ユーロの意味を考えることは今後の世界を占うこと。Fより ユーロ圏とローマ帝国の範囲が同じであり、この4億人の市場は、 米国についで、大きな市場になった。また、YSさんではないが、 「鍋社会」というに相応しい社会の多様性を持っている。それは、 米国以上である。ドイツにはトルコ人がいるし、フランスには黒人 が移住しているため、白人だけでない多民族、多言語連合となって いる。しかし、通貨は同じ、国境と言うもののほとんど感じない。 1歩進めて、ヨーロッパ合衆国連邦となれば、本当に米国以上の国 家になる。このため、ローマ帝国の復活と第1歩であろうと思う。 神聖ローマ帝国の再来と言うことらしい。神聖ローマ帝国はフラン ク王国から独立し東フランク王国を経て、ローマ教皇から俗聖の 相互権利保護の目的で東フランク王国のオットー大帝をローマ皇帝 として、神聖ローマ帝国としたのです。イタリア北部とドイツ語圏 が、その帝国の範囲であった。このユーロの中央銀行がフランクフ ルトにあるということが、面白い。神聖ローマ帝国の首都。そして 、特にフランクフルトはロスチャイルドの本家本元でもある、ここ に中央銀行があるということは、米国ロックフェラーに挑戦する ロスチャイルド復活がありえることになる。 ============================== ユーロはローマ帝国復活のことのようだ。 ユーロの12ヶ国 投稿者:sophiatp 投稿日: 01/02 Wed 02:46:09 (韋駄天掲示 板より転載) オーストリア、ベルギー、フィンランド、フランス、ドイツ、 ギリシャ、 アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ 、ポルトガル、スペイン ------------------------------------------------------------ この中に、ローマ帝国の重要な要素が数多く含まれている。 ・西ローマ帝国の地理的な後継者→イタリア ・西ローマ皇帝の理法上の後継者たる「神聖ローマ皇帝」のハブス ブルグ家の本拠地のオーストリア ・東ローマ帝国の継承者→ギリシャ コール前ドイツ首相は、「ローマ帝国の再来」といわんばかりの 大演説を行ったが、ユーロに加わらなかった英国・デンマーク・ スウェーデンは、「ローマ帝国」という観点から見れば主要な要素 ではない。一方、ギリシャの参加には、ユーロ実行委員会は大変腐 心している。 ユーロは新しい意味での「ノミスマ」(12世紀までの欧州・地中 海世界の「基軸通貨」であった)ではないのか? ============================== キリスト教とローマ帝国 ユーロの視点が面白い。神聖ローマ帝国の復活であり、それはドイ ツが中心になる。フランクフルトだ。イタリアではない。 伊閣僚はユーロに冷淡(共同通信) >キリスト教とローマ帝国 投稿者:sophiatp 投稿日: 01/03 Thu 16:29:25 韋駄天掲示板から転載 >>マルティノ国防相も「ユーロ導入のあり方を考えると、ユーロは >>失敗に終わるだろう。金融政策は一本化されたが、すべての人々 >>にとって良いわけではない」と悲観的な見方だ。 >イタリア人って、こういう所がいいですね。確かにどこかの誰かが >自分達のために始めただけで、各国民が望んでやったわけではあり >ませんので。ローマ帝国復活への先鞭を、ローマを戴くイタリア人 >が一番冷めた目で見ているというのは面白いです。 →キリスト教世界の考え方として、「異教ローマ帝国時代」、「キ リスト教ローマ帝国時代」という考え方が存在する。 EU自体がキリスト教を事実上重要な柱としているため、彼らが目 指している「ローマ帝国の復興」とは「キリスト教ローマ帝国」で ある。 312年 コンスタンティヌス1世 ミラノ勅令により、キリスト 教を公認 324年 コンスタンティノーブル造営開始 325年 ニケーアの公会議 326年 聖墳墓教会の造営開始 330年 コンスタンティノーブルに遷都 381年 コンスタンティノーブル公会議 392年 テオドシウス1世 キリスト教を国教とする 395年 東西ローマ帝国に分裂 -ーー--------------------------------------------------------- 〔西ローマ〕 476年 西ローマ最後の皇帝廃位 480年 帝位返上 800年 カールの戴冠 962年 神聖ローマ帝国(〜1806年) ※皇帝の選挙はマインツ大司教が議長となり、フランクフルトで行 う。 〔東ローマ〕 395年〜1453年(ラテン帝国は1204〜61) ------------------------------------------------------------ ローマ帝国では3世紀以降、分割統治が頻繁に行われ、ローマを 首都とした統一統治形態にあるローマ帝国が「キリスト教」を重要 な柱としていた期間は殆ど無いのである。従って、現在のEUが理 想としている「ローマ帝国」は、「神聖ローマ帝国」である。神聖 ローマ帝国の名目上の首都はフランクフルトであり、マインツ大司 教の元に戴冠式が行われた。ユーロを発行している欧州中央銀行が フランクフルトにあることは大変興味深いことである。 ※現在、ドイツにはフランクフルトは2つ存在する。即ち、 Frankfurt am Main とFrankfurt an der Oder である。ここで登場 したフランクフルトは全て前者である。 ============================== ローマ帝国 一言居士 私はかつて、お茶の水のニコライ堂(ロシア正教)の神父さんに 非礼にもビザンチン帝国とか東ローマ帝国と発言して注意されたこ とがあります。東の人にとってみれば、東の「ローマ」が正当です。 西のローマは早い段階で滅んでしまって、この後東のローマが、 ローマ帝国の旧領の多くの部分を回復する時期があります。 東の「ローマ」と15世紀まで対峙したイスラーム世界から見ても、 東のローマをローマといいます。現在でもトルコのヨーロッパ側の 領土はルメリア「ローマ人の土地」といいます。西側は長い間、フ ランキスタン「フランク人の国」と呼ばれました。 >キリスト教世界の考え方として、「異教ローマ帝国時代」、「キ >リスト教ローマ帝国時代」という考え方が存在する。 キリスト教を国教としローマ帝国は、今度は教会を通して領土を 支配する体制を築き上げました、今度は、逆に多神教やキリスト教 内の「異端」を迫害しました。こうして、ギリシャ・ローマの神々 を崇める人もいなくなり、エジプトの神聖文字をよめる神官もいな くなってしまったのです。これを「一神教革命」と言う人もいます。 さらに、キリスト教徒でも帝国公認の三位一体を信じない人々を 弾圧しました。異端とされた宗派の人々は帝国領土外に逃れました。 >ローマ帝国では3世紀以降、分割統治が頻繁に行われ、ローマを >首都とした統一統治形態にあるローマ帝国が「キリスト教」を重 >要な柱としていた期間は殆ど無いのである。 確かに期間は短いけれど、この期間は重要です。特に「東」ローマ 帝国は6世紀に地中海沿岸の旧領を一次回復しています。 神聖ローマ帝国に限らず、ロシア帝国(現在のロシア共和国も、 ナポレオンも、ムッソリーニも第三帝国もローマを名乗ったことを 見ると、私は、むしろ東(正教圏、恐らくロシアまで)拡大するEUの 統一の象徴としてローマ帝国は適していると思います。 この統合の象徴(ローマ帝国とキリスト教)では、トルコ等のイ スラーム諸国までEUが拡大することは困難であると思えます。おそ らく統一ヨーロッパに対して、地中海の対岸に位置するイスラーム 諸国にも統一の動きが出てくるかもしれません。統一の動きは、ナ セルらのアラブ民族主義でかつて失敗しています。