2806.源氏物語1000年



源氏物語1000年
From得丸公明

皆様、

本居宣長の「紫文要領」と、副読本に石牟礼道子「苦海浄土 第二部 
神々の村」を指定させていただきましたが、なんと、来年は源氏物語が生まれて
1000年ということで、さまざまな事業が行われているということがわかりま
した。(詳しくはHPをご覧下さい)

「もののあはれ」についても、学びなおしたいということが言われています。保
田與重郎、神風連、本居宣長から、源氏物語へと今年は実にダイナミックな展開
をしているなあと、あはれを感じている次第です。

得丸公明

http://www.pref.kyoto.jp/2008genji/
 「源氏物語」千年という大きな節目を迎えて、人間性を深く洞察し、「ものの
あはれ」を知るという山紫水明のみやこに生まれたこの大切な思想を、私たち
は、いまもう一度学びなおしたいと思います。日本文化の根ともなったこの思想
を再評価し、広く国内外に発信していくことは、日本人の誇りを高め、自信を深
めるための絶好の機会となるでしょう。それは現代に生きる私たちの未来の日本
と世界に対する責務でもあります。
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Re: 日本文化優位の根源は   
   
 Fさま、

日本の歴史について、
最近書いた会報誌の原稿がありますので、
参考までに紹介申し上げます。

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操山歴史講座

 庶民が死んだら地面に穴を掘って埋めるが、首長が死んだら盛土をして頂上付近に埋
葬する。これを「墳丘墓」という。古墳の一歩手前の形態である。弥生時代後期、西日
本の主要地域では様々な形の墳丘墓が造られていた。そして、多様な墳丘墓、それぞれ
の特徴を融合させた「古墳」に変化する。それが世界に類を見ない日本独自の「前方後
円墳」である。さらに、この前方後円墳を頂点として前方後方墳→円墳→方墳の順番で
古墳の築造様式の標準化と序列化も行われ、日本の古墳は爛熟期を迎える。
 次いで、仏教が伝来すると、古墳から寺院へと葬儀形式が変わり、埋葬も土葬から火
葬へと変わっていく。奈良時代の到来は、その後の710年である。墳丘墓から古墳へ
の変化と衰退。この原始・古代の歴史を見るとき、日本における仏教の伝来が大きな転
換点になっていることが分かる。

 しかし、変わらないものもある。操山に登り、眼下に広がる上道平野を見下ろす。そ
こには所狭しと住宅が建ち並び、多くの人が暮らしている様子が見て取れる。今から1
千数百年前、いや、紀元前の時代から、この平野には村があり、水田が広がり、今ほど
の人口密度ではないにしても、多くの住居が建ち並んでいた。もしタイムスリップした
としたら、それらの家から食事を作る時の煙が立ち上っている様子も見ることができる
だろう。

 遠くに新幹線が走り去るのが見える。かつて、この地域は吉備の国の中枢であり、「
古代の神戸」ともいうべき栄華を誇っていた。そして、ここ吉備を起点に東西に伸びる
大規模な物流路も整備されていた。不思議なことに、その当時の物流路に沿った形で、
現在の山陽新幹線鉄道と山陽自動車道が走っている。人が土地で暮らすこと、それが遠
いはるか昔、原始・縄文の時代から現代に至るまで連綿として続いている事実。
 日常の雑事を忘れ歴史に思いを馳せると感慨深い。

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ちなみに、操山古墳群は130基ほど確認されていますが、
その多くが「横穴式石室墳」であり、古墳から寺院へと
移り変わっていく移行期(7世紀)に作られたものです。

この「横穴式古墳」は朝鮮半島の古墳と良く似ていますが、
築造方法が違います。半島の横穴式古墳は地面の上に置いた
棺おけの上に盛り土をしたり、途中まで盛り土をした所に
棺おけを置いて、さらに盛り土をしたものです。しかし、
日本の横穴式石室墳は、真横にトンネルを掘って作られたものです。

現在においても日本のトンネル技術が世界の最先端を行っている
ということと関係があるのかもしれません。

A Bee The FIrst 拝


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