800−1.日本の沈没と産業政策について



日本沈没が小泉さんの構造改革停滞により確定的だ。Fより

なぜ、日本が沈没したかを検討しよう。そうしないと、今の日本の
不況の原因を確定できず、そして復活の方法も思いつかないのでは
ないか??
今の日本の原因は、1985年のプラザ合意であり、この合意によ
り、日本の円は260円から130円まで円高が進むことになった。
1990年には79円まで円高になり、輸出企業はアジアに生産拠
点を移すことになる。しかし、先端製品や高信頼製品は日本で作っ
たために、日本の地盤沈下にはならなかった。この成功が、しかし
今の甘えになってしまったのです。この時は日本の製造業の生産性
・品質の良さがあり、そのノウハウを世界は知らない。このために
、日本製品は品質で他の国の製品より良かったのです。

ところが、生産性・品質の良さのノウハウを1990年以降、世界
に教えるのです。TQCです。特に田口メソッドは大きなインパク
トを世界に与えた。それとトヨタ生産方式とか、かんばん方式とか
リーン生産とか言われる方式を世界が導入して、日本製造業の良さ
の根源であるノウハウは、世界が知り、日本独特なノウハウはなく
なったのです。それどことか、日本の製造業の弱点を研究されて、
欧米ではTOCを考え導入して、日本製造業を打ち負かすのです。
718−1.ゴールについて
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1311191.htm

プラザ合意と製造業の優位性が消去する事態が想定されたために、
日本の産業・社会の構造改革をする必要が出て、前川リポートが提
言された。この前川リポートを実行するより、バブルを起こす方を
日本政府は選択したのです。そして、1985年から1990年ま
ではバブル華やかであったため、国民も政治家もあまり構造改革の
必要性を感じなかった。そして、日本は構造をそのままにして製造
業よりサービス業や金融業や不動産業にシフトしてしまったのです。

そして、1990年にバブル崩壊、製造業を重要視して、産業政策
を重要視するべきであるのに、ここでは山奥に土木工事をして、金
をばら撒いた。そして、国家財政の破綻に追いやるのです。
国家の財政の基本は新しい産業を支援して、その産業が世界的な活
躍をして、金を稼いで来て、それで始めて、国家の福祉や教育など
が、成り立つのです。この基本を完全に国家指導者が忘れている。
今も、小泉さんは産業政策に一言の発言もない。

国家指導者が日本産業のノウハウを世界に教え、日本企業を潰すこ
としか考えないのは、どうかしている。日本企業の弱体化策しか、
日本政府はしてこなかった。特に半導体の購入の強制化で、日本の
半導体産業はいかに傷ついたか??

国家の産業政策を充実して、国家が企業を育て、指導することが必
要である。半導体で日本が世界に出てきたのは、国家が目標を決め
て、1000億円程度の開発費を民間と掛けたことで、できたので
す。

今でも日本の電子機器にはいいものがたくさんある。しかし、企業
間で、規格が統一していない。SDカードとメモリー・スティック
など、日本企業同士の戦いをしているが、これでは、中国やアジア
企業に開発の時間を与えることになり、よくない。今後は日本対世
界の戦いであるから、今までの日本企業だけのいる産業界の習慣を
改める必要があるのです。

この音頭を政府がする必要がある。国家が前面に立って、国家の
産業を企業を強くするということが必要だ。このためにも、民間を
政府機構に引き込む必要がある。優秀な民間人の活用をした方が、
産業政策もスムーズにいく。

それと、今後産業として、育成するのはエネルギー関連であること
も、十分にこのコラムで検討していた。後は実行あるのみなのであ
るが???
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プラザ合意(5か国蔵相・中央銀行総裁会議声明)
フランス、西独、日本、英国及び米国の大蔵大臣及び中央銀行総裁
が1985年9月22日、、ニューヨークのプラザ・ホテルで、
各国の経済発展と政策を再検討し、経済見通し、対外収支及び為替
レートに対する合意をした。
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1985年9月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開かれたG5(
先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)での合意事項の通称。具体的
には、行き過ぎたドル高を修正するために、協調介入をはじめとす
る政策協調を行うことで合意しました。 
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森本さんのリポート:
1983年に日の出山荘でロン・ヤス会談が行われました。そして86年
に、前川春雄日銀総裁が書いた『前川リポート』が中曽根総理に渡
されました。そこに書いてあることは、いま小泉改革が打ち出して
いる内容とほぼ同じです。『前川リポート』の最後には、「改革の
先送りは許されない」という趣旨のことがわざわざ項目を立てて書
いてある。しかしこのレポートは実行されなかった。その後、日銀
の金融緩和によってバブルが発生した。誰も改革の痛みを甘受しよ
うと思わなくなったからです。

政府は「財政出動を繰り返してゼロ金利も解除したが、それでも駄
目なので構造改革をする」というレトリックを使っています。しか
し、景気を回復させること自体は、いとも簡単なんです。

日銀券は現在、58兆円ほど市中に出回っています。国民1人当たり
50万円、一家4人なら200万円のキャッシュがあるはずなのに、どこ
の家にもそんなお金はない。ということは、億単位のお金をもって
いる人がいることになる。この人たちは、いま状況を見ているんで
す。もし日銀が本気でデフレを止めると宣言したら、彼らのお金は
動きはじめるでしょう。

1929年の世界恐慌後、1933年の3月にアメリカで同じことが起きまし
た。ルーズベルト大統領が事実上の金兌換停止を決定し、FRB議長が
金融緩和派のブラックにバトンタッチされ、量的金融緩和への期待
が高まっただけで、アメリカ経済は奇跡的な成長を遂げた。たった
4ヵ月で鉱工業生産が57%、年率にすれば170%も増えました。デフ
レに陥ったあとの回復の仕方は、いつもこのパターンなんです。問
題は量的緩和のカードを一回しか切れないことで、景気が一気に回
復すると、バブルの二の舞になる。『前川リポート』の失敗は、具
体的な施策に結びつく前にバブルを起こしてしまったということで
す


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