5934.社会主義の幻想と限界



社会主義の幻想と限界 ――実際の経験を踏まえて――その1
               平成29年(2017)8月6日(日)  
             地球に謙虚に運動 代表 仲津 英治

  去る6月29日付けで、「社会主義の幻想と限界」と題して発信さ
せて頂き、20名近い方々からコメントを頂きました。
それらは、地球に謙虚に運動ホームページ のメッセージ欄に掲載
させて頂きました。有難うございました。

 今回は、それらを踏まえ、さらに自らの実際の経験をベースに発
信させて頂きたく思います。文章が長くなりますので2回に分けてお
送りします。よろしくお願いします。

1.	左翼系諸兄の思い込み的感覚
 学生時代(昭和38年(1963)前後)に、自治会の役員を担っているあ
る学生に「中ソ対立」(社会主義国の中国(中華人民共和国)とソ連
(ソヴィエト社会主義共和国連邦の略)についてどう思うか、と照
会したところ、「嘘ちゃうか」との返答が返って来ました。
 しかし、1960年代からどんどん両国間での対立が公になり、「中
ソのいずれが、社会主義の原点に照らして正しいか」というような
論争が両者間で行なわれていることが報じられるようになっていま
した。左翼系学生団体もソ連派&中国派に分かれ始めたようです。
 私は歴史の専門家ではありませんが、知見する限り、歴史上長い
国境を接する二つの国が、仲の良い状態をそんなに長く続けられて
いる例は無いのです。しかもロシア人、中国人とも対外進出的体質
を持っています。東方へ東方へと資源を求めてシベリア大陸を東進
して行き、不凍港を求めて常に進出して行ったのがロシア人であり
、一国に纏まると西へ、東へとあるいは海洋へと進出する歴史を繰
り返しているのが中国人です。最近南シナ海を我が物と言い出した
のは、記憶に新しいところでしょう。
 膨張主義の両者、両国関係が良い状態である時期の方が、むしろ
異常状態と言った方が良いでしょう。皆様いかが思われますか?
 
 また、国鉄時代、昭和55年(1980)頃、ある組合の地方本部の委員
長が中国の現地を見て「中国は進んでいる、素晴らしい国だ」と言
うので、「中国ではステンレス車両は走っているか?アルミ車両は
見たか?自動信号システムは導入されているか?」と問い質してみ
たのです。すると件の委員長は「技術は資本家のためのものだ。労
働者から搾取することにつながるだけだ」という趣旨の言を、怒り
を込めて返して来ました。
 今日、鉄道の例を見ても、技術の進歩の成果は素晴らしいものが
ありましょう。アルミの軽量車両により更なる高速化が実現し、快
適なステンレス車両で通勤しているのは、会社の経営者であり、そ
こに働いている勤労者でしょう。鋼鉄車両から開放され、鉄錆びの
少ない保守の現場での労働環境は大幅に改善されています。自動信
号システムのおかげで安全・正確な鉄道サービスが供されています
。それらを享受しているのは労働者を含む、一般大衆のはずです。

 東海道新幹線初期の0系電車と最新型のN700系新幹線電車の比較
してみましょう。
 まず、最高速度は時速210キロから300キロまで向上しました。こ
れは電気技術の発達による車両性能の向上と車体にアルミ合金採用
を採用した軽量化のお陰です。車両が一両当たり60トンから40トン
に軽くなったお陰で、電力消費が速度向上にも関わらず、51%に減っ
ています。凄い成果です。そして線路もあまり傷まなくなり、夜間
の線路保守作業も大幅に軽減されています。これらは全て技術開発
の成果なのです。  
 参考資料
Wikipedia
JR東海資料;eeco.jr-central.co.jp/vision/index.html

  上記学生と委員長に共通しているのは、思い込みの強さと認識
の単純さです。
 特に後者の委員長のような程度の見識・認識の人物が、社会党の
有力な支持者であり、党勢の中で重要なウエイトを占めていたので
すから、社会党はいずれ没落するであろうと、私は思いました。案
の定、日本社会党は3分の1の壁を越えられず、政策政党足り得ない
ところ、平成6年(1994)年村山委員長を首班とする自社さ政権発足後
、社会党は旧政策を180度転換しました。結果昔からの支持者から
も見放され、平成8年(1996)政党としては消散してしまいました。

2.	国鉄の生産性運動の失敗と国労・動労などの増長
 昭和44年(1969)前後、国鉄の職場は荒廃しつつあり、生産性も低
下しがちでした。私の体験した車両検修職場で実質労働時間は、拘
束時間の半分くらいであったと記憶しています。一般の工場で仕事
したことのある職員が「いやあ、国鉄職員は働かんわ」と言ってい
ました。そこで、当時の国鉄当局は日本生産性本部の協力を得て、
「生産性向上運動」に取り組み始めたのです。
 マル生と略称されたこの運動の趣旨は良かったのですが、国労・
動労組合員に対する組織的とも言える脱退・鉄労移籍工作が問題化
し、国労・動労は日本社会党・日本共産党の支援も得て国鉄当局と
対決する姿勢を見せ、反マル生闘争を展開したのです。
 昭和46年(1971))10月、公共企業体等労働委員会(現:中央労働委
員会)は、国労、動労から当局による組合運動介入であると提訴さ
れた16件のうち、2件について「黒」と判定、当局による不当労働行
為だと判断・勧告しています。マスコミもマル生がすべて誤りであ
るとの論陣を張り、10月11日、当時の磯崎叡総裁が国会で陳謝する
ことになり運動は失敗に終わっています。この辺りの情報は、下記
によっています。
マル生運動
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95

 このマスコミの報道姿勢が、大きく影響したことは確かです。世
論とは申せ、かなりマスコミが作り上げるところが大ですね。皮肉
なことに次に述べる昭和50年のスト権ストにおきましては、国労・
動労はマスコミを含む世論を敵に回し、得ることなく鉾を収めてい
ます。
 このマル生闘争勝利で勢いを得た国労・動労は、公共企業体職員
のスト権奪還を目指して「スト権スト」へ突入したのです。まさに
増長した両労組でした。

3.	昭和50年(1975年)スト権スト
 第二次世界大戦敗戦後の日本は、GHQ(General Head Quarter=連
合軍総司令部、マッカーサー最高司令官)の進めた、民主化&自由
化政策の下、憲法第28条で労働者の基本的権利を規定しました。
 労働基本権は、団結権、団体交渉権、争議権の3つの権利から構
成され、団結権は労働者が組合等を結成する権利であり、団体交渉
権は、組合が当局と団体で交渉する権利です。そして争議権とはス
トライキ権のことで、組合が自らの要求を満たしえない場合、スト
ライキ(同盟罷業)を持って、それらを実現するべく仕事を放棄す
る権利です。

 昭和22年(1947)、全国労働組合共同闘争委員会(全闘)が結成さ
れ、賃上げ要求を政府に要求しその回答期限は2月1日として、要求
を容れない場合は無期限ストに入る旨を政府に通告しました。所謂
2.1ゼネストです。ストによる在日米軍への補給網の寸断&通信網の
途絶により重大な危機が発生する事を警戒したGHQは、ゼネスト中止
指令を出し、全闘がそれに従ったのです。

 この2・1ゼネストから労働側に警戒感を抱いたGHQは、公務員のス
トライキ権を禁止し、三公社五現業もその対象となりました。ここ
で三公社五現業とは、国鉄、電電公社、専売公社の三公社及び、郵
便事業、国有林野事業、印刷事業(紙幣、切手等の印刷・発行)、造
幣局(貨幣等の製造・発行)及びアルコール専売事業の五現業を指
します。これら三公社五現業には公共企業体等労働関係法(公労法)
が適用され、争議権は無くなりました。そして昭和28年1953年、総
評加盟組合による公共企業体等労働組合協議会=公労協が結成され
、国労,全逓,全電通,全林野,動労,全専売,全印刷,全造幣,
アル専の9組合が加わったのです。

以降
社会主義の幻想と限界 ――実際の経験を踏まえて――その2 へ 続く
3・1 スト権スト突入

 しばらくその2をお楽しみにお待ち下さい。



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