どうも、ドイツの歴史が重要になっているようですので、それを 検討しましょう。 Fより 1.ドイツとは ドイツとライヒという名前がこの地域の地名として使われるが、 ディウティチという古ドイツの官庁用語が出現した。この語は、 民間という意味のラテン語。 英語のジャーマニーは、テウトニー民族のテュートンという語と同 じゲルマン民族の国から出ている。 2.ドイツ民族の範囲 ドイツはゲルマン民族の国家で、この民族自体が中央ヨーロッパに 分散している。このため、ドイツ国境は時代が違うと、その国境線 がまるで違う。 ドイツは、カール大帝のフランク帝国の分裂後に生じた東フランク 国がドイツ民族形成の始まりであった。 オーストリア、ルクセンブルク、アルザス・ロレーヌのフランス住 民、スイスの80%住民もドイツ人であり、東部においてもスラブ 人の居住地域にドイツ人が進入したため、この地域にも多数のドイ ツ人が居る。これが紛争の大きな原因となっていた。オーデル・ナ イセ川がポーランドとの国境になったために、戦後ドイツ国境以外 でのドイツ人が多数になっている。 3.ドイツの歴史 ドイツは、民族統一国家として成り立ったことがない。いつも複数 の国家の集合体としてあった。もう1つがローマ帝国に西南の一部 しか支配されずにいたため、ローマ文明の圏外にあった。このため イギリスやフランスと違って、ゲルマン民族的な性格を最も保有し ている。他方、常に西方、南方の文明に多大な関心をもたざるを得 ない。もた、それらの影響を受けた。フランク王国から独立後、 神聖ローマ帝国として、ローマの北部をも占めた統一的な時代があ ったが、聖俗の戦いにより、諸侯の権力が強くなり、分裂する。 もう1つが商業都市が都市国家を作り、ある程度の自治を行ってい る。これは日本の堺などと同じであろう。この商業の発展がルター の宗教改革を招くことになる。この辺りの事情は小室さんの著書が 解説している。 ルターの宗教改革はローマ教会に対する反逆であるが、この事件が 近代を抉じ開けたとも言える。そして、このことによりゲルマン民 族意識を覚醒した。しかし、その反動もあり、外国の干渉を招き、 ドイツの統一ができずに、フランスのルイ王朝のようなフランス統 一ができなかった。ドイツは小国の分裂の中にあったが、ブランデ ンブルグ=プロイセンが力をつけて、ドイツ民族の興隆の基をつく ることとなる。 この興隆に一番大きな役割を演じたのがフリードリッヒ大王である が、フランス文明の陶酔者でもあった。しかし、その当時ゲーテな どのドイツ固有文化が出てきた。このフランスとドイツ文化の融合 により、複雑なそして独特な文化が形成された。また、ゲルマン民 族は米国に多くの移民を送っている。このため、米国ではゲルマン 民族とユダヤ民族が一番権力を持っている。 その後、ナチスが出て第2次世界大戦になり、米国と戦争になる。 ゲルマン同士の戦い。負けて、東西のドイツに分裂した。しかし、 ソ連崩壊後統一した。そして今、ドイツ民族の統一を目指して、 EUを行っている。このEUの東への拡大はドイツ民族のいる処ま でであろう。エルトニアなどの回廊地域やクロアチアなどであろう 。トルコなどのイスラム圏は拒否している。