新年あけましておめでとうございます。 −1− なじみの美容師さんが昨年春突然に睾丸ガンといわれて入院し抗が ん剤治療までしておられたのですが、なんと様々な民間療法を試み た結果、ガンが奇跡的に消えて昨年秋には職場復帰されました。 12月30日久々にその美容師さんに髪を切ってもらったときに、彼が 民間療法のひとつとして治療に通っている神社で越年の祭事がある のでいっしょに行かないかと誘われ、昨晩行ってきました。 そこは港区麻布十番のマンションの一室で、そこに住んでおられる 巫女さんが、室内に祭壇をもうけているものでした。こんな神社も あるのかと驚きましたが、講の形で行われることも多い御嶽山信仰 ではこれが当たり前なのだそうです。 10人以上の方といっしょにご祈祷に参加しましたが、けっこう若い 方もきておられたのには驚きました。他の方も病気になって、その 神社を知ったのでしょうか。 −2− 一夜明けて、今朝は、松陰神社で初詣。中学受験を控えた愚息に合 格祈願のお祓いをしていただきました。誰に似たのかおっちょこち ょいのあわて者の愚息でも、さすがに祭壇の前ではかしこまるとこ ろが面白い。その気持ちを失わずに受験せよ、と教えた親心でした。 宗教とは、信じることなのでしょうが、強い自分がいて何らかの構 築された論理・概念を信じる場合と、自分自身は無力であるが自然 の力を感じる感受性を意識の上に作り出す場合とでは、違う気がし ます。 強い自我が論理を信じるのは、一神教的であり、無力な弱い自我が 自然の力に畏れ入るというのが多神教的、神道的、なのではないか と思います。 私は一神教的な信仰あるいは宗教のあり方は、人間の思考の枠を超 えられないという限界があるような気がします。人間の思考の限界 を超えるためには、自分で考えるのではなく、宇宙や自然や世界の 法則や力を感じ取る必要があるのではないかと思うのです。 −3− 最近、中公新書で田中彰さんが「吉田松陰」を上梓され、学陽書房 ?から童門冬二さんがやはり「吉田松陰」を上梓されています。( ちなみに僕はどちらもまだ読んでいませんが) 21世紀の先の読めない時代だから、松陰がもてはやされるのでしょ うか。 今日、松陰神社のご祈祷の待合室で見かけた漫画がちょっと面白そ うだったので、ご紹介します。 「心鳴りやまず いま、吉田松陰とその母」 1999年11月21日発行 蒼馬社、952円 ISBN 4-88388-041-9 http://www.mmjp.or.jp/naito-net/new/kokonari/kokonari.html 吉田松陰について書かれた本で、私がよい本と感じるのはどんな本 かと思い返してみますと、松陰のものの考え方、勉強ぶり、心の動 きが感じ取れる本です。 つまりよい本とは、後世の私たちが、吉田松陰のように生きるため にもっとも参考となる本ということです。それは、松陰の意識を、 私たちの中に再現するための手引書(ガイドブック)です。 そのような視点から考えて一番いい本は、やはり講談社学術文庫の 吉田松陰著・近藤啓吾現代語訳の「講孟剳記」ではないかと思いま す。 凡百の松陰の解説や伝記を読むよりは、松陰自らの肉声が伝わって 来る「講孟剳記」一冊を読むほうが、より松陰の意識に近づける、 松陰を生きることができると思うのです。 得丸久文