777−1. ドイツ史



どうも、ドイツの歴史が重要になっているようですので、それを
検討しましょう。   Fより

1.ドイツとは
ドイツとライヒという名前がこの地域の地名として使われるが、
ディウティチという古ドイツの官庁用語が出現した。この語は、
民間という意味のラテン語。

英語のジャーマニーは、テウトニー民族のテュートンという語と同
じゲルマン民族の国から出ている。

2.ドイツ民族の範囲
ドイツはゲルマン民族の国家で、この民族自体が中央ヨーロッパに
分散している。このため、ドイツ国境は時代が違うと、その国境線
がまるで違う。
ドイツは、カール大帝のフランク帝国の分裂後に生じた東フランク
国がドイツ民族形成の始まりであった。

オーストリア、ルクセンブルク、アルザス・ロレーヌのフランス住
民、スイスの80%住民もドイツ人であり、東部においてもスラブ
人の居住地域にドイツ人が進入したため、この地域にも多数のドイ
ツ人が居る。これが紛争の大きな原因となっていた。オーデル・ナ
イセ川がポーランドとの国境になったために、戦後ドイツ国境以外
でのドイツ人が多数になっている。

3.ドイツの歴史
ドイツは、民族統一国家として成り立ったことがない。いつも複数
の国家の集合体としてあった。もう1つがローマ帝国に西南の一部
しか支配されずにいたため、ローマ文明の圏外にあった。このため
イギリスやフランスと違って、ゲルマン民族的な性格を最も保有し
ている。他方、常に西方、南方の文明に多大な関心をもたざるを得
ない。もた、それらの影響を受けた。フランク王国から独立後、
神聖ローマ帝国として、ローマの北部をも占めた統一的な時代があ
ったが、聖俗の戦いにより、諸侯の権力が強くなり、分裂する。
もう1つが商業都市が都市国家を作り、ある程度の自治を行ってい
る。これは日本の堺などと同じであろう。この商業の発展がルター
の宗教改革を招くことになる。この辺りの事情は小室さんの著書が
解説している。

ルターの宗教改革はローマ教会に対する反逆であるが、この事件が
近代を抉じ開けたとも言える。そして、このことによりゲルマン民
族意識を覚醒した。しかし、その反動もあり、外国の干渉を招き、
ドイツの統一ができずに、フランスのルイ王朝のようなフランス統
一ができなかった。ドイツは小国の分裂の中にあったが、ブランデ
ンブルグ=プロイセンが力をつけて、ドイツ民族の興隆の基をつく
ることとなる。

この興隆に一番大きな役割を演じたのがフリードリッヒ大王である
が、フランス文明の陶酔者でもあった。しかし、その当時ゲーテな
どのドイツ固有文化が出てきた。このフランスとドイツ文化の融合
により、複雑なそして独特な文化が形成された。また、ゲルマン民
族は米国に多くの移民を送っている。このため、米国ではゲルマン
民族とユダヤ民族が一番権力を持っている。

その後、ナチスが出て第2次世界大戦になり、米国と戦争になる。
ゲルマン同士の戦い。負けて、東西のドイツに分裂した。しかし、
ソ連崩壊後統一した。そして今、ドイツ民族の統一を目指して、
EUを行っている。このEUの東への拡大はドイツ民族のいる処ま
でであろう。エルトニアなどの回廊地域やクロアチアなどであろう
。トルコなどのイスラム圏は拒否している。


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