もののあわれ・ご参考までに みなさま お久しぶりです。 さて、もののあはれ論議が盛んのようですが、 私がカナダに留学中に客員教授として来られていて、論文を書く際 にお世話になった百川敬仁先生(明治大学教授、そのときに私が読 んだ著書は「内なる宣長」(東大出版会)でした)。源氏物語と宣 長の研究者で、これらを天皇制と結びつけて論じられていました。 講演を聞いたときには、深く感銘しました。「思想」がないとさえ 言われる日本の「思想」の原点を説いていたからです。 論の詳細は、ちょっと考えないと思い出せないのですが(当時のノ ートがあるか探してみます)、 日本人の共同体的感性は、何かがあっても(喜びさえも)最後は「 しみじみとしてしまう」、「すべてを一種の悲哀のうちに受け止め る」といった「もののあはれ」にあり、それが日本人の思想形成の 核にあると説いていました。 得丸さんが、もののあわれ=悟り と言っていましたが、「最後に しみじみとした悲哀の気持ちで、物事を受け止める」のは日本的悟 りといえますね。ここで、普通は思考を止めてしまうから。 確かに、石牟礼さんの描く水俣病患者は、自らの悲劇に怒り狂うこ となく、しみじみとした悲哀の気持ちで受け止め、でもそれが強さ にもなって(これが強さになるところは極めて日本的だと思う)、 乗り越えていっていましたね。 袖川