773−1. 左翼的ジャーナリズムの本懐へコメント



no.749-1左翼的ジャーナリズムの本懐へコメント
kishizuka

左翼だ右翼だとか、21世紀はイデオロギーの時代ではないのでは?
冷戦構造が崩壊する前は、左翼だの右翼だの、保守だのリベラルだ
ので、単純にイデオロギーで政治勢力を仕分けできた。
21世紀はイデオロギーの対立軸がないのに、全面的にマスコミが
左翼とか反体制なんてありえるのでしょうか?

そういう仕分け自体がすでに過去の産物であって、今の日本にとっ
ては、そういった用語自体を使うこと自体が時代の変化に国民が
対応できていないという証拠ではないかと思う。

現在の日本の政治勢力はオールドライトとオールドレフと真中に
ポピュリストが居るという現状が神楽坂紅梅さんの意見の中に現わ
れたのだと思う。

今はイデオロギーの対立の時代ではありません。
しかし、私も日本の色々なシステムの中で民主主義にとって、一番
問題なのは政治家や官僚より日本のジャーナリズムであると思いま
す。

日本のジャーナリズムを批判するのなら、リベラルとか反体制とか
言うよりもそもそも全然取材していないとか、勉強も不足と言う点
ではないでしょうか。
例えば、ジャーナリスト自体が政策価値観をもって、政府の政策が
自分の政策価値観より悪ければ、批判し、カウンタープロポーザル
として、「では、こういう政策にしたほうがいい。なぜなら・・・
」と言う風になっていければマスコミがスキャンダル追っかけの
機関から、シュミレーションの機関になれると思う。今のマスコミ
の活動だけでは、単に文句をいうだけ、あるいは流行を作ったり煽
ったりしているだけだと思う。

「日本に記者はいるが、ジャーナリストは居ない」と言うのは、今
も事実であると思う。
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(Fのコメント)
石塚さんのいう通り。しかし、ジャーナリズムが本来の機能を満た
せば、このコラムも必要がないですね。日本は記者も評論家も不勉
強だと思う。YSさんの米国企業研究の方が、日本の有名な評論家
の言より日本には有効であろう。そして、もう少し、世界史や日本
史などの歴史を勉強してほしいものである。
その不勉強な評論家やジャーナリストが日本の言論を握っているた
め、日本の問題点が見えないのでしょうね。米国の大学教授や企業
家の方が勉強している。
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  左右両翼包む新潮流−日経       YS  
   
 日本経済新聞の編集委員である伊奈久喜さんが本日7日付けの「
風見鶏」で非常に興味深いコラムを書いていますよ。

ちなみに僕も反米と呼ばれると嫌なんですね。カントリーとかブル
ーグラスのCDがくさるほど我が家にあったりするんですね。素朴
な面は大好きなんですが、妙に結束を強めたときにはまったくの
別人に見えてしまうんです。
だから今のアメリカは怖い。ただし、熱狂から冷めてきた時、今度
もまた違った姿を見せるような気がします。そしておそらくその時
にアメリカの時代が終わりそうな気がします。こうしたアメリカ本
国に対する見方がこのコラムにないのは残念ですね。

まあ日本もそろそろ徹底的に議論すべき時期にきているのではない
でしょうか?

以下全文転載させていただきます。日経さん、すみません。
(転載開始)
■日本の「反米」を解剖する――左右両翼包む新潮流焦点に
「風見鶏」2002年1月7日日本経済新聞朝刊

●国際関係論にバンドワゴンと呼ぶ理論がある。「勝ち馬に乗る」
を意味する。
 アフガニスタンでの軍事作戦が始まって三カ月になる。国際社会
がほぼ一致してこれを支持したのは、二つの理由があったように思
える。
 一つは同時テロがいかなる立場からも正当化できなかったためだ
。もう一つが勝ち馬志向だったろう。
 世界最強の軍事力を持つ米国に異を唱えるのは、この際は賢明で
はない。イスラム諸国やロシア、中国がそう考えても不思議はない
。が、バンドワゴンへのためらいがなかったわけではない。
 あのテロはイスラムとは何かとともに、米国とは何かを問いかけ
た。イスラム圏だけでなく日本や欧州でも対米観をめぐる議論があ
った。米国の圧倒的優位がある限り、それは続く。

●米国の外交政策に基本的に反対する立場を「反米」主義と定義し
よう。日本には二つの反米主義があった。左右両翼のそれである。
 左翼反米主義は、ソ連、中国のような体制をよしとし、かつては
米国を「米帝国主義」と呼んだ。冷戦時代、とりわけ知識人に対す
る影響力を誇ったが、冷戦が終わり、体制の選択をめぐる議論が決
着して衰えた。
 右翼反米主義は、伝統的な日本をどこよりもよしとし、対米協調
を潔しとしない。影響力は冷戦終結と関係なく低位安定だったが、
不況が日本の対外評価をさらに下げ、欲求不満が強まれば、増勢に
転じる可能性がある。
 注目を要するのは新しい流れだ。核となるのは、いわば中道反米
主義である。旧来の左右両翼の反米主義と比べるために便宜的にそ
う呼ぼう。いくつかの特徴がある。

●第一に、この立場の人々の多くは、左右両翼の反米主義者と違い
、反米と呼ばれるのを嫌う。あるいは自分たちの言動が反米と見ら
れるのに気づかない。
 同盟国である日本の自衛隊がアフガニスタンでの軍事行動に協力
支援するのは、米国にとっては当然だった。これに対する反対論は
、米側には反米と映ったろう。それに気づかぬ反対論者が日本国内
には少なからずいた。
 第二に、この流れは実は旧来の左右両翼を包み込む。日本だけの
現象ではない。
 冷戦後、世界の左翼運動は左翼色を薄め、翼を中道に広げようと
した。このために環境政策を重視した。京都議定書をめぐる日米や
米欧間の摩擦は、左翼の変容と無関係ではなかったろう。
 歴史上例を見ない現在の米国の強さも反発を招いた。今回の軍事
行動は、日本でも右翼反米主義を刺激し、左翼、中道の反米主義に
合流させた。流れの幅は広がり、緩やかになった感もある。

●第三に、左右両翼を含む反米主義の基礎には、どこにでもある反
エリート主義がある。日本における「親米」の総本山のように見ら
れる外務省とて例外ではない。
 近年の事務次官は、ほぼ例外なく米国在勤か北米局の経験がある
。それがエリートの条件とされれば、他の人々は不満分子になりや
すい。
 中国、中東など米国絡みの政策をめぐる外務省内の意見対立は珍
しくない。調べると、非米国派の心の屈折が遠因だったりする。
 両翼の反米主義に比べ、中道反米主義には今日的な響きがある。
英国やドイツにもそれはある。その動向は米政府にとって注意を要
する。
 反米論に対する米国社会の反応はどうか。限られた取材からの判
断にすぎないが、それは隣国の一部メディアの毎度毎度の日本批判
に接した時の平均的日本人の思いに近い。わかる気がする。
(伊奈久喜氏 日本経済新聞編集委員) 

(転載終了)
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右翼も左翼もない世界        MN  

  私は、学生運動を知りません。
共産主義は歴史的必然だったと思うし、右翼思想は基本的な人間の
自己認識過程のプロセス中で階級社会に依存せざるえない性質の雛
形思想だと思ってます。左翼と右翼は、理想と現実の反目の一つで
すか。。。
 赤城さん・ジンさんへ
はじめまして。たまに投稿してます。
>私はアメリカの戦略戦術のなかに、人口調整の目標があるような
>気がしています。
 それなりの人はみんな考えてるんじゃないですか?
みんなが地球が一つだ、この外にでても生きられはしないんだとい
うことを「気づけ」ば問題ないんですが。投稿されてる方の一部の
方は、「ガイア理論」はあまり知らないのですか?
 前にも書いたような気がしますが、基本的には古代ギリシャ・ロ
ーマの大衆への「パンと見せ物」だと思います。「パン」が切れて
るんです。この間、記事なってました。9.11前から、米の景気
は後退してたと。「見せ物」は、機嫌を損ねるようなものは見せれ
んでしょう。アメリカは、ショー・ビジネスが得意ですから。
 やあ、私もつい最近、『文明の生態史観』と『文明の海洋史観』
読ませていただきました。おもしろいですね。
 思ったのですが、ユーロ圏が、米国のソマリアやイラクへの攻撃
への反発で、一方の北朝鮮は許すのを見てると、中国は、グローバ
リズムへの仲間入りを認めた。ということは、ここ最近の巨大企業
再編を踏まえても文化間の格差、文明間の格差を意識した「ポリス
化のグローバリズム」のような路線を描いてるのかなと思うところ
がたまにあります。
 そういえば、1月1日のユーロ記念コンサートの指揮者は小沢さ
んでした。日本も満更でない。ただ、週末の速水総裁のバーゼルク
ラブへの参加は、今週の日銀政策決定会合があり、その後のメリル
・リンチの撤退があった、右翼も左翼もない世界が来るような気が
してなりません。
 平和と戦争が天秤に掛けられている。「人として生きる」とは何
か?言うなればこれを問うべき時期にきてると私は感じてます。
 うーん、最近、アメ政への進出を考えてるんですよ〜〜。 


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