彼らが親になったときに本当の文化断絶の悲劇が始
まったのかもしれない。親の責任逃れ、教育放棄。団塊の世代の
オトーサンたちは欺瞞的で罪深い。
 心が壊れてバラバラになってしまった子供たちの意識の上には、
文化は根付かない。彼らにはゆっくりとしたリハビリが必要であろ
う。まず自分の置かれた悲劇的状況をそのまま認識し、人との触れ
あいや、偉人の生涯を学ぶことで、自分の心を取り戻す必要がある
のだ。 

・ インストール
 2001年の文芸新人賞を受賞した17才の女子高生作家綿矢リサ
の小説「インストール」(河出書房)の主人公の女子高生の家庭は、
離婚母子家庭。母一人娘一人で埼玉のマンションに住む。
 受験勉強と塾通いにやや疲れ、友人を油断させるため自分は勉強
していないふりをしている友人たちのカモフラージュの中にいるの
もなんとなく辛い。そんなこんなで学校でどうにも眠かったので、
早退し昼寝して、夜中に大掃除して部屋の中の家具も衣装もピアノ
も本も死んだおじいちゃんに買ってもらったパソコンまでも思いき
り良く全部捨ててしまって、部屋を徹底的にからっぽにする。そし
て、親に隠れてこっそり引きこもりの日々を始める。
 動かないと思って捨てたパソコンは、それをほしがった同じマン
ションに住む小学生にあげたが、彼は自分でソフトウエアを再イン
ストールして動くようにしてしまった。そのパソコンを使って二人
は奇妙なアルバイトを始めるのだが、ここではそれには触れない。
この小説では、壊れかけたパソコンの初期化と再インストールが、
確かな自分を見失った人間の心の初期化と再インストールと、パラ
レルに語られているところが面白い。
 人間を初期化し、再インストールできるとしたら、いったいどう
すればいいのだろう。パソコンだったら、ハードディスク初期化の
ために、既存のファイルを全て消去してしまう。それを知ってか知
らずか、主人公は自分の持ち物を全部徹底的に捨ててしまう。
 いったい彼女は自分が何を求めていたのか、自分でも分かってい
なかったのかもしれない。でも本能的に初期化と再インストールを
求めて、持ち物すべてを思い出やしがらみといっしょにゴミ箱に投
げ込んだ。
 欲しいのは物ではない、ということは、欲しいのは心かもしれな
い、ということだ。それを確かめるために全部捨てたのだろう。模
索する心が何かを求めていることが感じられる。
 お母さんは仕事が忙しいし、普段は鍵のかかっている娘の部屋に
は入ってこないから、何日たっても部屋ががらんどうになったこと
に気づかない。でも、引きこもりが4週間になって、ついに担任の
先生から連絡がいったとき、母は家具ひとつない部屋のまん中に寝
転がって泣いていた。
 その泪はうれしかった。すべてはそれを確かめるためだったのか
も。その泪に感じた私の心。それが再インストール、再出発の原点
。新しい私が生まれた、というお話。彼女がこれからどう育ってい
くのか、お楽しみ。

・ 異文化を知ることで、自文化を取り戻す
 PDOSは極端な症状である。でも「インストール」の女子高生の気
持ちは、おそらく日本人全員が共感できるのではないだろうか。
日本の文化状況はそこまで行き詰まっている。
 私たちは、日本の戦後の悲しい文化状況を、そろそろ直視しなけ
ればならない。敗戦の心の傷をかばうために続けてきた自己欺瞞や
自己喪失から立ち直らなければならない。占領軍が押し付けた日本
文化否定のイデオロギーという呪縛から、自らを解放しなければな
らない。
 物質的豊かさのみを追い求め、精神的なことについてはあえて目
を向けてこなかった。それは敗戦のショックが日本人全員の心を麻
痺させてきたからだ。
 異文化を知ることは、自文化を知ることに通ずる。異文化を知る
ことで、自文化に何が欠落しているかを、探り出す。異文化交流を
するためには、まず自分に文化をインストールして、自分の心を正
常にしなければならない。
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異文化交流術(3) 文化適応

・ 文化適応の得意だった日本人
 東京ではじめて西洋風のアパート生活を実現した同潤会アパート
は、建物外壁はメートル法で採寸していたのだが、部屋の中は尺貫
法で作ったあったという。私は展覧会で部屋の実物模型の中に入っ
てみたが、たしかに部屋や建て具のサイズが、こじんまりとしてい
て「肌に合う」という印象をもった。西洋建築であるのに床の間を
つくっていたところも心憎い。最近のマンションに床の間がないの
は、できないからではなく、日本人の心がそれを求めなくなったか
らだろうか。
 食べ物の分野でも、カツ丼やアンパンやオムライスのように、西
洋のものを日本風にアレンジしなおしたものが成功を収め、今や日
本を代表する料理となっている。子供たちに人気のメニューが、カ
レーライス、ハンバーグ、スパゲッティ、ラーメンと外来の調理法
を日本風にアレンジしたものであるというのも、見事な文化適応の
例だ。
 これらの料理は、オリジナルは外国であっても日本で独自に発展
したのであるから、その料理の故郷をたずねても我々が日頃口にし
ているような料理には出会えない。中国で本場のラーメンを食べよ
うと思っても、日本人が思い描くようなコシのある麺とコクのある
スープは存在しないのだ。(最近は日本式ラーメンの店が逆輸入さ
れはじめたという。)
 これほど見事に外国の文物を自分たちの好みにあうように改良す
る文化適応の例は、世界でも珍しい。それを実現した日本人の創造
力や適応力は賞賛に値する。

・ ヴァナキュラ:伝統乖離下の文化適応
 1998年7月、私はロンドンで知り合った建築家連健夫氏の企画した
「マレーシア・シンガポール都市建築ワークショップ」に参加した
。このワークショップのテーマは「ヴァナキュラー(vernaculer)」
という聞き慣れない言葉。直訳すれば「土着の、土俗の」といった
意味合いだ。
 はじめての概念に出会ったとき、その言葉を理解する(意味づける
)ために自分の過去の経験や一般常識を援用すると、かえってとんで
もない勘違いをすることがある。
だから私は、自分の記憶をいっさい呼び起こさないで、ひたすら目
の前にあるものを見る。心の動きも止めて、五官と身体まるごとを
対象に向けて、その言葉のもつ意味を帰納法的に構築することにし
ている。
 ワークショップ三日目の朝、私と連氏は前夜クアラルンプール・
クリケットクラブで我々をもてなしてくれた建築家ジミー・リムの
誘いでいっしょの朝食を食べに出かけた。行きしなの車の中でジミ
ーは「ヴァナキュラとインディジャネス(indigeneous)の違いをどう
思うか」と聞いてきた。正直なところ我々はその二つの概念自体を
さっぱりわかっていなかった。
「そもそもその二つはどんな意味なの」と逆にこちらから尋ねたと
ころ、ジミーは「俺の考えでは、インディジャネスは、原始以来同
じ文化を発展継承してきたもの。アボリジニなんかそうだ。ヴァナ
キュラは原始的なものから断絶しており、伝統を失った人間が苦労
して作り上げたものだ」と説明してくれた。おりしも高床式のマレ
ーハウスの集落が見え、「これらはヴァナキュラだ」という。
 朝食は「肉骨茶肉乾肉」という看板のレストランで。料理は、豚
の骨回りや臓物を白菜や湯葉や茸といっしょに中国茶(?)で煮込んだ
鍋と白いご飯。豚のありとあらゆる部位が入っていた。ジミーによ
れば、最初華僑は錫鉱山の人夫としてマレーシアに渡ってきたが、
とにかく待遇が悪く貧しくて、ひどい食べ物ばかりあてがわれてい
た。
その中でこの料理が生まれたという。
 この料理は世界でも珍しく、マレーにしかないそうだ。「これが
ヴァナキュラだね」と問うと、ジミーは「そうだ」とにこにこ答え
てくれた。
 朝食の後で個別指導にあたってくれた建築家フランク・リーによ
れば、「古代ローマの時代に、奴隷がローマに連れてこられる。そ
の奴隷がローマで生んだ子供たちは生まれながらにして奴隷だった
が、彼らがヴァナキュラと呼ばれた」というのがヴァナキュラの語
源という。ジミーの話とも一致する。ヴァナキュラとは、先祖伝来
の土地から離れた環境で生まれるのだ。

・ ヴァナキュラの本質:心を和ませるための創意と工夫
 華僑の移民は錫鉱山の鉱夫として始まった。人間は最低限生き延
びるために食べ物、着る物、寝る所を必要とするが、豚の臓物鍋や
マレーハウスのように、その最低限の衣食住が少しでも心を和ませ
てくれるよう創意工夫するところからヴァナキュラな文化が生み出
される。人間は機械ではないので、衣食住以外に心の世話もしなけ
ればならない。華僑は中国から観音寺を輸入していた。ホテルの前
にあった寺を朝早く訪れると、出勤前の人々がお線香をあげにきて
いた。
 クアラルンプールの町を彷徨い歩いて得た結論。ヴァナキュラと
は、伝統的な環境から離れ、隔絶された環境に生まれた人間たちが
、少しでも心地よく暮らしていけるように、もだえ苦しみながら生
み出した文化適応である。
 伝統乖離の欠乏感や不安定感の中で、なんとか自己を保つために
、少しでも心を安らげるために、限られた資金や物資を利用して、
環境を変えたり、料理法をあみ出す文化行為がヴァナキュラである
。ヴァナキュラは、経済の発展度合いや民族や地理に従属する概念
ではない。

・ 敗戦の集団的外傷後ストレス症候群
 敗戦によって日本で起きた現象は、文化的伝統乖離であった。
神道、旧制高校、旧仮名遣いなどのさまざまなものが、占領軍によ
って否定された。日本人が長い年月かけて発展させてきた貴重な文
化が、封建的・軍国主義的であるというレッテルを張られて抹殺あ
るいは封印されてしまった。
 このような文化的伝統乖離の中で、代わりに押し付けられた思想
が戦後民主主義である。しかしながら、戦後民主主義の思想には、
新たに心の柱となるものをつくり出す文化創造の契機がなかった。
ひたすら戦争恐い、日本民族について言及するのが恐い、日本の官
僚の行ったことはすべて過ちである、といった東京裁判史観にもと
づく否定のみが行われたのである。
 戦後民主主義という社会思想の根底にあるメッセージは、「生き
ているだけでもありがたい。二度と原爆を落とされないように、ア
メリカのご機嫌を伺いながら、自分では何も考えずに生きていこう
」というものだった。「敗戦の心の傷は、できるだけ見ないように
しよう」という自己欺瞞だった。
 戦後民主主義は否定されることなく50年以上続いたが、一度とし
てその文化創造性や伝統文化との関連性・補完性について議論され
たことはなかったし、50年たったときにも誰もその思想についての
回顧を試みなかった。その結果、日本における伝統乖離・文化喪失
は重症となったのだ。
 土居健郎氏は「続・甘えの構造」(2001年)の中で「先の敗戦に至
った戦争は国民全体にとっての一大外傷体験であったのだから、
その後に国民的規模で起きたもろもろの現象と集団的外傷後ストレ
ス症候群(PTSD)ということで一括りできはしないか」という。「戦
後50年以上たつ今も、敗戦のショックによるストレスから国民が完
全には自由になっていない」と、日本人の心のケアを生涯の仕事と
してきた精神科医が言うのである。この言葉は重い。

・ 文化適応力の衰え
 現代日本の文化状況を概観すると、文化的な伝統乖離状態になれ
ば、自動的にヴァナキュラな文化適応活動が生まれるというわけで
はないことがわかる。日本国民全体が敗戦のPTSDで心を蝕まれてい
るのだから、まずはそれを癒す必要がある。
 PTSDの要因を別にしても、日本人の文化創造力や文化適応力は衰
えているのではないだろうか。その原因としてはいくつか考えられ
る。
1 人間関係の希薄化 文化創造や文化適応はひきこもりの孤独な
生活からは生まれにくい。貧しくとも、みんなで改善していこうと
する集団の中で生まれるものである。
 マレーシアの華僑には、ひどい暮らしの中で肩寄せあって生活す
るという集団の凝集力が働いていた。戦後の日本人は、文化否定・
文化喪失に直面しながらも、それを十分に意識することなく、地域
共同体や家族までもバラバラにしてしまった。
 最近、飛行機のビジネスクラスで隣り合わせになる日本人の多く
は、食事の時間でもヘッドフォンを話さず黙々と食事をしている。
食事の時間だけは、隣の人と世間話をするというのがビジネスクラ
スでの正しい振る舞い方だということが身に染み付いている私には
堪え難い状況である。孤独にひきこもり、他者とのコミュニケーシ
ョンをおっくうがる社会では、文化創造は起きない。
2 ふるさとの景観の喪失 「うさぎ追いしあの山、こぶな釣りし
かの川」という童謡「ふるさと」を耳にすることも最近は少なくな
った。歌に歌われている風景が失われてしまったからであろう。
 都市化や開発によって、自然環境からの乖離も起きてしまった。
里山や裏山は宅地や道路に変わり、潮干狩りしていた砂浜は埋め立
てられて工場用地になり、川も海岸もコンクリート護岸されて、雑
草や虫ですら住みにくい環境をつくり出してしまった。
 
 図面の上だけで定規とコンパスを使って線引きしたような新興住
宅地の、効率的な区割りと意外性のない道路網。どこも同じような
景色になってしまって、心にひっかかるものが何もない。「透明な
存在のボク」と感じる少年はタンク山という遊び場に安らぎを求め
ていたのだろうか。夏祭りの晩に配られたカレーライスに青酸が混
入していた事件も新興住宅地で起きた。
 狭い国土であるにもかかわらず、金もうけのために闇雲に都市化
や開発を行った結果、心をつるつるてんにする景観を作り上げてし
まったのだ。ここでは文化は生まれない。
3 文化の外部化 最近は「おふくろの味」という言葉も死語化し
つつある。
 核家族化がすすむと、家事の効率は悪くなる。わずかな人数のた
めにご飯を作るのもおっくうになる。するとよくしたもので、冷凍
食品やレトルト食品、電子レンジ調理食品などが次から次へと売り
出される。コンビニや宅配ピザやファミレスによって、家庭の主婦
が料理を作らなくなった。
 それがいいか悪いかは別として、自分で苦労して調理しなくても
、金さえ出せば、それなりの味とカロリーの食品を買うことができ
る時代を生きているのである。このような時代には、文化は生まれ
ない。このような現象を、私は「文化の外部化」あるいは「文化の
文明化」とよぶ。

 このような状況で、文化を保ち続けること、文化を発展させるこ
とは、実にむずかしいと言わざるをえない。
(得丸久文、2002.02.06)


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