5866.日本企業は日本教の宗派だ



前回の続きで、日本は、仕事が修行であり精神修養の場になってい
るが、このため、企業は宗教団体のような雰囲気がある。というこ
とで、検討を深めよう。  津田より

0.仕事は修行
摩訶止観では、無想の境地になる方法として、3つの方法を述べて
いる。常坐三昧、常行三昧、半座半行三昧の3つで、1つ目が座禅
、2つ目が称名念仏の日蓮宗と浄土真宗、3つ目が運動の繰り返し
の方法で、天理教になり武道にも取り入れられた。

このため、武道は、常行三昧での修行であるとなり、座禅と同じよ
うな精神修養になり、武士であった鈴木正三が農民になり、農業も
繰り返しの作業であり、武道と同じ修行とした。農民は常行三昧で
あるとしたのだ。

続いて、石田梅岩はすべての仕事は、繰り返しであるから常行三昧
であり、論語に沿った仕事をすれば、修行であり利潤を得ることも
正しいことであるとした。

このことで、日本では仕事は、坐禅と同じような修行となり、サラ
リーマン道ということばもできた。このような思想的なベースを持
つ日本が戦後、特に1990年のバブル崩壊後から、欧米の仕事は
悪という思想を、欧米を絶対とする学者たちが唱えている。

そして、それに影響されて、仕事は悪であり、休日を増やせという
運動になっている。これは日本文化の良さを台無しにしている。

1990年代、米国のクリントン政権は日本の仕事の仕方や休日が
少ないことを問題視して、仕事は悪という思想を日本に根付かせよ
うとした。

この方法として、仕事をマニュアル化することで、修行や精神修養
の基礎にある仕事の自主性や自立性を台無しにするべく、経営学か
ら仕事を強制的なモノにしたことによる。

もちろん、マニュアル化は重要であり、見える化して仕事を早く身
につけさせることは必要であるが、その後の創意工夫など、個人の
工夫による仕事の改善などの自主性、自立性が重要なのである。

しかし、会社も社員を2分化して、正社員とアルバイトや非正規社
員とに分けた。正社員には仕事を修行として与え、非正規社員など
にはマニュアル化して仕事を強制化した。

そして、企業も利益確保のために、非正規社員を増やし現在4割に
なっている。この非正規社員は、仕事は強制的なものであり修行で
はない。このため、社会全体も仕事は苦しいものになってしまった。

その結果、日本文化の劣化が起きている。特に仕事が修行であると
いう基本の部分を壊してしまっている。この非正規社員は育ってい
ないことで、人間的にも問題が大きいし、犯罪も増える事になる。

1.なぜ、仕事の自主性が重要か?
臨済禅では、解の無い問題を公案として考えることで、無用な考え
を止めて無想にしている。仕事の改善活動や仕事上での問題は、こ
の公案と同じである。その時点では正解のない前人未到の問題であ
る。この問題を考えている間は、個人的な問題を考える暇はない。
一生懸命に考えるということは、無想の境地にもする。臨済禅の境
地と同じである。

職人のような体を動かす仕事では、効率を上げる方法は、仕事の動
作で決まり、手の感触などで精度も取れるようになる。このため、
ある程度までは、職人芸を教えられるが、それ以降は個人の感覚で
磨くしかない領域になる。この部分になると修行になる。個人が頭
で考えることではなく、感覚を磨く必要になる。これも無想の境地
で感覚と向き合うしかない。

しかし、この前提は、仕事を改善させる個人の自由性が必要なので
ある。仕事の自立性、自主性が必要なのだ。

仕事に自立性、自主性があるので、逆に会社全体で運動会や個人の
誕生日や子供の誕生を祝い、会社が全個人を支配できるのである。

企業が全個人を支配する宗教性を帯びることになる。

2.稲森イズム
この日本企業に、2つの大きなチャレンジが待っている。1つが、
欧米に工場進出して、仕事は修行であるという思想を広めて行くこ
とになり、もう1つが、論語や宗教的な日本人が少なくなり、外人
を含めて仕事を修行と捉える企業文化を日本でも育成することが必
要になっている。

思想的には、石田梅岩の後、二宮尊徳が、経済と道徳の融和を訴え
、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元
されると説き、そして、戦後のQC活動で現場の人たちに公案を与
え、松下幸之助の事業部制などで、多くの人に大きな会社運営とい
う公案を拡散させ、京セラの稲盛和夫は、事業部制を少人数まで落
として、会社経営という公案を数人の1人まで置き渡らせいる。
日本航空が短時間に再建できたのは、この稲森イズムである。

仕事の自立性を高めて、自分が経営者と思える人を企業が多数育成
して、それぞれに仕事の問題や改善を考えさせる仕組みを確立して
いる。このように、公案を多くの人に与えて、無想の境地にしてい
るのが、日本企業の経営である。人が資産であり、その総和が企業
の力だとすると、日本企業が強いことになる。

しかし、女性まで企業が正社員化したことで、修行に耐えられない
ことで電通の社員のように自殺者を出してしまうことになっている。
女性まで正社員化することで、企業も修行の強さなどを調節する必
要になっている。無想の境地に行くまでの時間は人によるので、難
しい。特に女性の方が子供守るなどという自己の欲が強いような気
がするので、無想の境地に行くまでの時間がかかる可能性がある。

この稲森イズムは、中国企業やタイ企業にも浸透しているので、ア
ジアの仏教文化圏では、経営の仕事を与えれば、個人の修行は簡単
に根付かせる事ができたようだ。

それは仏教文化や儒教文化があるためである。日本の仕事文化は入
り込みやすい。このため、日本企業の方が1990年代から仕事を
強制化したことで日本文化の良さを去勢されてしまい、中国企業や
韓国企業、タイ企業に負けることになってきたのである。

3.キリスト教社会への進出
しかし、この経営の仕事を与えようとしても、欧米のブルーカラー
達は嫌がり、無理をすると賃金UPを要求してくる。仕事は悪であり
、人生を楽しむには遊びであるということだ。

このため、欧米などキリスト教地域では、日本の仕事で修行という
手法が使えなかった。しかし、欧米でもキリスト教から無宗教が増
えてきているので、企業という宗教の入り込む余地が出てきている
し、キリスト教には、無想の境地をいう心の状態を良しとする文化
さえなかった。この無想の境地という感覚は、最近マインドフルネ
スと英語化しているので、この感覚をも導入できる余地が出てきた。

ということで、無想の境地を得る方法としての仕事と、会社という
宗教が欧米でも大丈夫になった可能性が多いにある。今後に大きな
期待が持てることになってきた。

日本の使命は、無想の境地で世界的な問題を解決する人を作ること
であるが、その先兵である企業が欧米でも受け入れられるようであ
る。

4.日本宗教の現実
日本には、2つの問題がある。1つが、日本企業という大きな日本
教の宗派がいて、日本の宗教団体は、主に専業主婦層に布教活動を
していた。男性は日本企業に勤めて、サラリーマン道という宗派に
属していたので、精神修行を会社で行うので、宗教には熱心でなか
った。このため、宗教団体は家庭にいる主婦を布教のターゲットに
した。

しかし、女性の社会進出が盛んになり、女性まで日本企業に長く勤
めることで、精神修養を企業で行うので、日本の宗教団体の布教先
がなくなり始めている。宗教の信者数が少なくなる理由である。こ
のため、自営業者や会社を辞めた定年退職者をターゲットにするし
かない状態にある。

このため、寺院の集まりを見ると、老人しか見ないことになる。存
亡の危機である。

5.退職者の修行は
もう1つが、長年企業の公案で無想の境地を得ていた定年退職者が
問題である。退職後、皆一様にこれから旅行に趣味に生きるという
が、大体半年で飽きて、また就職したいという。これは趣味や旅行
では、無想の境地を味わえないことによる。

真剣に公案を考えることは、趣味や旅行ではないことでそうなる。
解決すべき課題がないからである。

ということで、仕事を続ける方が良いことになるが、管理職の数は
少なく、若い人に譲る必要があり、高齢者は、元の技術者や販売員
などに戻ることになるが、長い間離れていたことで感覚が戻らない
ことで、現場でも使い物にならないことになっている。

ということで、解決方法は、趣味を真剣に40歳当たりから初めて
、趣味を仕事化して、課題を作り、それを公案として無想の境地を
得ることである。または、宗教の信者となり、無想の境地を常坐三
昧や半座半行三昧で得る方法である。

というように、日本教は無想の境地への方法論となり、この日本教
の教主が天であり、天の象徴として天皇がいるという仕組みのよう
である。

さあ、日本企業はどうなりますか?


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