791−1.憲法改正という政治ダイナミズム



フジサンケイグループ特別賞受賞論文
「憲法改正という政治ダイナミズム〜米中枢同時テロと占領憲法」

              関西学院大学商学部三年 図越 寛
 
 昨年九月十一日に勃発した米中枢同時テロは、直接攻撃を受けた
米国のみならず、我が国に於いても重要な意味があった。それは、
喫緊の課題として、対米支援のため日本から自衛隊を出動させたこ
とは一定の政治的責務を果たしたということは出来るが、本来ある
べき姿ではなかった。集団的自衛権に関して、権利はあるが行使は
出来ないという従来の内閣法制局の単なる一見解を、政治主導にて
解釈を変更し、「我が国は集団的自衛権を行使する」ということす
ら明言できなかった。政治主導とは有名無実である。日米安全保障
条約締結当初から指摘され続けている、我が国の国防政策を著しく
歪めてきた「片務条約」という性質を改善することは、今回またし
ても政府首脳の怠慢により遮られてしまった。戦時下における初の
海外派兵の根拠が、臨時に拵えられたテロ対策特別措置法という単
なる一法律であるというこの事実は、我が国の政治状況の著しい衰
退を示唆して余りある。

 もう指摘するのも陳腐な話であるが、自衛隊そのものの存在理由
すら法律的には怪しい。マッカッサー率いる占領軍により作成され
た現憲法典の第九条は、明らかに自衛隊を違憲と捉えている。それ
がまかり通っているのは、解釈改憲という姑息な手段であって、こ
の言葉の狡猾さによる我が国の政治的損失は甚だしい。占領期間を
経た講和条約発効後、つまり国家主権回復後、我が国は占領憲法の
改正を断行できなかった。結局は、吉田茂首相の現状維持論、つま
り占領憲法の改正を行わず、経済復興に集中するという、後に命名
された吉田ドクトリンという悪しき政策が採られ、その後の自民党
政治の下敷きとなった。吉田ドクトリンのもとで防衛庁・自衛隊は
発足したが、警察予備隊から自衛隊となったように、その発足過程
からして、自衛隊の存在価値は警察力の物理的増大という意味であ
った。それ故、国家の安全を身を挺して守る存在である軍隊が、憲
法上も位置付けられず、実態としての自衛隊も、省ではなく防衛庁
という形で政治機構上も不運な道のりを歩まされてきた。

 さて昨年は、我が国の独立主権国家としての態度が試されるとき
が多々あった。四月には、台湾の李登輝前総統の来日騒動があった
。周知の通り、中国と台湾には政治的対立があり、事大主義に陥っ
た日本の政治家並びに官僚が中国に傾斜し、チャイナ・スクールと
呼ばれる一派を形成して李登輝前総統の来日を妨害しようと画策し
た。これに憤慨した私は、見事来日が実現することになった
四月二十二日、関西国際空港において多くの心ある日本人と共に日
の丸で歓迎した。そして翌月には、偽造旅券により入国しようとし
て摘発された北朝鮮の金正日総書記の実の息子である金正男の身柄
を、即刻国外追放した。それは、あたかも面倒な事態を避けるため
の措置と思われた。しかも国外追放とはいえ、その追放の仕方は、
民間機の二階席を貸し切るという政府高官並の好待遇で、我が国の
外務省の高官も同席したという奇天烈な処置であった。北朝鮮とい
えば、ミサイル、スパイ船領海侵犯、朝鮮銀行問題、さらに日本人
拉致容疑等、諸々の難問が山積しているにもかかわらず、絶好の外
交カードをいとも簡単に手放すという失態を侵した。さらには、首
相の國神社参拝における中国・韓国からの恫喝に屈したことは、
日程を変更したことにより明らかである。こうした事態は、根本的
には、今まで一貫して国防を蔑ろにしてきたことの「代償」として
、「国防の精神」の欠乏が外交姿勢に現れたことによるものと思わ
れる。そして九月に勃発したのが、米中枢同時テロであった。

 自衛隊が国軍として憲法に明記されていないこの日本の政治状況
の中から戦時下に送られる自衛隊員の気持ちは如何ばかりだろうか
。今回、佐世保基地をはじめ、各基地からインド洋へ派兵された自
衛艦に対し、左翼過激派による反対運動がかまびすしい状況の中、
軍人たる自衛隊員は愛国心を抱き、誇りを持てるだろうか。自衛隊
員の愛国心と誇り、さらに地位と名誉を傷つけてきたのが国会であ
ることは、明らかである。そうした中、佐世保港では、九州の大学
の知人たち約二十名が、激励の横断幕・日の丸・手旗信号で自衛艦
隊を歓送したという。こうした心ある日本人こそが、日本に活力を
もたらす源となる筈である。

 平成の御代に於いて、バブル崩壊後、日本の政治・経済・社会の
停滞の原因は構造にあるのだから、今こそ果敢に構造改革を行うべ
し、と政治家・知識人を問わず主張され続けてきた。しかし、平成
どころか戦後の起点である日本国憲法による「国防の精神」の欠陥
を改正することが、最も日本に活力をもたらす構造改革であると確
信する。悠久の歴史を持った栄光ある日本の将来を担う次代に、禍
根を残さないために、勇気ある政治主導によって憲法改正という政
治ダイナミズムの大波を起こすことが、今「政治」という舞台に求
められていることである。

●土光杯論文に関して
 この論文の骨子は、三島由紀夫先生義挙の際に残された檄文(以
下に記したホームページに檄文全文が掲載されています)です。檄
文には「自衛隊はアメリカの傭兵」という過激な文言があります。
小生としては是非とも使いたかったのですが、流石に、親米保守(
米国追随型保守)である産経新聞では、これを使うことは出来ませ
んでした。
 
 一月十二日土曜日、土光杯終了後、小生が最も好んでいる知識人
である西部邁先生が主幹となっている月刊誌『発言者』に因んだ「
発言者塾」(二十日に一回開催)に初参加しました。そこで、受賞
の報告をしました。西部邁氏は、反米保守(自主独立型保守)です。
 
 当夜は赤坂御苑近くの大東塾の大東会館に一泊し、翌日は、東京
都府中市の多磨霊園に眠って居られる三島由紀夫先生の墓参(以下
に記したホームページ参照)に行って参りました。特別賞受賞の奉
告(神に告げること)と、檄文引用の御許しと、檄文を肝に銘記す
ることを誓いました。この多磨霊園には、その他、東郷平八郎海軍
元帥、山本五十六海軍元帥、阿南惟幾陸相、内村鑑三、江戸川乱歩
、児玉源太郎陸相、西園寺公望首相、田中義一首相、徳富蘇峰、新
渡戸稲造、美濃部達吉、山下奉文陸軍大将、吉野作造、与謝野晶子
、等がお眠りになって居ります。変わりどころでは、ドイツ人スパ
イ・ゾルゲがいます。
 
 さらに、東京西部の青梅(おうめ)市にある、大東神社に行って
来ました。御霊の鎮魂と慰霊・顕彰のためです。神社参拝と、影山
正治・鈴木正男両大人の墓参に行って来ました。この御社には、
影山正治塾長が祭られています。昨年10月3日に畏れ多くも大東
道場にて自決されました。鈴木正男代表は、4月2日に合祀祭が行
われるようです。さらに、ここには大東霊園があり、影山家之墓、
鈴木家之墓があり、昨年11月18日に、鈴木正男代表の納骨祭が
行われました。ここには大東農場もあり、牛を飼っています。乳牛
を農協におろしています。野菜も栽培して居ります。大東神社・霊
園・道場・農場は同じ場所にあります。JR立川駅から青梅線に乗
り換え、小作(おざく)駅で下車し、バスで10分のところにあり
ます。昭和14年4月3日に「昭和の松下村塾」たらむと念願して
設立した大東塾としては、本来的には、ここで「一族勤皇」「無窮
の勤皇」を目指して「勤皇村建設」を誓願、勤皇村の目的完遂にむ
かって邁進しているところです。

多磨霊園に眠る著名人たち(三島由紀夫先生の墓石画像・本名平岡
             公威きみたけ)
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/k-komatsu/y_mishima.htm
三島由紀夫研究会
http://www.nippon-nn.net/mishima/ 
檄文
http://www.nippon-nn.net/mishima/geki/
三島由紀夫追悼会「憂國忌」墓前(多磨霊園)奉告祭
http://www.nippon-nn.net/mishima/bozen/


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