2795.総理の一字



題名:総理の一字


                           日比野

1.総理の一字

福田総理就任からはや1ヶ月過ぎた。給油法でいきなり難しい国会
運営を迫られている。

1995年から、その年をイメージする漢字一字の公募を全国より
行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字
として、京都・清水寺にて発表する「今年の漢字」という行事があ
る。

昨年は「命」、一昨年は「愛」が選出された。

ふと、総理の行動基準や行動原理も一言で表すとどうなるのだろう
かと思い、小泉・安倍・福田総理について、つらつら考えてみたと
ころ、こんな「総理の一字」が浮かんできた。


小泉元総理は「信」。

言ったことはやる。とにかくやる。郵政解散の例などをあげるまで
もなく、言ったことを実現するためには手段を選ばないところはあ
ったけれど、小泉総理の出現で、政治家の指導力というものが、い
かほどのものなのか広く世間に知られるようになったことは間違い
ない。

小泉元総理自身も座右の銘として、「無信不立(信無くば立たず)」
をあげている。


安倍前総理は「国」。

日本を愛し、日本の「国」としての形、フレームを作ろうとした。
重要法案を次々と成立させた手腕はもっと評価されていい。戦後の
総理として、ここまで重要法案・改革法案を行いえた総理はいなか
ったのではないか。

安倍前総理の座右の銘は、「初心忘るべからず。」「至誠にして動
かざるもの、いまだこれ有らざるなり 」


そして、福田総理の一字はといえば、「安」ではないかと思う。

これは、安心の「安」であるし、民を安んずるの「安」でもあるし
、安全を守るの「安」でもある。

福田総理は所信表明演説で

「成熟した先進国となった我が国においては、生産第一という思考
から、国民の安全・安心が重視されなければならないという時代に
なったと認識すべきです。」

と述べているけれど、これは「安」をキーワードに、広く意見を聞
いて国政を治めていくという思考ではないかと思える。

小泉元総理や安倍前総理のように理念先行型だと、それについてこ
れる人は兎も角、ついていけない人はほったらかしになりがち。広
く国民全体へ安心を与えるという意味ではすこし落ちる。

人は、特に日本人はそうだと思うけれど、自分の意見を聞いてくれ
ると、その意見が採用されるされないに関わらず、「聞いてくれた
」、という事実に満足して安心してしまう。それだけ他人を信頼し
がちな国民性を持っている。

拉致被害者との面談で福田総理が「政府は一体。みなさんとも一体
になりたい。私を毛嫌いしないようにお願いします」と発言したと
いわれているけれど、自分の評判を知った上で、なおかつ総理とし
ての立場をわきまえた発言といえる。

そんな福田首相の座右の銘は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張
」

これは、やせ我慢の説をとなえた福沢諭吉に対して、勝海舟が返答
したもの。

福田総理がこれを座右の銘にするということは、自分が他人から十
分に理解されていない、または理解されにくいということを、自分
で自覚していることを意味してる。その上で自分の行動は自分で決
める、と。自分に相当自信がないとこんなことはいえない。

「藪の梅 ひとり気ままに 香りけり」

実はこれも勝海舟が詠んだ句。意外と福田総理はこの句を地でいく
のかもしれない。



2.聞く姿勢と国民の意識

福田総理の行動原理が「安」だとすると、「名を捨て実を取る」行
動は是とされる。結果として「安」になりさえすればよいから。も
し「国」が行動原理だと、あるべき姿を求めるから名は捨てられな
い。

安心と安全が最優先だから、「実」をさえ取れれば、「名」は特に
なくてもよい。それによって自分が誤解されようが構わない。行蔵
は我に存す、毀誉は他人の主張。

「安」を目的とした、「名を捨て実を取る」外交を行う場合、とも
すれば八方美人的な外交、顔のみえない外交になってしまいがち。

顔の見えない外交は、世界からみると理解されにくいということは
留意しておかないといけない。

大国に囲まれた小国ならいざ知らず、世界第2位の経済力を持つ、
有数の大国である日本が独自の国家戦略を持たないなんてあり得な
いと世界はみてる。

日本はもはや覇権主義ではないし、そんな野望も持ってないんだけ
れど、独自の国家戦略がみえないという事実そのものが、世界を疑
心暗鬼にさせる。

実は裏で世界制覇を狙っているのではないか、と。今の世界に日本
のような国があること自体が奇跡のようなものだけれど、もちろん
世界はそんなことは知らない。

だから、人の意見を聞く姿勢があるからこそ、外交の場においては
、なおさら日本の国家戦略と方針を説明して、各国首脳によくよく
理解しておいて貰う必要があるだろう。と同時にしたたかな面も見
せて、一目置かれるようにならないと、いいように食い物にされる
危険がある。なかなかに難しい。

小泉元総理をポピュリズムだといって、マスコミがよく批判してい
たけれど、実は福田総理こそが、このポピュリズムにならないよう
注意しないといけないと思う。

ポピュリズムは大衆迎合主義と訳されることもあるけれど、大衆に
迎合するということは、大衆のいうことを聞くということ。

大衆が望むことが本当にいつも正しいのかという命題を考えたとき
、民主国家は民度が高くないとうまく機能しない。感情に流されす
ぎると衆愚制に陥る。

普通、大衆はまず生きてゆくことを考えないといけないから、目先
のことを要求するし、その視野は自分の周囲だけであることが多い
。それは当たり前のこと。

だけど、全ての地域や業種において、それぞれの利害が対立しない
ことなんてあり得ないからどこかで調整しないといけない。それは
政治家の領分。

だから、福田総理の「安」の立脚点が、どこまでの時間の射程距離
を持っているかと、どこまでの視野で物事を捉えているかによって
、その判断は大きく左右される。

目先のことだけに囚われて、その場の利益を取った結果、あとで窮
地に陥るなんてよくある話。

それを防止するのは国民の民度の高さ。小泉元総理は、ただ自分は
こうするんだということを極めて分かりやすく国民に提示して、そ
れを国民が支持していったスタイルだったから、国民はその政策に
イエスかノーかだけを言えばよかった。

だけど、福田総理のように、皆さんの意見を聞かせてください、と
いうスタイルになると、逆に、国民がどこまで冷静な判断で意見を
上げることができるかが重要になってくる。

国民が政治家を育てるというけれど、福田総理が総理としての実績
をどこまであげられるかは国民自身の意識にかかっているように思
う。

(了)


コラム目次に戻る
トップページに戻る