2818.現代という芸術  ロスタイム



現代という芸術  ロスタイム
From: 得丸公明

皆様、
先週の「もののあはれ」論の結論はこんなところになるのでしょうか。
「現代という芸術 ロスタイム」をお届けいたします。


現代という芸術    ロスタイム

 文明が生まれて以来、世界人口は、常に急カーブで増加した。産業革命後は、
1800年10億人、1900年15億人、1950年25億人となり、1987年に50億人、1999年に
60億人、現在は67億人以上となった。もはや世界人口は地球という空間の中で成
長の限界を超えている。文明化した環境は容易に自然に戻らないため、地球環境
問題は後戻り不能だ。どんな対策を考えて実行しても遅すぎて元に戻らない。対
策は、すべて無意味で、無駄である。。

 私たちは今日たまたま昨日と同じ生活を送っているが、明日はどうなるかわか
らない。ラグビーでは、試合終了時刻をすぎても主審の判断で逸失時間相当分を
プレーする「ロスタイム」がある。今日の人類文明はロスタイムに入っており、
突然ノーサイド(試合終了)の笛が鳴って、異常気象や食糧危機や地球規模汚染に
よる大混乱となっても驚いてはいけない。

 四季の折々の移り変わりがはっきりしていてそれぞれに美しい日本に生きる人
々は、無常、生死一如の思想をもっていて、桜吹雪や紅葉という滅びの美を愛し
てやまない。物語でも、平家物語や近松・心中物がもっとも人々の心をひきつけ
てきた。

 栄華と聞くと、いつまで続くのか、どう滅ぶのかと落ち着かないが、平氏一族
の滅亡やこの世で居場所のない二人の道行きには、安らぎや清涼感を感じる民族
である。落ちるところまで落ちることは明快だからか。

 地球環境問題はもうどうにもならない状態にあり、人類文明は滅びの時にある
と、みんなに本当のことを伝えれば、やっぱりそうか、そうだと思っていたよ、
本当のことを教えてくれてありがとう、ならばせめて恥ずかしくない滅び方をし
ようと、かえって気持を引き締める人も多いはずである。

 人類文明がたまたま今滅びつつあるのは、私たちの世代の責任ではない。これ
は人類の原罪なのだ。裸の皮膚をもった人類が、南アフリカの洞窟を一歩出たと
きに、環境問題は始まったのであり、インダス文明やメソポタミア文明のように
地域規模で文明はすでに何度も滅んできたのだ。たまたま今それが地球規模での
限界を超えただけだ。

 いまさら時間を後戻りできない。どこにも逃げ場はない。かくなるうえは覚悟
を決めて、子供や野生動物のように邪気のない純粋な心を持ち、人類文明の数々
の過ちを反省しつつ、文明の滅びにあたってできるだけたくさん物の哀を感じる
物語や詩を生みだして、お互いに共感しながら助け合いながら、いつ滅んでもい
いように、ロスタイムの一瞬一瞬を前向きに生きていこう。

(2007.11.30 おいらく期に、得丸公明)



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