797−1.得丸コラム



日本人の心を「東京裁判」史観の呪縛から解放するおまじないとし
ての笹川良一

きまじめ読書案内 
黒瀬昇次郎著  「笹川良一伝 世のため人のため」
(2001年、到知出版社、1800円)

 笹川良一という人物がいたことを知らない人はいないだろう。
しかし、彼がどんな人物であったかについて正しい理解をもってい
る人はどれくらいいるのだろうか。

 たとえば「二十世紀日本の百人」というグラビア特集をした『週
刊新潮』は、笹川良一を、児玉誉士夫および小佐野賢治と並べて、
同じページで取り上げ、彼の写真に「テレビCMでは『一日一善』の
人の良いおじさんを演じた男。戦前は尊王絶対を叫ぶ右翼政治家、
戦後はA級戦犯容疑で児玉誉士夫や岸信介らと同じ釜のクサい飯を。
出所後に財団法人日本船舶振興会の会長に納まると莫大な競艇資金
をエサに政界の黒幕へと肥大した。統一教会の日本進出に協力し、
顧問に就任。昭和53年勲一等叙勲には講義の声も」という、笹川に
ついての悪い風評を集大成したようなキャプションをつけていた。
(1998年4月30日・5月7日号、本段落は佐藤誠三郎著「笹川良一研究
 異次元からの使者」あとがきを全文引用)

 佐藤誠三郎氏の描く笹川や、黒瀬昇次郎氏の描く笹川は、この週
刊誌の風評とはまったく違った聖人、君子、菩薩のような男である。

 大阪の裕福な商家に生まれたものの、尋常小学校卒業後は中学に
進学させてもらえず、寺に預けられて和尚から儒教の教育を受ける
。商才を生かして巨万の富を得ると、陸軍に空港を寄付するなど、
惜しげもなくそれを社会のために投げ出す。東京裁判の折には、自
ら進んで戦犯として逮捕され、巣鴨拘置所で東条英機元首相を励ま
し続け、東条の法廷闘争を支援する。戦後は、モーターボート競走
の利益を使って日本のみならず世界で天然痘やハンセン氏病撲滅の
ため、巨額の寄付を行った。

 笹川良一は、一年365日、一日も休まず、一銭も給料ももらわず、
ぜいたくをせず ひたすら社会のために働き続けた聖人、君子、菩薩
であった。その言動には一切「私する」部分がない。平成7年に亡
くなったときにも、遺産はほとんどなく、稼いだ分だけ使い切って
死んだという。見事な生き様である。

 同じ笹川良一という男の評価が、風評と、詳細な研究との間で、
死してなおどうしてここまで異なっているのか。おそらくここに日
本の戦後の言論や歴史観の虚偽性や歪みが結集しているからではな
いか。つまり、笹川は朝日新聞、日教組、総評といった自虐史観を
振りかざす人々と真正面から戦ったために、悪役のレッテルを貼ら
れて、不問に付されたのだ。残念ながら死後もその汚名が十分に濯
がれるには到っていない。

 笹川良一という人物を紹介してくれる本書が世に出されたことは
喜ばしいことである。笹川良一の実像に触れ、自らの生き様の鏡と
することによって、日本人の意識が、わずかでも東京裁判史観から
の解放されることを期待したい。

 なお本書の中ごろにある「東条英機の微笑」とその前後の章では
、巣鴨拘置所における生活の実態や終戦直後の日本の様子もなかな
かわかりやすく紹介されていて、おもしろかった。戦後歴史の総決
算をし、武士道精神を取り戻すために役立つだろう。

(得丸久文、2002.01.27)
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関西弁で読む論語というHPがあります。

http://www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/rongo.html

どうして関西弁になるとくだけるのでしょうか。不思議です。
これを見習って、普段着で、日常性の中で、平常心として論語を身
につけたいですね。

昨晩は、「論語」本文から発展しつつ、いろいろな議論で盛り上が
り、一次会が11時まで続きました。

「とても偉い陽明学者の教え」を守っておられる方々(師友会や郷
学研究所)は、普段着の論語に興味はないのだろうか、とか、
生涯学習といって学ぶ一方で後進を指導しないのはよくない、人間
は学び教える存在を目指さなければならない、とか、
さらに、冷戦が終わっても環日本海の仕事が進まないのは、「暴走
した植民地=北朝鮮」の存在によるのだという朝鮮現代史について
のかなり突っ込んだ議論もありました。

さて、いよいよ「論語」も最終盤になりました。
次回の立山止観の会は、2月27日、次々回は3月4日。
482(子張)
子夏が言った、「大きい徳[孝や悌など]についてはきまりを踏み
越えないように。小さい徳[日常の容貌や振舞い]については出入
りがあっても宜しい。」から読みます。

得丸久文


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