769−1. ローマ帝国の復活



ユーロの意味を考えることは今後の世界を占うこと。Fより

ユーロ圏とローマ帝国の範囲が同じであり、この4億人の市場は、
米国についで、大きな市場になった。また、YSさんではないが、
「鍋社会」というに相応しい社会の多様性を持っている。それは、
米国以上である。ドイツにはトルコ人がいるし、フランスには黒人
が移住しているため、白人だけでない多民族、多言語連合となって
いる。しかし、通貨は同じ、国境と言うもののほとんど感じない。

1歩進めて、ヨーロッパ合衆国連邦となれば、本当に米国以上の国
家になる。このため、ローマ帝国の復活と第1歩であろうと思う。

神聖ローマ帝国の再来と言うことらしい。神聖ローマ帝国はフラン
ク王国から独立し東フランク王国を経て、ローマ教皇から俗聖の
相互権利保護の目的で東フランク王国のオットー大帝をローマ皇帝
として、神聖ローマ帝国としたのです。イタリア北部とドイツ語圏
が、その帝国の範囲であった。このユーロの中央銀行がフランクフ
ルトにあるということが、面白い。神聖ローマ帝国の首都。そして
、特にフランクフルトはロスチャイルドの本家本元でもある、ここ
に中央銀行があるということは、米国ロックフェラーに挑戦する
ロスチャイルド復活がありえることになる。
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       ユーロはローマ帝国復活のことのようだ。

ユーロの12ヶ国 
 投稿者:sophiatp  投稿日: 01/02 Wed 02:46:09 (韋駄天掲示
板より転載)

 オーストリア、ベルギー、フィンランド、フランス、ドイツ、
ギリシャ、 アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ
、ポルトガル、スペイン
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 この中に、ローマ帝国の重要な要素が数多く含まれている。

・西ローマ帝国の地理的な後継者→イタリア
・西ローマ皇帝の理法上の後継者たる「神聖ローマ皇帝」のハブス
  ブルグ家の本拠地のオーストリア
・東ローマ帝国の継承者→ギリシャ

 コール前ドイツ首相は、「ローマ帝国の再来」といわんばかりの
大演説を行ったが、ユーロに加わらなかった英国・デンマーク・
スウェーデンは、「ローマ帝国」という観点から見れば主要な要素
ではない。一方、ギリシャの参加には、ユーロ実行委員会は大変腐
心している。
ユーロは新しい意味での「ノミスマ」(12世紀までの欧州・地中
海世界の「基軸通貨」であった)ではないのか? 
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         キリスト教とローマ帝国        
ユーロの視点が面白い。神聖ローマ帝国の復活であり、それはドイ
ツが中心になる。フランクフルトだ。イタリアではない。

伊閣僚はユーロに冷淡(共同通信) >キリスト教とローマ帝国 
 投稿者:sophiatp  投稿日: 01/03 Thu 16:29:25 
韋駄天掲示板から転載

>>マルティノ国防相も「ユーロ導入のあり方を考えると、ユーロは
>>失敗に終わるだろう。金融政策は一本化されたが、すべての人々
>>にとって良いわけではない」と悲観的な見方だ。

>イタリア人って、こういう所がいいですね。確かにどこかの誰かが
>自分達のために始めただけで、各国民が望んでやったわけではあり
>ませんので。ローマ帝国復活への先鞭を、ローマを戴くイタリア人
>が一番冷めた目で見ているというのは面白いです。

→キリスト教世界の考え方として、「異教ローマ帝国時代」、「キ
リスト教ローマ帝国時代」という考え方が存在する。
EU自体がキリスト教を事実上重要な柱としているため、彼らが目
指している「ローマ帝国の復興」とは「キリスト教ローマ帝国」で
ある。

312年 コンスタンティヌス1世 ミラノ勅令により、キリスト
     教を公認
324年 コンスタンティノーブル造営開始
325年 ニケーアの公会議
326年 聖墳墓教会の造営開始
330年 コンスタンティノーブルに遷都
381年 コンスタンティノーブル公会議
392年 テオドシウス1世 キリスト教を国教とする
395年 東西ローマ帝国に分裂
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〔西ローマ〕
476年 西ローマ最後の皇帝廃位
480年 帝位返上   
800年 カールの戴冠
962年 神聖ローマ帝国(〜1806年)
※皇帝の選挙はマインツ大司教が議長となり、フランクフルトで行
 う。
〔東ローマ〕
395年〜1453年(ラテン帝国は1204〜61)
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 ローマ帝国では3世紀以降、分割統治が頻繁に行われ、ローマを
首都とした統一統治形態にあるローマ帝国が「キリスト教」を重要
な柱としていた期間は殆ど無いのである。従って、現在のEUが理
想としている「ローマ帝国」は、「神聖ローマ帝国」である。神聖
ローマ帝国の名目上の首都はフランクフルトであり、マインツ大司
教の元に戴冠式が行われた。ユーロを発行している欧州中央銀行が
フランクフルトにあることは大変興味深いことである。

※現在、ドイツにはフランクフルトは2つ存在する。即ち、
Frankfurt am Main とFrankfurt an der Oder である。ここで登場
したフランクフルトは全て前者である。 
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       ローマ帝国        一言居士
私はかつて、お茶の水のニコライ堂(ロシア正教)の神父さんに
非礼にもビザンチン帝国とか東ローマ帝国と発言して注意されたこ
とがあります。東の人にとってみれば、東の「ローマ」が正当です。
西のローマは早い段階で滅んでしまって、この後東のローマが、
ローマ帝国の旧領の多くの部分を回復する時期があります。

 東の「ローマ」と15世紀まで対峙したイスラーム世界から見ても、
東のローマをローマといいます。現在でもトルコのヨーロッパ側の
領土はルメリア「ローマ人の土地」といいます。西側は長い間、フ
ランキスタン「フランク人の国」と呼ばれました。

>キリスト教世界の考え方として、「異教ローマ帝国時代」、「キ
>リスト教ローマ帝国時代」という考え方が存在する。

 キリスト教を国教としローマ帝国は、今度は教会を通して領土を
支配する体制を築き上げました、今度は、逆に多神教やキリスト教
内の「異端」を迫害しました。こうして、ギリシャ・ローマの神々
を崇める人もいなくなり、エジプトの神聖文字をよめる神官もいな
くなってしまったのです。これを「一神教革命」と言う人もいます。
 さらに、キリスト教徒でも帝国公認の三位一体を信じない人々を
弾圧しました。異端とされた宗派の人々は帝国領土外に逃れました。

>ローマ帝国では3世紀以降、分割統治が頻繁に行われ、ローマを
>首都とした統一統治形態にあるローマ帝国が「キリスト教」を重
>要な柱としていた期間は殆ど無いのである。
 
確かに期間は短いけれど、この期間は重要です。特に「東」ローマ
帝国は6世紀に地中海沿岸の旧領を一次回復しています。

 神聖ローマ帝国に限らず、ロシア帝国(現在のロシア共和国も、
ナポレオンも、ムッソリーニも第三帝国もローマを名乗ったことを
見ると、私は、むしろ東(正教圏、恐らくロシアまで)拡大するEUの
統一の象徴としてローマ帝国は適していると思います。

 この統合の象徴(ローマ帝国とキリスト教)では、トルコ等のイ
スラーム諸国までEUが拡大することは困難であると思えます。おそ
らく統一ヨーロッパに対して、地中海の対岸に位置するイスラーム
諸国にも統一の動きが出てくるかもしれません。統一の動きは、ナ
セルらのアラブ民族主義でかつて失敗しています。


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