2831.国際戦略論の認識



tomato

返答ありがとうございます
本人が抱いてした疑問の発端は、
歴史認識に力点を置こうという趣旨での批判でしたが、逆に当コラ
ムの歴史に無関心だったことが原因だったのだと恥ずかしく思いま
した。

ヘゲモニーは単位として捉えにくいものだと思います ヘゲモニー
の存在こそ体制の形成としてみるべきものでしょう。そして、そう
いう体制はどんな形であろうと変化を迎えるでしょう。
米方を支え続けてきた物質的富は損傷されてきているのは間違えあ
りません。目に見える、衰退の兆しとしてはっきり捉えられる時期
は代案のヘゲモニープロジェクト(物質的力を十分保持した上での
)の浮上のとき、このヘゲモニープロジェクトはその発端から正当
性を持っていなくてもいいのでしょう。

多くの利益を組めるシステムであれば自発的同意はおのずとついて
くる。その後安定の段階に入れば鋼のような名分が生まれてくる。

こういった軌跡を想像していると、
まだ米方に覇権の正当性があり、今ある衰退の兆しは代案のヘゲモ
ニープロジェクトが明確に浮上してない限り、弾力性のうちの変化
ではないかという気がするのです。

ヘゲモニーの移行期に待ち構えているのは混乱期だと思います。
そんな混乱期に突入していると捉える事も可能でしょう。ただ米方
への賛同が軍事経済の面でまだ多様な形である分、衰退・混乱期と
捉えにくいものがある。

NATOはEUに不必要のものになったのか?
米国の対中貿易赤字は中国に不必要なものになったのか?
米中台間の均衡、緊張は中台に不必要なのものになったか?
日米安保条約は不必要なものになったのか?

ただこれらの認識は‘まだ’という意味でのことであり ‘これか
ら’の変化を言うのではない。

こういった認識の違いは安定を求めバランスオブパワー以外の平和
は存在しないというディフェンシブリアリズムと覇権を握るまで国
家は止まってはいけないというオフェンシブリアリズムの違いなの
でしょう。



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