6257.ロ軍、ドニエプル川西岸から撤退



月曜日有料版2章途中までだけをお送りします。

ロ軍は、補給が困難なドニエプル川西岸から撤退の命令をショイグ
国防相は発出した。ロシアも長期戦に向けて体制を整備するようだ。
今後を検討しよう。 津田より

2.ウクライナ戦争の推移
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ウ軍は、ルハンスク州で交通の要衝のスバトボに向かっているが、
前進できていない。
しかし、ヘルソン州ドニエプル川西岸では、ロシア軍のジョイグ国
防相が撤退命令を発したことで、ロ軍は流れを打って、ノバ・カホ
フカに向かって移動している。これに対して、ウ軍は追撃戦をして
、州都ヘルソンを奪還した。ドニエプル川西岸をすべて奪還したよ
うである。

今までの流れを見ると、
02月24日 開戦
03月下旬 キーウ防衛成功
04月中旬 巡洋艦モスクワ撃沈
05月中旬 マリウポリ陥落
06月下旬 セベロドネツク撤退
06月下旬 ズミイヌイ島奪還
09月中旬 ハルキウ全土奪還
09月下旬 ロシア部分動員令(強制徴用で反戦運動が起こる)
11月初旬 州都ヘルソン奪還

開戦1カ月で首都キーウ防衛に成功し、開戦6カ月後にハルキウ州を
奪還し、開戦8カ月後に州都ヘルソンをも奪還することになった。
ウ軍の勝利ではあるが、その裏には米国の助けがあった。この米国
に変化が出てきた。

もう少し、詳しく言うと、
9月27日:ロシアがウクライナ4州の併合を問う住民投票を実施
9月30日:一方的な併合宣言
11月11日:ヘルソン州ヘルソン市をウクライナ軍が奪還
で、約42日間しか、ヘルソン市をロシア領にできなかったというこ
とである。

・南部ヘルソン州
ロ軍のスロビキン総司令官は9日、ドニプロ川西岸からのロ軍撤退
について、「ヘルソン市や隣接する複数の集落が現在陥っている戦
況では十分な補給や必要な機能維持などが見込めない」ことが理由
だを示した。

この撤退について、クレムリンの前で「裏切り者どもが!ボロ負け
じゃねえか!」と書かれたプラカードで撤退に抗議する人もいて、
強硬派のロシア国民には不評であるが、強硬派のカディロフとプリ
ゴージンは、この撤退を支持した。

ロ軍はヘルソン市内でネット回線や通信機器、電気・水道・電波塔
などのインフラを破壊した。

11日、ロシアは、ロ軍の正規軍の撤退は完了したと発表して、ドニ
エプル川の橋をすべて爆破した。しかし、ダム破壊はしなかった。

このため、橋を全て破壊されたことで、ヘルソン市は完全な陸の孤
島になり、このロ軍ヘルソン市守備隊は、完全に見捨てらた。

このため、ヘルソン市街で約16000人ほどのロ軍兵士は私服に着替え
て潜伏しているという。

その中、ヘルソン市庁舎にウ軍特殊部隊が到達。その後、安全を確
かめて、ヘルソン市の中心部にウ軍本体が到着し、これから、ロ軍
の残留部隊の掃討になる。ロ軍協力者も調査開始した。ロシア国籍
取得者も調べるようである。

ゼレンスキー大統領も11日、「ヘルソン市を奪還。歴史的な日だ」
と表明した。

もう1つ、ロ軍の防空兵器が、すでにドニプロ川東岸へ撤退済みの
ため、ウ軍のドローンが活発に動けることと、HIMARSなどの砲撃で
、脱出地点ベリスラフ・ベセル・アントノフスキー橋や対岸脱出先
カホフカで大渋滞して撤退するロ軍を大量排除した。ベリスラフで
はロ軍車列に対して、大量の爆撃がされていた。

撤退するロ軍は、最大3万人規模であり、「この戦力が川の南に引き
上げるには、数日間、いや、数週間はかかるだろう。継続的な砲撃
にさらされ、渡河能力が限られるなかでの撤退は、容易でもなく、
迅速でもないだろう」とマーク・ミリー米軍統合参謀本部議長はい
う。

以後は、有料版を見てください。

0.米国と欧州の状況
1.日本の状況



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