798−2.図越コラム



大和紀行 
先週末、26日土曜日に、奈良・大和へ行ってきました。

 奈良市の春日大社に初めて参拝し、東大寺、興福寺(こうふくじ
)へ参拝し、続ひて南下し、桜井市の大神(おおみわ)神社に初め
て参拝して来ました。この御社(みやしろ・おやしろ)はつとに有
名ですが、拝殿のみで本殿がありません。御神体(ごしんたい)が
三輪山(みわやま)のためです。そのため、三輪山は禁足地です。
拝殿後方にある「三ツ鳥居」と呼ばれる鳥居(とりい)を三つ重ね
た当社独特の鳥居から拝むことになります。

 この大神神社には、一昨年までは、日本一の大鳥居がありました。
しかし、昨年、日本一を和歌県南部に御鎮座してゐる熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)に奪はれました。そのことを大神神社
の神主(かんぬし)さんに伺ったところ、なんと面白ひことに、
工事会社は両方とも同じ会社ださうです。その会社は大神神社での
ノウハウを活かしたさうです。

 さらに、すぐ近くの初代神武天皇を祭る橿原神宮(かしはらじん
ぐう)には、寄る時間がありませんでした。神武天皇が橿原宮で御
即位された日である紀元節の日(2月11日)には、宮中から天皇
陛下の使者である勅使参向(ちょくしさんこう)が行われる当社大
祭の「紀元祭」(きげんさい)があり、参拝したひものです。因み
に、4月3日は、「神武天皇祭」といふ大祭が当社であります。
この日は、神武天皇崩御の日で、占領政策による現祝日法制定前に
は、祝祭日に指定されてゐました。
 さらに南下するとあらわれる吉野神宮へも参拝したかったのです
が、次回になりました。吉野の桜は有名です。この地に、建武の中
興、南朝時代の後醍醐天皇御陵があります。

 27日日曜日は、国旗制定記念日でした。大阪でパレードがあり
ましたので、それに参加して来ました。帰宅後、疲労のため、熟睡
。午後10時に起き、遅い夕食をとって、就寝。

今日は何の日http://www.nnh.pos.to/より(1月27日)
〇国旗制定記念日
国旗協会が制定。
1870(明治3)年、太政官布告第57号の「商船規則」で、国旗のデザ
インや規格が定められました。それまでは船によってまちまちの
デザインの旗を使っていました。
当時の規格は、縦横の比率は7:10で、日の丸が旗の中心から旗竿側
に横の長さの100分の1ずれた位置とされていましたが、現在は、
1999年8月13日に公布・施行された「国旗国歌法」により、縦横の
比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、日の丸は旗の
中心の位置となっています。
 
春日大社http://www.nanto.com/kasuga/
東大寺http://www.naranet.co.jp/todaiji/
興福寺http://www.kohfukuji.com/
大神(おおみわ)神社http://www.oomiwa.or.jp/
橿原神宮http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/
吉野神宮http://www.naranet.co.jp/yoshinojingu/
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
http://www.kumanokaido.com/hayatama/
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
http://www.kumanonachitaisha.or.jp/
この熊野那智大社の御神体が有名な「那智の滝」です。
熊野本宮大社のホームページはありません。
本宮町観光協会
http://www.hongu.jp/
上記、3社をあわせて熊野三山と呼びます。
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転載 ジャパンタイムズ社説に怒り 
台湾人国籍正名運動(「中国」表記から「台湾」へ) 
http://isweb31.infoseek.co.jp/area/taioan/
メールマガジン:台湾人の声
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407

「台湾人の声」より転載
読者オピニオン   ジャパンタイムズ社説に怒り
日本の英字新聞『ジャパンタイムズ』の1月26日(土)の社説
「Taiwanese'creativity '(台湾人の創造性)」を読んで、日本社
会が如何に無意識に中国の台湾統一政策に荷担しているか感じ、怒
りを禁じ得ませんでした。

http://www.japantimes.co.jp/cgi-bin/geted.pl5?ed20020126a2.htm
(細かいことですが英文で台湾のことをTaiwanではなくTaipei、中
国のことをChinaではなくBeijingとしているのも、「一つの中国」
政策に基づくもので、事実に反しています。ジャパンタイムズが台
湾と中国の関係を国共対立という古い枠組みでしか捉えていないこ
とを示しています。そのために、非常に読みにくいです)

 この記事では、台湾のパスポートに「issued in TAIWAN」が付け
加えられること、それが「内外で批判」されていることを紹介し、
そんなことを工夫するんだったら、中国との対話再開に向けて努力
したほうがいいと結論付けています。

 この社説には少なくとも二つ批判すべき点があります。一つには
台湾人の苦しみを嘲笑していること。もう一つには、認識不足から
中国による統一工作に荷担している点です。あまりにも認識不足な
ので悪意さえ感じられます。

 実は、パスポートに「台湾」表記をする案の原案は、「Republic
 of China」という欧文表記を削除して「Taiwan」で置き換えるとい
うものでした(2001.5.19自由時報オピニオン欄)。それが、
「Taiwan」併記、さらに「issued in」追加と後退せざるを得なかっ
たのは、大中華思想や統一思想を持った反対勢力との闘争の結果で
しょう。このような歪められた形でさえ「Taiwan」が表示されると
いうことが本土化の前進であると評価して歓迎している人たちがい
ます。つまり一見滑稽に見えるこの措置には、台湾人の苦しみが浮
き彫りにされているのです。台湾本土の人たちは国民党の独裁下で
は「台湾」という文言を自由に使うことは許されませんでした(そ
の結果台湾団結聯盟が始めて「台湾」を冠した政党になった)、
そしてオリンピックなど国際試合でも中国の反発で「台湾」として
出場することは出来ず、「中華台北」などという実態にそぐわない
名称を余儀無くされています。長い間、二重に抑圧されてきたもの
を、解き放とうという台湾の試行錯誤、これを笑って済ませること
ができるでしょうか?すくなくとも認識不足のジャパンタイムズ論
説委員に嘲笑する資格はありません。

 なぜ認識不足かというと、中国との対話が再開できないのは、台
湾の責任ではなく、中国が「一つの中国」を認めなければ対話でき
ない、と理不尽な条件を突きつけているからだということが判って
いないからです。24日、中国の銭其[王深]副首相の民進党への敵
視緩和発言を受けて、28日の産経新聞社説では「(台湾の陳水扁
大統領は)対話の再開も再三呼びかけ、台湾独立派が批判するほど
の「善意と誠意」を中国に示し続けてきた」と正しく評価している
ように、これまで台湾は中国との対話再開に向けて十分に誠意を見
せてきました。台湾は中国との対話再開に向け十分な努力を払って
いるのです。これをあたかも、台湾側に努力の余地があるような書
き方をするのは、中国に荷担して、台湾が中国の一部分であると認
めろという中国側の要求を代弁するものです。

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/0201/28/paper/today/editoria/editoria.htm

 産経新聞が言うように「(中国は)「一つの中国」原則を受け入
れない限り陳政権との対話再開には応じないという態度は変えてい
ない。[...]台湾への武力行使も放棄していない。台湾に照準をあて
た多数のミサイルも配備されたままだ。相手に刀を突きつけながら
握手を求めようという図式に変わりはない」のであって、暴力団が
恐喝しているようなものです。日本を代表する英字新聞がそれと取
り引きしろと勧めるとは、日本社会には国際理解や正義があるのか
と疑われてしまうでしょう。

 私が読んでいる掲示板では、「なんでまた、わざわざ「異例の」
2本目[通常社説は一本]を出してまで、これを書いたのか?」、「
突然出したこの社説が、とにかく「台湾に対する」「皮肉」に満ち
ています。わざわざイヤミ言うために出したとさえ、取れますね」
というコメントがついていました。まさに、人を馬鹿にした発言で
、台湾のことを真剣に考える日本人の一人として見過ごすわけには
いきません。

 皆さんもジャパンタイムズに抗議して、認識不足を正してやって
ください。

ジャパンタイムズ論説室:03−3452−6488
FAX:03−3452−1611
E-MAIL:opinion@japantimes.co.jp

(掲載希望の場合、Subject欄にReaders in councilと明記し、
300 words 程度の英文で、とのこと)
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「親米保守」と「反米保守」の対立、何が問題なのか
小林よしのり・長谷川三千子氏「アメリカを処罰する」
「産経新聞」一月二十四日付に興味深い記事が掲載されている。
「米中枢同時テロに対するアフガニスタン攻撃をめぐって保守派の
中で議論が分かれる中、『日本は対米追従だ』と批判する論者と『
アフガン攻撃は当然だ』とする論者が初めて討論するシンポジウム
が来月七日に開かれる。

 アフガン攻撃をめぐっては、漫画家の小林よしのり氏が近著『戦
争論2』で『今回のテロそのものがアメリカのグローバリゼーショ
ンによって招来された』などと、米国を激しく非難。二十三日発売
の雑誌『SAPIO』の連載でも小林氏は、テロ撲滅の国際協調行
動を支持する産経新聞を『アメリカべったり』などと批判している。
 シンポは『新しい歴史教科書をつくる会』が主催。小林氏のほか
、やはり対米批判派の長谷川三千子埼玉大教授が参加。反テロの立
場から米国の行動を支持する田中英道東北大教授、田久保忠衛杏林
大教授、八木秀次高崎経済大助教授と対決する」。

 『SAPIO』二月十三日号「新ゴーマニズム宣言」でも小林氏
はこう述べている。
「なんだか産経新聞と親米・保守言論人がやけにあせっている。
日本の国柄を破壊しかねない『グローバリズム』や『自由』や『民
主主義』に対する洞察力や懐疑もないままに、『日本人の誇り』や
『日本の歴史への愛情』を謳ってきたツケが回ってきたのだ」
 「はっきり言っておくがわしの立場は…日本を日本の国柄のまま
に守る!…これしかない。とにかく民衆がこの列島に生き残ってさ
えいればよい……という朝日や産経とは、その点が決定的に違う」
 「己れの足で立つしかないのだよ、日本人は! そのためには、
長谷川三千子氏が言っている通り『アメリカを処罰する』心構えを
、日本人が持つしかないのだ!」
 「守るべきは日本という国柄であり、単なる列島に生きるヒト科
ではない!」

 この対立は今後の日本にとって極めて重大な論点となってくるで
あろう。建設的な論争を是非ともお願いしたい。感情的な「親米」
「反米」論争は不毛である。

 論点を@思想A国家システムB戦略の三つに整理してはどうだろ
うか。
 移民によって建国されたアメリカと、古代からほぼ単一民族によ
って天皇を中心として成立している日本が思想・哲学・宗教におい
て異なっているのは当然である。何でもかんでもアメリカ的発想が
正しいと主張する浅薄な日本人が批判されることは当然だ。
 次に国家の経済・政治システムの問題でも、日本をアメリカのよ
うな「純正の資本主義」の国にするべきだという日本人が非難され
ることも当然である。日本をアメリカのように「一握りの金持ちだ
けが住みやすい国」にすべきであるという「カネ万能主義者」ある
いは「GDP至上主義」は駆逐されるべきである。

 想起せよ。「家屋を飾り、衣服を文(かざり)り、美妾を抱へ、
蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也」。「一々外国を仰
ぎ、奢侈(しゃし)の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人
心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外ある間敷也」(南州)

 明治維新によって日本は資本主義を導入したが、渋沢栄一が言う
ように、それは「投資による利益で遊んで暮らす人間を生み出すの
ではなく、武士や町人に関係なく有能な人材を経営という実学で養
成する」ことが目的であった。戦後の日本経済の繁栄も「日本的な
資本主義」によって実現した。守るべきは「日本的経営」なのであ
る。

 戦略の問題で言えば、明治維新の時も「親露」「親英米」路線が
対立したように、議論を尽くすべき問題ではある。国益を守るため
には、「よりましな国家」と同盟して「特に危険な国家」と対決す
ることが肝要である。この選択を誤ると、国家存亡の危機に陥るこ
とは自明である。

 長谷川氏や小林氏が言うところの「国柄」を守るために「アメリ
カを処罰する心構え」は、思想・国家システムの次元では大いに語
られるべきだ。断固として支持する。

 だがしかし、戦略の問題で反米闘争こそが日本民族の最優先の課
題である、とか、アメリカを打倒するためならば北朝鮮やイラクな
どの反米テロ国家とも連帯すべきであるなどと主張するのであれば
、それは本末転倒の議論である。「守る、守る」とは言いながら、
実際には日本を滅亡に導く扇動にすぎない。天皇陛下の大御心にも
背く行為である。

 小林氏らの今後の議論には注目をしておこう。
反米VS親米 つくる會シンポ 2 ・7 
新・よしりんを支援する會
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~mj23/index.htm
新・よしりんファン宣言
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/4996/

そこで必読論文を示します。
 月刊誌『正論』2月号
 特集・テロリズム考
 西部邁氏(小林よしのり氏の理論的共鳴者) 
  「テロルの世紀」の暴力論
 長谷川三千子氏(シンポジウム出席者)   
  「アメリカを処罰する」というメッセーヂが日本人に突き付けたもの
 上記二論文は秀逸であります。

 潮 匡人氏(うしお・まさと)    
  国際社会における日本という視点
潮論文は、僭越ながら反面教師の代表例であります。上記二論文と
併せて読まれると、よく違ひがわかります。

反米保守と言われている西部邁氏、長谷川三千子氏、小林よしのり
氏の3氏は、上記文章が指摘してゐる通り「長谷川氏や小林氏が言
うところの「国柄」を守るために「アメリカを処罰する心構え」は
、思想・国家システムの次元では大いに語られるべき」であると述
べてゐますが、3氏は、いずれも日米安保を全面否定して居りませ
ん。しかも、自衛隊派兵にも対米支援のためとはいへ、国際社会に
おける「国家」の品格を保つためには、日本の立場としては当然で
ある、といふ意見を開陳して居ります。その辺りの文意・前後関係
を読み取ることが出来ないならば、3氏の主張は理解し難ひものに
なると思ひます。
以上
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1月30日 孝明天皇祭 
本日、1月30日は、第121代孝明天皇崩御(ほうぎょ)の日であ
ります。
攘夷と公武合体を支持したと言われています。
慶應2年(西暦1866年)12月25日病没遊ばされました。
当時は、陰暦でありましたので、陽暦に換算すると、1月30日と
なります。因みに、陽暦12月25日は、大正天皇祭(戦前・戦中
は旗日)の日です。天皇陛下崩御の日は、「〇〇祭」と呼び、御生
誕の日は、「〇〇節」と呼ぶことが、正しひと小生は考えてゐます。
 
 例、1月7日昭和天皇祭、4月3日神武天皇祭(戦前・戦中は旗
日)、7月30日明治天皇祭。
4月29日昭和節、10月31日大正節、11月3日明治節、
12月23日天長節。

 孝明天皇は、西暦1831年御生誕、西暦1866年崩御遊ばさ
れました。僅か36年の御生涯でした。御在位は、西暦1846年
からであり、16歳といふ若さで御即位されました。御代(みよ)
は、21年間でした。
 
 第122代明治聖帝は、孝明天皇の第二皇子(おうじ)です。
西暦1852年御生誕、西暦1912年(明治45年)崩御遊ばさ
れました。61年の御生涯でした。御在位は、慶應3年(西暦
1867年)からであり、明治天皇におかせられましても、孝明天
皇と同じく、16歳といふ若さで御即位され、明治維新の大業を断
行されました。

『神道と祭りの伝統』 神社新報ブックス12 茂木貞純(もてぎ
・さだすみ)著 平成13年刊 53頁にある宮中祭儀一覧表によ
りますと、孝明天皇以降の御歴代の天皇陛下の崩御の日には、宮中
三殿において天皇陛下による祭祀を行ってゐるやうです。
1月7日昭和天皇祭、1月30日孝明天皇例祭、4月3日神武天皇
祭、7月30日明治天皇例祭、12月25日大正天皇例祭です。
「〇〇祭」は、「大祭」といって、天皇陛下御自身で祭典を行はれ
、御告文(おつげぶみ)を奏上されます。「〇〇例祭」は、「小祭
」といって、掌典長が祭典を行い、天皇陛下が御拝礼になられます。
 
 つまり、本日の宮中孝明天皇例祭は、小祭であります。加えて、
各大祭・小祭においては、御陵(みささぎ・ごりょう=天皇陛下の
お墓)においても祭典が行はれます。

孝明天皇の御陵は、京都市東山区の泉涌寺(せんにゅうじ)にあり
ます。正式名称を、孝明天皇後月輪東山陵(のちのつきのわのひが
しやまのみささぎ)と呼びます。泉涌寺は、御寺(みてら)と呼ば
れており、なぜお寺に御陵があるのかは、日本の歴史に深く関はり
ます。下記のホームページを御覧下さい。

各地の神社でも祭典があります。例えば、國神社では、孝明天皇
後月輪東山陵遥拝(ようはい=はるかにおがむ)式が行われていま
す。

孝明天皇を合祀しているのが、平安神宮(京都市左京区)です。
平安神宮は、明治天皇の御代に、平安遷都(西暦794年)
1100年を記念して、平安遷都を断行された桓武(かんむ)天皇
の御偉徳をたたへ、おまつりしやうとの声で、明治28年(西暦
1895年)3月15日に御創建されました。
 
 第50代(御代は西暦781年から西暦806年)天皇陛下の
桓武天皇御陵は、京都市伏見区にあらせられます。御陵の南側には
、明治天皇御陵(伏見桃山陵・ふしみももやまのみささぎ)があり
ます。明治天皇御陵のすぐ南には、乃木希典大将が祀られている乃
木神社があります。東京にも乃木神社はありますが。明治天皇と乃
木大将が隣同士とは、素晴らしひではありませんか。
 
 その後、近代日本の基礎をつくられた孝明天皇をおまつりしやう
との声が高まり、昭和15年の紀元2600年を記念して、この年
の10月19日に、平安神宮に孝明天皇が合祀されました。
 
それゆえ、本日、平安神宮では、孝明天皇祭が10時から行われて
います。

平安神宮
http://www.heianjingu.or.jp/
孝明天皇祭(大 祭) 1月30日 午前10時
ご祭神、第121代孝明天皇のご命日に当たり、治世の間のご聖徳
をお偲びして祭儀を斎行されます。巫女による「平安の舞」が奉納
されます。 

泉涌寺
http://www.mitera.org/
京都市東山区に位置する、日本で唯一の皇室の菩提寺として「みて
ら」と呼ばれ親しまれる泉涌寺(せんにゅうじ)。本サイトでは
泉涌寺の紹介や歴史、宝物の紹介や皇室関係の写真などをご覧頂け
ます。
以上
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朝日新聞が戦争責任を認めた12・8社 説 
平成13年12月8日付
朝日新聞・■真珠湾60年――あの戦争が問う「いま」
ハワイ・オアフ島の真珠湾を旧日本軍が奇襲して太平洋戦争が始ま
ってから、きょうで60年になる。 
60年前のできごとは、年配の多くの方々には今も鮮烈な記憶だろ
う。若い世代にとってハワイは身近な海外リゾートであり、今年公
開された「パール・ハーバー」というハリウッド映画で、初めて「
真珠湾」を実感した人もいるかもしれない。 
だれであれ、自国の歴史から自由に、現在を生きることはできない。 
他国を軍靴で踏みにじって人命を奪うような侵略戦争は、二度と起
こしてはならない。不戦の誓いを心に刻むとともに、あれほど多く
の痛ましい犠牲者を出した戦争が、なぜ起きたのか、その原因を究
明し続けることは、日本人の自分自身と歴史に対する責任というも
のだろう。 

 真珠湾60年は、満州事変70年でもある。泥沼の日中戦争に陥
るきっかけとなった満州事変から真珠湾までの10年に、日本は破
滅に向かって急坂を転がり落ちた。 

 司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、「自己リアリズム喪失」の時
代である。昭和初期から太平洋戦争に至る時期、エリート官僚や軍
人らを支配したのは、救いがたい独善と視野狭さくだった。米国と
の圧倒的な国力の差を冷静に直視することなく、日本を国際社会か
ら孤立させ、無謀な自滅戦争に引きずり込んだ。 

 何よりも陸海軍の統帥権が政治から独立し、軍部の専横や独走に
歯止めをかけることができなかった。文民統制が、いかにかけがえ
のないものか。国民がそれに気づくのは、日本が焦土と化した後の
ことだ。 

 政府や軍部の一部にあった対米開戦反対論は、「このままではじ
り貧だ」という騒々しい声に、かき消された。未曽有(みぞう)の
危機に直面しながら、指導者らに濃厚だったのは「長いものには巻
かれろ」と言わんばかりの、無気力と大勢順応主義である。 

 「鬼畜米英」「神州不滅」。空虚なスローガンとともに国民の愛
国心を鼓舞し、戦争に駆り立てた当時のメディアの責任も、朝日新
聞を含めて極めて大きい。 
これらは、すべて遠い昔のことだ、と言い切れるだろうか。 
戦後日本は軍国主義への痛切な反省の上に出発した。平和外交が
国際社会の信頼をかち得た一方で、このところは、「中国、米国何
するものぞ」といった荒っぽいナショナリズムが、若手の政治家や
官僚、一部のメディアの間で頭をもたげ始めているように思える。
気がかりな傾向だ。 

自衛隊の海外派遣では、文民統制の原則がおろそかにされていない
か。バブル経済を生み、その後始末にてこずる最大の原因は、対米
開戦前夜の指導者らとも相通じるような、政治家や官僚、経営者た
ちの無気力と無責任ではないのか。 

あの戦争を振り返り、問い続けることで、この国の「いま」が見え
てくる。
 
●『SAPIO』小林よしのり連載1月23日号73頁において、
「よしりん企画」(小林よしのり事務所の正式名称)職員の時浦研
究員が、「祝!!」と題して連載欄外で上記社説を取り上げてゐた。
 
「朝日新聞がついに、国民を戦争に駆り立てた当時の朝日新聞の責
任は「極めて大きい」と認めた!!」
「ってことは当然国民に賠償するんだね?今までさんざん日本政府
に言ってきたように、口先だけじゃなく、法的根拠も先例も一切問
わず、道義的にまず自ら範を示すために。進んで賠償すんでしょね
?今後朝日が「戦争責任」なんて言ったら、必ずこう言い返すから
ね」
●朝日社説にある、「太平洋戦争」といふ表現は、昭和20年12
月15日発表の「神道指令」によって、占領軍から「大東亜戦争」
の呼称使用禁止が命じられ、「太平洋戦争」に改悪させられたこと
は、つとに有名である。
 
 さらに、「日中戦争」といふ表現は、占領軍は関係ないが、戦中
当時は、「支那事変」と呼称していたのであるから、それを勝手に
変えるのは、如何なものか。確証はないが、「事変」を意図的に「
戦争」と変更したのは、戦後左翼歴史学会ではなからうか。
 支那事変は、「事変」といふ言葉に意味があって、日本政府は不
拡大方針を求めたため、「戦争」にはしたくなかった。それゆへ、
宣戦布告はなかった。だから「事変」であり、「戦争」ではない。
中国国民党と中国共産党の内紛に日本軍は巻き込まれ、共産党の謀
略に乗せられ、アメリカ軍からの「援蒋ルート」(国民党蒋介石を
援助するといふ意味)と呼ばれる軍事物資支援によって体力を増し
た国民党と日本軍は交戦し、結局は、国民党も衰退し、漁夫の利を
得たのは共産党であった。そして、日本軍敗戦後、共産党は国民党
を台灣へ追ひ払うことに成功した。これが今の台灣・中華民國の原
型である。日本軍はずるずると大陸へ引き込まれてしまった。
 アメリカ軍に関しては、すでにこの時点で日本軍と間接的に交戦
してゐると言っても決して過言ではない。真珠湾で開戦したわけで
はない。十分な伏線があったわけであり、先に敵意を示したのは、
アメリカ軍であったことは明白であろう。
以上
==============================
朝日新聞2月1日付
北朝鮮が「観光に来て」 日本語HPを開設
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が妙香山などの国内観光を
PRしようと、日本語のホームページ「朝鮮観光」
(http://www.dprknta.com)を開設した。
ホームページは北朝鮮の国家観光総局が日本の観光情報会社に作成
を依頼、1月24日に公開された。観光名所や旅行手続きを紹介し
ているほか、水産物などの貿易会社の案内もある。日本からの観光
客や投資誘致で外貨を獲得し、不振の経済を活性化させようとする
動きのひとつと見られる。

図越

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