768−1. アイデンティティー



得丸です。
アイデンティティーって何なのかな?
人との違いというのでしょうか。
ID番号を付けるというのは、他者との区別のためですね。
こういう突っ込みはからんでいるみたいで申し訳ありませんが、
もちろんそういうつもりではないのです。
福田宏年「時が紡ぐ幻」を読んでいただくと、アイデンティティー
は、近代西洋文明でのみ有効な概念ではないかと思ってしまいます。

僕たちは、そんな特別な存在ではない。
ただひたすら先祖から子孫へと遺伝子を伝えるだけの存在。
普通の市井の人間。
それでいいじゃありませんか。

あとはいかに楽しく、文明生活を送るか、文化的に生きていくか、
に徹すればいい。
お金が多い少ないに頭を悩ます必要はないと思います。
お金がたくさんあれば幸せではないということを僕たちは学んだの
ではなかったかな?

コンピュータが買えない子供たちには、算盤と二進法を教えればい
い。洋服が買えない子供たちは、古着でもいい。
本が買えない子供たちには図書館がある。
僕たちは、いかようにでも文化的になれる環境にいるのです。
お金なんてちっともいらない。

大切なことは、テレビを必要以上見ないこと。
テレビゲームやパチンコのような時間潰しの娯楽(およびギャンブ
ル)をしないこと。

常に自分を豊かにすること、自分をより文化的に高めること、目の
前にいる家族や親戚や友人たちといっしょに楽しめる文化的な楽し
みを見つけること。
たとえば、和歌や俳句でもいい。
踊でも、盆栽でもいい。
これにはまったくお金はかからない。
だけど、とても大きな喜びを得ることができる。

生活保護もいらない。国家に保証してもらう必要もない。
誰にも何も期待するな。
ただ、ひたすら、自分の身体から何かを生み出すことを考えればい
い。
人のために役にたつ人間になれば、そしてある程度の食糧を得るこ
とができ、健康を維持できれば、飢え死にすることはないんじゃな
いかな。

健康管理だって、自分で相当のことはできますよ。
(もちろん病院のお世話にならないと直らない病気もあるけど)
病は気から。
だから悩むな、時間の無駄だ、健康によくない。

現代の日本人の一番の不幸は、江戸や戦前の日本人がもっていた教
養というものを失ってしまったこと。
テレビの前に坐っているだけで何も教養のない人間が増えたこと。
老人もほとんど駄目だね。
だから、老人から知恵をもらえるというわけでもないことが辛い。
自分で、自分の感覚を研ぎ澄まして、数代前には存在した豊かな生
活、文化的な生き方を捜し求めてみるといいと思う。

渡辺京二「逝きし世の面影」(葦書房)
「論語」や「孟子」など中国の古典。
新しいところでは、大道珠貴「背く子」、「ゆううつな苺」といっ
た小説。過去の文献や最近の小説を読んで、自分の意識の上に何か
を構築するためのきっかけを求めるべきだ。

世の中が絶望的になればなるほど、僕はうれしいね。
日本人が忘れていたものにすがろうとするようになるから。
もっと大人たちが勉強して、いい社会を作らなければならないのだ。

得丸久文

追伸:
神道の考え方では、僕たち一人一人が神なのです。
しいて言えばそれば僕たちのアイデンティティーではないでしょう
か。
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インターネット検索のすごいところは、マイナーな人物の名前で検
索しても、ちゃんと拾ってくるところだ。もちろん、誰かが入力し
てHPを作っているから検索にひっかかるわけで、むしろ賞賛すべき
はHPを作った人の情熱だろう。

度会延佳という江戸時代の神道家の名前で、こんな記事が拾えた。
(ジュディー・ラドン著 片桐すみ子訳 『輪廻を超えて』人文書
院 1996に関連したHP)

以下引用

古神道の記録を収集校訂し『陽復記』などの神道書を書いた十七世
紀の祠官の度会延佳の(略)『陽復記』にはつぎのように書 かれてい
る。
 「神とは鏡といふ和訓を一字略せしなれば、かの明徳を鏡にたと
へはべるに替る所もなし。誰も誰も心をかがみのごとくせば、吾が
心は則ち天御中主尊・天照大神に同じからんか。其の上、心は神明
の舎といへば、もとより人々の心中に神はやどりましませども、く
らましたる心は舎の戸を閉ぢたるがごとく、又鏡にさびうき、塵積
りたるに同じ。急ぎ神明の舎の戸を開き、鏡のさび・塵を去るべし
」

 つまりカミとはカガミのガの字が略されたものであり、心を鏡の
ようにみがけば、人間も神と同じになる
(のである)

以上

この境地を目指せば、不況もテロも何も恐くない。
心の中になんの不安もなくなる。
世界のありさまをあるがままに心に写して、自分が世界になればい
い。
得丸久文
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私も同じ考えかたです。
私が子供のころは、勿論テレビはありませんからラジオしかありま
せん。夕飯時には「一丁目1番地」や「紅孔雀」があり、子供は番組
を想像しながら聞いていたものです。

いまは得丸さん言うように、想像の必要がないのです。だから直接
、言葉として出すのです。想像がないと言う事は脳に刺激がないた
め、浮かぶ考えもありません。
と、なると画一された社会になりのは当然です。

孫などは、強いテレビの影響を受けています。
白川
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Domotoです。
得丸さんの言葉の切れはしなどから、思うことです。

>コンピュータが買えない子供たちには、算盤と二進法を教えれば
>いい。
>洋服が買えない子供たちは、古着でもいい。
>本が買えない子供たちには図書館がある。
>お金なんてちっともいらない。
>生活保護もいらない。国家に保証してもらう必要もない。

あなたは、貧しい子供の気持ちを考えたことがありますか?
テレビについてはほぼ同感ですが、「教養」とは人間のメンタリティ
ーのごく一部を形成するのに過ぎないものでしょう。
教養を重視するあなたの考え方は、「論語」などの儒家思想がバッ
クにあるのでしょうが、学問、知識自体を批判的、否定的に捉える
道家思想が、あなたもご存知のとおり中国にはあり、「タオ」とし
て呼ばれるこのほうが、世界的にも英訳での翻訳数が圧倒的に多い
そうです。

また、「教養人とは化粧の天才である。」という言葉もあります。
人間の値打ちは、教養とはまったく関係ないということですね。

>世の中が絶望的になればなるほど、僕はうれしいね。

長引く不況で、子供を抱えた中高年の自殺が相次ぎ、自殺者の数が
3年連続で3万人を超えている日本の社会にこの言葉は、孔子の説
く「仁」とは正反対のものではありませんか。
どうもと
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いろいろな方の意見を拝見しましたが、一番最初にどうもとさんの
ご意見に対応します。一番違っているから。

> あなたは、貧しい子供の気持ちを考えたことがありますか?

僕自身貧しい子供時代を送りました。(今でもそんなにお金はあり
ませんが。)
今でも僕は思います。高いお金を出して買ったコンピュータゲーム
や高級な玩具よりは、二進法や算盤のほうが心を育てる、心に染み
入ると。

電卓で計算が上手になっても、電池が切れたり、LSIが故障したらお
しまいです。でも、二進法の考え方や算盤の技は、手元に何もなく
ても役にたちます。算盤がなくても、空に算盤を使えます。あるい
は暗算もできます。

本当は、貧しいほうが、心が豊かになるのです。
身体を使って計算するほうが、計算機を使って計算するよりいいの
です。

今から日本の経済がおかしくなって、テレビゲームや高い玩具の遊
びができなくなれば、おそらく子供たちは自分で頭を使って遊びを
編み出すのではないでしょうか。そうなるべきです。

> 教養を重視するあなたの考え方は、「論語」などの儒家思想が
> バックにあるのでしょうが

儒家思想だけではないと思います。
もちろん教養という言葉の定義にもよりますが、僕の使った「教養
」というのは、「文化」に近い。後天的に意識の上に構築される知
恵と知識一般、ということができるかな。

学問や知識を否定してしまうということには、賛同できません。
いかにそれが多数派であろうと、そのような考え方を支持するつも
りはありません。

日本の全共闘世代、中国の文革世代の様子を思い出せば、学問や知
識を否定することのツケがどのように回ってくるかわかるというも
のではないでしょうか。

> 人間の値打ちは、教養とはまったく関係ないということですね。
私はそうは思いません。
あなたがそうおっしゃられても、少しも説得されません。

> 長引く不況で、子供を抱えた中高年の自殺が相次ぎ、自殺者の
> 数が3年連続で3万人を超えている日本の社会にこの言葉は、
> 孔子の説く「仁」とは正反対のものではありませんか。

不況で自殺者が出ているときに、それに賛成か反対かを議論するこ
とは、同罪でしょう。何も現実を変えていないのであれば。

むしろ、自殺者が出て、それでいいのか、と真剣に考え、それを乗
り越える人たちが生まれることを期待したいですね。

不況だから自殺するというのであれば、これから不況がますます深
刻化したらますます自殺者が増えるということを認めることになり
ますよね。どうもとさんの意見はちょっと短絡的というか、「不況
なら自殺」を肯定しているみたいに聞こえます。

不況でも自殺しない人間が育たないといけないのです。不況でも、
自殺することがないように周囲が支援できる社会にしなければなら
ないのです。

そのために身体性を取り戻す。宗教心・信仰を取り戻す。お金にと
らわれなくなる。そういったことが必要なのです。

神道の三種の神器の中に鏡がありますね。どうして鏡が神器なのか
。それは鏡の中に自分の顔が写るからなのです。自分の顔の中に、
先祖の遺伝子が見て取れるからです。

生命保険をかけて自殺する人は悲劇ですね。自殺すれば金が入ると
いうことがわかっているから。

それ以外で自殺する人は、裸一貫になって人生をやり直してみるこ
とをすすめますね。子供を抱えた中高年が安易に自殺するのは、
ぎりぎりのところまで自分を落とすだけの勇気がなかったからでは
ないかと思います。

くり返しますが、「不況だから自殺する」ことを肯定するのは間違
っていると思います。

得丸
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みんなそれぞれに勝手にすりゃーいいと思いますが。。。
「駄目」とかっていうレベルの問題でもないような気がします。

YS(双方向メディア企画製作中)
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白鳥です。(このMLは白鳥事務所のPCを使用しています)
空が書きます。

「みんなそれぞれに勝手にすりゃーいいと思いますが」ってか!
それを許したくないから書いているのが分かりませんか。

「駄目」とかっていうレベルの問題でもないような気がします。
レベルの問題ではなくて、イニシエーションが成り立たない世相を
感じているのですよ!

喜怒哀楽は人間が感情を持った時から存在するのです。それとも
あなたはマシーンの如く無感情で一生を遂げる自身がおありですか?

それぞれが自分に科した社会交差や感情融和を模索しながら生きて
いるのです。「勝手にすりゃーいい」と言われて「はいそうですか
」もないもんだ。あなたは自分の回りの人間があなた自身に被害を
及ぼすとしたらどうするのですか?「勝手に殺せば」と言ってみて
ください。

情緒の必要性と情操教育の見なおしを真剣に語り合ってる人に向け
て発する言葉ではないでしょう。

少しは反省してください。(違った意味であったのなら訂正してく
ださい)
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僕は得丸さんや白川さんが仰っていることについて十分理解してい
ますよ。しかし、共感はできますが、人様に押しつけたり、駄目扱
いするものでもないと思います。

自分がそう信じるのであれば、自らが黙々と実践すればいいと思い
ます。その意味の「それぞれに勝手にすりゃーいい」です。

何度も申し上げてきましたが、僕の理想は「鍋社会」です。
それぞれに個性があって、影響しあえばいいと思います。

YS
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白鳥です(このMLは白鳥事務所のPCを使用しています)
再び空が書きます。

いや、ちっとも分かっていらっしゃらない。白川さんは面識ありま
せんが得丸さんに関して言えば、ご尊顔を拝して「迷える子羊」を
自身でお認めになられて、なおかつ「こころよきは行動に移して」
を実践なさるお方だと思っております。賛意は求めていますが、人
様に押し付けたりするような方ではないと思いますよ。

文面の一部の言語を拾い出した読み方をなされる方にはそのように
覗えるのでしょうが「文字」を武器にした論戦を考えるのなら「全
体」の意味合いも重視なさって頂きたいと申し上げているのですが
・・・・・。

私はYSさんの仰る「鍋社会」も現実に結び付けていくべき理想だろ
うと思います。我がPSIUの言うところの『多種連結党』も同様の意
味ですから・・・。

しかし、得丸さんの言われる「アイディンティティー」も日本いや
世界中が考えるべき時期に来たんだと考えることもけして間違って
いないと思います。

白鳥も「温故知新」を常に心がけ、毎日の活動に生かすことを重要
と考えていると言っていました。なにせ富山県の山間地農業を堅守
していらっしゃるご老人と対話するのが活動なのですから・・・。

私が「イニシエーション」と言ったのは大人に成り切れない大人が
増え過ぎたことを「言葉」として表現するためであったのです。
しかし、これにしても意味を理解されない方には「虫食いパズル」
のような感覚でしか読んで頂けないのだと、以前に自称哲学者の方
に申し上げたのです。

全てがあなたと同じ教育や教養の方ではないのだと認識されるのな
ら、あなたの仰る「鍋社会」の中に自身の固執を押し付ける人種も
存在することをお考え頂きたく思います。

私は決してYSさんを否定しません。むしろ賛同申し上げたいと思
います。しかし、幼年期から少年期そして成年期に至る過程のプロ
セスは基盤と成るべく「何かしら」は必要だろうと思います。国家
によって、地方によって異なることはありますが「統制」や「統合
」は「統一」と若干、ニュアンスの隔たりを感じ得ません。「文字
」や「言葉」によって「意志」を伝えることは非常に困難です。

特に日本語は言葉が多く自身の考えるニュアンスにより近い言葉を
使うために「お金を求めるより、たくさんの言葉を得ることを求め
なさい」と、なるのではないのでしょうか。

騙されて買わされたと言わせるより、感謝を頂いた上に得た報酬を
我がPSIUは実践したいと思います。
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少し、私の意見も活かしていただければ。
私もみなさん方の意見は理解させていただいてます。
その上でですが。。。

私は、吉田松陰という人物を一つの尊敬のまなざしで見ています。
彼は、自分自身が年齢的限界から次の時代をつくることはできない
ことを見通し、「人材」を創ることに一生を捧げた。その後、その
「人材」がどのような結果を残したかは、全く議論するつもりはな
いですが、少なくとも明治維新に名を残しました。
私も事態の進展具合によっては松陰と同じ道を選択することも視野
に入れてます。
得丸さんの詩には、いつも心が澄んで柔らかくなるし、YSさんの
コラムは驚きと勉強の毎日です。
ただ、この間、私が国際戦略コラムに投稿したのをちょっと尊敬し
ている上司に見てもらいましたが、そのとき、「お前も分かってい
ると思うが、俺も実際にでかく動いている訳じゃないから偉そうな
ことは言えないが、こりゃ、明らかに自慰的行為だな。お前は「立
花 隆」にでも成りたいのか?」といわれて、「いいえ」と答えま
した。(われながら、いい会社に入ったなあと思い始めてる今日の
頃)

白川さんが
老人はだめだとかいっていたが、「いい老人」にお会いしてないの
ですかな?
世代や年齢は、関係ない。人傑やその芽を持った人間は、どこでも
必ず居るはずです。
私は、仕事柄、誰と会っても自由なので、誰とも会う。
嗅覚もあると思います。自分なりに「におい」はかぎ分けるよう努
めてます。その人の人生から出る「名ゼリフ」は、結構ありますよ。
どんな偉人の創った思想にしろ、理論にしろ、彼らは神様ではない
のだから、そのときどきの歴史的背景から生まれるものだと思います。
ただ、歴史は、点ではなくて線のはずだ。時間は常に流れれている。

過去のものは、いくらでも参考にさせていただこうと思い親身にな
って学ぶことはよいですが、最終的に未来への「ものさし」は、
自分で「胆力」と「責任」をもって創るべきじゃないかなと思いま
す。最後には、必ず、創る作業が要るはずです。

そういえば、昔、夏目漱石の「三四郎」か何かの冒頭だったかなあ、
「最近、えらいひどい風邪にかかって医者にかかりにいったら、『
何でも喰わにゃあいかんですよ。それで自然と丈夫になる。喰って
不味ければ出せばいいが、どんなものでもそこにあるんだから、
それなりの“味”があるもんですがね。」
というのがあったような気がします。(間違ってたら、お許しを)
最近、他国の宗教や神道を勉強してます。(先日は、霊能者に会っ
てきました。)

こんな時代だからかもしれませんが、一つの観点からのみとかちょ
っと何かに偏った意見というのは、本質にはなりきれないように思
います。

YSの「鍋社会」というのは「混ざり合った中での絶妙の調和」と
いうので賛成なんですが、そこも含めて、私は、今の人間らしい側
面も取り入れて、「教室」というのも見てるのですが。
生徒は、子供です。先生は、地球と宇宙。(ははは、相変わらすで
すかね。)

よっし、明日もがんばろう。
MN


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