6019.ブータン紀行 その5 最終



ブータン紀行 その5 最終

                平成30年(2018)8月12日(日)
             地球に謙虚に運動 代表 仲津 英治

 7月初旬の西日本豪雨の後、猛暑が続いています。
 まだ、暑中と言いたいところですが、もう立秋が過ぎております。
 残暑、お見舞い申し上げます。どなた様もこの暑さを克服されん
ことを祈念しております。

  去る5月11日(金)から17日(木)まで、妻の希望もあって国民総幸福
量=GNH(Gross National Happiness)を国の指標とするブータン王国
へ行って参りました。ブータン国内では4泊し、国の在り方、国民生
活の過ごし方など、大いに勉強になりました。
  表面的だと思いますが、こういう世界があるということと強く認
識した次第です。今回のブータン紀行 その5で本紀行文の最後とな
ります。外交関係、国防問題&親日性等にも触れております。 
  何とか書き上げようと思ってキーボードに向っている内に10ペー
ジにもなってしまいました。
 最後までご一読戴くと幸甚です。

ブータンと情報化時代そして観光
 ブータンは内陸国で、外国からの影響を阻止するためか、1999年
6月までテレビ放送は禁止されていたとのことです。同年同月衛星
放送が解禁され、同時に地上波テレビ放送が開始、一日3時間ほど電
波が流されていたとのことです。テレビが禁止されていた時代もビ
デオ番組はかなり海賊版(インド、タイ作)の形で流されていたと
言います。文化というものは、禁止してもどこからか進入してくる
もので、改めてそのことを認識しました。

 5月12日(土)テインプーのホテルでテレビの全チャンネルをチェ
ックしました。何と29チャンネルもあり、テレビが市民の娯楽の筆
頭になっているなと感じました。自国民向け(地元)の放送を除いて
全て英語放送で、英国系BBCが1Ch.米国系CNNが2Ch.でした。そして
BBS(Bhutan Broadcasting Society)が3Ch.(ブータンの主要言語
ゾン語放送。一般にゾンカ語ともいいますが、ブータンに詳しい緒
方 正則教授によりますとゾンカのカは言語を意味するそうでゾン語
としました)と続いていました。BBSの放送はNHKのように2チャンネ
ルあり、加えて英語の放送もありました。総じて英語放送が多く、
今やブータン国民は、幼少の頃より、英語を視聴覚していることに
なります。街で英語が殆ど通じる(私の印象ではインドよりその割
合は高い)のもむべなるかな、と思いました。他にインドの放送が
多数入り、アルジャジーラの放送がアラブ語と英語でありました。
日本語&中国語のチャンネルはありませんでした。

 ブータン国内では諸外国からの異文化の乱入を防ぐ目的もあり、
1999年まで個人でのインターネットの利用は許可されていませんで
した。しかし今や、インターネット、E-Mailの影響で、情報の自由
化がどんどん進んでいます。一夫多婦制&一婦多夫性が崩壊し始め
たのもメロドラマの他、既述のようにインターネット、E-Mailの普
及が主要因と言われています。英語の出来る若者を中心に内陸山岳
国は大変動を起こしていると言えましょう。
1974年まで観光客は制限されて来ましたが、その後同年の年間274人
から2007年には21,094人に増えています。 ご参考;ブータンの制
限ツーリズムとGNH(Gross National Happiness) 親泊 素子
     http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I10220666-00

  観光業は、ブータンに取って、電力産業に次ぐ大きな存在になっ
てきているようです。
電力は、輸出先はインドに限られ、装置産業のため雇用をそう多く
は生みません。観光業は、そう大規模化しない範囲であれば、ブー
タンの環境や文化を破壊しないで、雇用を生み出し、所得も増やせ
、インド依存から抜け出せると政府は見ているようです。
 但し、ネパールのように高山を国際登山客に開放する考えは無い
ようです。

 そこで、欧米、日本、アジアの富裕層を呼び込み、質の高い旅行
をしてもらおうとメニューを工夫しているとのことです。今回の我
々の旅行も二人のガイドと車付きで、ホテル、移動、食事・ツアー
ガイドも全て手配済みでした。

  日本人のブータン旅行も増加しつつあります。2000年に875人だっ
た日本人訪問者は、急激に増加し、2012年には6,967人に達しました
。これはひとえに2011年の第5代国王夫妻の日本訪問を契機にブレー
クしたブータンブームのお陰です。
  大地震と津波に見舞われた年の国王夫妻の来日は、多くの日本人
に大きな感銘を与えました。 
   黎明期からのブータン観光―電報からインターネットへ― 日本
ブータン研究所 脇田 道子
   http://www.bhutanstudies.net/5959/

 将来も友好関係が継続・発展することを祈念しています。   

国防
 ブータン国民の、中国及び中国人に対する警戒心は、相当根強い
ものがあるようです。私は、2011年から2012年に掛けて、インド高
速鉄道の新設のための技術協力でインドに滞在中、インド人にも中
国及び中国人に対し、同様のことを感じたことがあります。これは
商習慣、金銭感覚などの違いから来るもののようでした。

 また、一方、下記のような情報がありました。
中国で起きている「宗教弾圧」の真実   https://www.excite.co.jp/News/society_g/20171105/Myjitsu_035546.html
  中国共産党政権は、宗教界への圧迫をずっと続けており、キリス
ト教のシンボル、十字架の撤去キャンペーンを実施し、多くの十字
架を撤去したり、破壊したりしています。宗教弾圧はキリスト教会
だけに向けられているわけではなく、イスラム教に対しても同様で
すね。イスラム教系学校はさまざまな制限を受け、ラマダンの月に
は、イスラム教徒に断食中止の命令が出されたりしているといいま
す。

  また、下記の既述がWikipediaにありました。
 1949年「中国共産党により中華人民共和国が成立すると、政府が
宗教活動を統制するために中国仏教協会が設立されてダライ・ラマ
は名誉会長を務めた。1960年代の文化大革命では極端な弾圧と破壊
が行われ、中でもチベット地域では、多数の寺院が破壊され、多数
の僧侶が虐殺され、ダライ・ラマ14世を初めとするチベット政府は
インドへ逃れざるを得なかった。

 「宗教は庶民に取ってアヘンである」とマルクスは言っており、宗
教を否定的に見做す、共産主義国家=中国は、今でもチベットで弾
圧を続けているようです。民族的には、チベット人が8割を占めるブ
ータンは、中国による圧迫、侵入を防ぐため、国防軍を組織してい
ます。但し兵役義務は無く、志願制ですが、20~25歳の男性には3年
以上の軍事訓練の義務があります。しかも陸海空三軍の内、在るの
は陸軍のみで、内陸国のため、海軍は無く、経費の掛かる空軍は有
していないとの事でした。

  そのブータンは国境を北と西は中国と、そして東南西はインドと
接しています(右図)。勢い、インドとの関係を強化せざるを得な
いのでしょう。ガイドのプブ・ツェリンさんに拠れば、中国の侵入
を防ぐためインド軍がブータン国内に数カ所の基地を持っており、
中国との国境に5,000人のインド兵(正式には軍事顧問団)が展開して
いるとのことでした。
 パロ国際空港周辺に鉄条網に囲まれた兵舎を見かけましたが、あ
れは多分ブータン軍でしょう。外務省の資料に下記のような情報が
ありました。
  インドと中国に囲まれたブータン
   http://indiaing.zening.info/map/Bhutan/index.htm             
   外務省 ブータン王国
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/data.html
  (3)インドとは,インド・ブータン条約において「インドの助言
」があったが,2007年3月の改定により同助言に     関する条項は
廃止され,経済協力,教育,保健,文化,スポーツ及び科学技術の
分野での協力関係の促進を謳っ    た新たな規定が盛り込まれた。
  (4)駐留外国軍	インド軍事顧問団(ティンプーその他主
要地点に駐留し,軍事支援を提供

男根像
  パロ、古都プナカを巡っている時、民家、農家の家々に男根の絵
が描かれ、土産物屋には男根の彫刻(日本のこけしの感じ)が陳列
されていました。プブ・ツェリンさんによると、それらは子々孫々
までの繁栄を祈るシンボルそして悪霊を払うシンボルでもあるそう
です。首都、テインプーでは見かけませんでした。ご関心のあるか
たは、次のURLをご覧下さい。
  近代化するブータン、男根像に「羞恥心」感じ始めた市民たち
  2011年9月7日  発信地:ティンプー/ブータン [ アジア・オセア
ニア ブータン ] 
  http://www.afpbb.com/articles/-/2824884

言語
 プブ・ツェリンさんにブータンの主要言語であるゾン語(ゾンカ
)における文法の基本を確認すると、主語、目的語&動詞の順だそ
うです。英語で言う“I have a book”を日本語では「私は一冊の本
を持っている」と言いますね。英語(独、仏、伊、西、露語なども
)では、“I have a book”のような基本的文章では、主語、動詞&
目的語=SVOの順で並びます。こういう言葉を話しする種族のことは
、インデイアン・ヨーロッピアン語族と呼ばれます。ところがゾン
語では、日本語と同じ語順、主語、目的語&動詞=SOVの構成だと言
うのです。つまりブータン人は、日本人、朝鮮人も属するハンガリ
アン・モンゴリアン語族のようです(ウラル・アルタイ語族という
言い方もあり、また異説もあるようですね)。

 同じヒマラヤの高山国ネパール人はSVOの構造の言語を話すとのこ
とで、インデイアン・ヨーロッピアン語族に属するのでしょう。同
じくヒマラヤ高地の構成国であるインドでは29種類の言語があると
伺ったことがありますが、文法の基本構成は皆SVOです。
  つまりブータンとネパールの間に言語も境界があることを知った
次第です。言い換えれば、ヒマラヤ高地が言語の分水嶺であったと
言うことです。

 ゾン語に用いられるチベット文字は、インド系の表音文字であり
、左から右へ綴ります。ブータンは小さい国でありながら、昔から
山を隔てた地域と地域の間で人の交流が少なく、長い間それぞれの
地域で独自の言語文化が発達してきて、19種類もの言語があるそう
ですね。
  そこで国としては、数あるブータン諸語の中でゾン語(ゾンカ)だ
けが唯一、文字を持っているため、国語に制定したとのことです。
そして、学校では国語としてゾン語も教えますが、教育における言
語は英語と定められているとのことです。

  英語の本格導入は、第2代国王の指導があったそうですね。当初英
国人を英語教師に採用し、現在はインド人教師だそうです。前述の
ように街行く人々は、かなりの高齢者を除いて、英会話が可能でし
た。官公庁、学校、会社などでは英語が実務的に使われているとの
ことです。

学校と生徒
  旅行中、登下校する生徒を見掛けました。制服があり、主に男女
別で登下校しているようです。明るい感じの子供が多かった印象を
持っています。   
  伝統衣装である民族衣装を着用していますね。男性用衣装はゴ
(Gho)、女性用衣装はキラ (Kira)と呼ばれています。冷涼なブー
タンの気候にあった生地、仕様を採用しているようです。政府庁舎
では伝統衣装の着用が国民に義務付けられて由。

イコールフッテイング?の考え
 5月12日(土)でしたか、パロ国際空港に近い国立博物館に案内され
た時に、その入場料金の掲示板を見て驚きました。随分と差異があ
るのです。
 博物館の入場料金: 観光客200、学生5、地元人10、僧侶&尼僧;無料
           単位 ブータン・ニュルタム(BTN) 
                                 1 BTN=1.62943 JPY 為替レー
ト Aug. 03,2018
 観光客の入場料金が200ニュルタム≒325円ですから、日本の相場
からすれば、妥当な線でしょうか。学生が5ニュルタム、地元人10ニ
ュルタムは無料に近いレベルですね。そして僧侶&尼僧は、本当に
無料でした。ここで地元人とはブータン人を指すそうです。

 私は、この入場料金の価格設定は、所得に応じたイコールフッテ
イングの考えを入れているなと思いました。またこの国の観光政策
として外国の富裕層を呼び込み、観光収入を増やす方策を展開して
いますが、その一環でもあるのでしょう。
  皆様この施策をいかが思われますか?

  ブータン人の一人当たり実質的国民所得はプブ・ツェリンさんに
拠れば、3,000米ドル位でネパール、バングラデシュ、インドよりも
高くかつ所得格差は小さいとのことでした。ブータンの一人当たり
GDPは2,460ドル(世界銀行、2013年)であるにもかかわらず、自給
自足が可能になり、実質の国民所得は高くなっているとのことです。

建築物と街の広がり
  今回、私どもの訪問先は西ブータンに限られていました。従って
中&東ブータンのことは判りません。しかし、プブ・ツェリンさん
によれば、そう大差は無い国情とのこと、西ブータンの印象を持っ
て、ブータンを代表させて戴きます。
    
  今回旅行中、車窓から見た感じでは、工事中のビルが多かったで
すね。観光需要が増えており、ホテル等が増えているそうです。高
層化も進んでいるようです。かつては全部平屋の家だったとか。所
得の向上に伴い、建築技術も向上し(鉄筋コンクリートの採用他)
、上層に行くほど面積が広がった5~6階建て以上のビルも建設で
きるようになって来たのでしょうか。左上の建設中のビルは、5階部
分の建築足場の組み立てに竹材を使用しています。野山を走った限
り、竹林を見たことがありません。インドから竹材を輸入している
そうです。香港でも竹の足場を多数見かけたことがあります。安さ
と軽さがメリットなのでしょうか?

 街は高層化するだけでなく、水平にも拡大して行っているようで
す。背景にはプブ・ツェリンさんによれば、電気の普及と水道の普
及があるようですね。水力発電設備は日本の技術&経済援助により
、整備されたことは、その1で述べた通りですが、水道の普及に関
しては、正確な情報を掴めていません。街中では台湾同様、ビルの
屋上に雨水タンクを設けている光景も見掛けました。一方テインプ
ーからパロへ向う途中、かなり大きな下水処理設備を見掛けました。
 生活・産業にはエネルギーが欠かせません。主な化石燃料はプロ
パンガスとのことで、 インドから陸路、輸入しているとのことで
した。 
 ビルの建設現場とか道路の工事現場で、多くのインド人を見かけ
ました。言わば建設ラッシュの状況のようで、人手不足なのでしょ
うか。土木工事にインド人を多く雇っているとのこと、建物の外装
、内装などはブータン人が担当しているとのことで、彼らの得意と
するところのようです。

治安状態                 
 首都テインプーの都心部を歩いて見ました。
 豊富な水力電気をバックに街路照明灯が多く設置されており、極
めて治安は良いことを感じました。ところが緒方氏によれば、実際
は、ティンプーは治安が悪くなりつつあり、夜10時以降の外出は
控えるようにと言われているとのことです。ます。ブータンの見か
けの失業率は日本とそう大差はありませんが、働き盛りの年代の失
業率は非常に高いとのことです。
 
日本の存在
 ブータン紀行 その2のところで述べました通り、ブータン農業の
父 ダショウ西岡氏がJICA専門家として技術協力に従事されていた時
から、日本は、ブータンに対し、多くの援助を行なって来ました。
 今回の旅行の際、プブ・ツェリンさんから、街を走っている救急
車を見かけた時、公的自動車、消防車、救急車、パトカーなどは、
全て日本から無償供与を受けたものです、と伺いました。そしてブ
ータン人の親日・日本好きの意識がさらに継続・発展しているとの
事でした。

 ある寺院で、特別にある仏像が安置されている部屋に案内された
ことがあります。他にも外国人観光客がいたのですが、我々夫婦だ
けがガイドされました。その時にプブ・ツェリンさんから上記の話
を伺ったのです。私はブータン式にひざまずき、額を床に着けて仏
像を拝ませて戴きました。

和紙作り
  さらに日本から供与された技術として、昔ながらの伝統的方法に
よる和紙作りがあります。帰国後下記ニュースを見つけました。
  ブータンの手すき紙の保護に日本支援 職人同士の技術交流30年(Sankei Biz)
  http://d.hatena.ne.jp/Bhutan_Tamako/20110521/1306061556   2016.4.5

 チベットとの交易で栄えたブータンでは古くから地方の家庭で手
漉き紙を生産し、仏教経典に使っていたそうで
す。しかし近代化で伝統保護に危機感を持ったブータン政府は昭和
61年(1986)、日本政府に協力を依頼し、和紙作りで約1,300年の歴史
がある島根県三隅町(現浜田市)が協力に乗り出しました。JICAの
研修生としてブータン人延べ14名が日本で研修を受け、日本から専
門家として延べ13名が派遣されています。
 下記URLをご覧下さい。
 ブータン王国・交流トップページ - 石州和紙
 http://www.sekishu.jp/bhutan/bhutan1.htm

 そして今や、ブータン製の和紙ノート製品は、紙幣にも使用され
、国際的商品になっているようですね。
  http://d.hatena.ne.jp/Bhutan_Tamako/20110521/1306061556
 私はブータンの国鳥「オグロヅル」を描いた作品を購入しました。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%85%E3%83%AB

さらに水力発電を充実
 20年以上前(1985年頃?)に無償資金協力で整備された小水力発電
所が現役で稼働中だそうです。

 無償経済・技術協力に続いて、円借款など有償経済協力も進行し
ています。平成19(2007)年度から事業を開始した初の円借款「地方
電化計画」は、電力公社の能力向上を目的とした技術協力とアジア
開発銀行による融資との相乗効果により電化率向上に貢献、プロジ
ェクト開始前は52パーセントだった電化率を97パーセントにまで引
き上げた、とのことです。
 水力発電においては、大掛かりな自然・環境破壊を伴うダムは作
りません。水路式発電のようです。前述の通り、電力はインドへ輸
出しており、自給率は400%に達しています。ブータンの貿易黒字は
電力販売が主体で、国家財政を支えています。

 今回、首都テインプーとパロの二箇所のホテルに泊まって実感じ
たのは、ホテルの電化設備の充実していることでした。照明はLED化
していたと思います。暖房設備は、コンパクトな電熱式ヒーターで
、洗濯物はこれで能く乾きました。冷房設備は、南部のインドに近
い低地を除いて、高山国なので必要ありません。

巨大なインドの存在
 今回のブータンは、初めての訪問国ですが、到着した瞬間からイ
ンドの存在が、ブータンにとっては巨大なものである、ということ
を感じました。
 工業製品は、インド製品が多く、自動車など高品質なものを提供
しているようです。農業製品は、果物などもインド産が多く、ブー
タンで自給できているのはリンゴ位かなと思えました。
 工業製品の例としては、かつてのブータンの民家の屋根は、板葺
きに重石を置いた構造であったらしいのですが、今は、ほとんどト
タン屋根に改修されています。トタンの供給元はインドの巨大コン
ツェルンTaTaグループに属する製鉄会社TaTa スチールです。

 前から述べている通り、ブータンの有力産業である水力電気の輸
出先はインドです。インドが自前発電能力を増やし、ブータンから
の電力購入を減らせば、ブータン経済はたちまち風邪を引くでしょ
う。ブータン経済の大半をインドが牛耳っている感じがします。
 また観光客も圧倒的にインド人が多く感じられました。パロで我
々が泊まっているホテルのロビーはインド人客で占領されていまし
た。
 但し、インド人客はバイキング方式の朝飯を大量に食って、昼食
&夕食を抜く客人が多いとのこと、いささか評判の悪いところもあり
ました。

 ブータン人は、商才に長け金銭感覚の鋭い中国人とは全くそりが
合わないところ、中国人を歓迎する空気は無いようでした。

ゴミを捨てなかったブータン人
 最後に純朴なブータン人の中に一部ながら、外国人、観光客と接
する中で、良い慣習を捨て、マナーの低下が見られるようになって
いる点を取り上げましょう。マナー低下は台湾の蘭嶼島のタオ族で
も起こっていました。
 (ご参考 仲津 英治 地球に謙虚に運動 代表発信欄No.26  
  ポリネシア系人 二つの軌跡 http://www5f.biglobe.ne.jp/~kenkyoni/

 ブプ・ツェリンさんがダショウ西岡氏の記念碑のある丘を紹介し
てくれた後、実はブータン人にも一部マナー低下が起こり始めてい
ると言いながら、パロ空港を望める高台に案内してくれました。そ
こにゴミ投棄の現場を見たのです。
 文明が若い人の一部に自然への敬愛の心を失なわしめているので
しょうか。かつてはブータンの人々は決してこんなことをしなかっ
たと、彼は嘆いていました。

 捨てられていたものは、缶、包装袋(プラスチック系)、ビニー
ル袋など地球上では自然に還って行かない素材で構成されているも
のばかりであったように記憶しています。
 タクツァン僧院に向う山道でも一箇所ゴミの山を見ております。

 長文、お付き合い、有難うございました。本稿その5を以ってブ
ータン紀行を終わらせて戴きます。
                          以上



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