2782.物の哀れをもっともわかっているのは、胎児性患者だった!



物の哀れをもっともわかっているのは、胎児性患者だった!
From:得丸公明

この連休中に、石牟礼道子「苦海浄土 第二部 神々の村」を読んでいて、最終
章に出てくる胎児性患者が母の背中で桜をめでる場面が、これこそ「もののあは
れ」であるなあと、しみじみ感じ入りました。

こうなると、胎児性患者は、不自由な体でありながら、もっとも物の哀れを知っ
ている、もっとも救われていて自由な、神に近い存在ではないかと思われてくる
のです。

さきほどは引用が長かったので、サビの部分だけ、再掲します。

得丸公明


 家の横は汽車の通り道で。トヨ子はその話ば背中で聞いております。ヘソの緒
切れても背中と胸でつながって、死ににゆきよるちゅうことの、わかっとりま
す。母しゃんといえませずに、ががしゃんちゅうて、

 ががしゃん、しゃくら、しゃくらの、あっこに、花(あな)の」

ががしゃんとしかいえずに、花ともいえませずに、あな、というて。背中でずり
落ちながらのびあがって、苦しか声でいうとですよ。

ーーー ああ、花ち。

 死んでゆく子が親に花ば見せて、かなわぬ指で花ば教えてあなた、この世の名
残りに。

 母しゃん母しゃん花みてゆこといいよるが。ああわたしは、この病気のはじ
まってから、昼も知らず夜も分らず、ただただ雲を掴むような夜昼じゃったが、
死んでゆく娘に教えられて目を上げましたら、桜の中にトヨ子の指のみえかくれ
して、ちりぢりふるえとる桜の雲でございました。


大よそ此物語五十四帖は、物のあはれをしるといふ一言にてつきぬべし、(略)
たとへばいみじくめでたき櫻の盛にさきたるを見て、めでたき花と見るは物の心
をしる也、めでたき花といふ事をわきまへしりて、さてさてめでたき花かなと思
ふが感ずる也、是即物の哀也、然るにいかほどめでたき花を見ても、めでたき花
と思はぬは物の心しらぬ也、さやうの人は、ましてめでたき花かなと感ずる事は
なき也、是物の哀しらぬ也、

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本居宣長「紫文要領」から、石牟礼道子「苦海浄土 第二部 神々の村」から
From: "Kimiaki Tokumaru (得丸公明)"

本居宣長「紫文要領」より

大よそ此物語五十四帖は、物のあはれをしるといふ一言にてつきぬべし、
その物の哀といふ事の味は、右にも段々いふごとく也、

猶くはしくいはば、世中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ耳にき
くにつけ、身にふるるにつけて、其よろづの事を心にあち

はへて、そのよろづの事の心をわが心にわきまへしる、是事の心をしる也、物の
心をしる也、物の哀をしるなり、

其中にも猶くはしくわけていはば、わきまへしる所は物の心事の心をしるといふ
もの也、わきまへしりて、其しなにしたがひて感ずる所

が物のあはれ也、たとへばいみじくめでたき櫻の盛にさきたるを見て、めでたき
花と見るは物の心をしる也、めでたき花といふ事をわきま

へしりて、さてさてめでたき花かなと思ふが感ずる也、是即物の哀也、

然るにいかほどめでたき花を見ても、めでたき花と思はぬは物の心しらぬ也、さ
やうの人は、ましてめでたき花かなと感ずる事はなき也

、是物の哀しらぬ也、

又人のおもきうれへにあひて、いたくかなしむを見聞て、さこそかなしからめと
をしはかるは、かなしかるべき事をしるゆへ也、是事の

心をしる也、そのかなしかるべき事々の心をしりて、さこそかなしからむと、わ
が心にもをしはかりて感ずるが物の哀也、そのかなりかる

べきいはれをしるときは、感ぜじと思ひけちても、自然としのびがたき心有て、
いや共感ぜねばならぬやうになる、是人情也、

物の哀しらぬ人は何共思はず、其かなしかるべき事の心をわきまへぬ故に、いか
ほど人のかなしむを見ても聞ても、わが心にはすこしも

あづからぬ故に、さこそと感ずる心なし、是等はただ一ツ二ツをあぐる也、是に
准じて、よろづの事の物の哀れといふ事を知べし、

その中に、かろく感ずると重く感ずるとのけぢめこそあれ、世にあらゆる事にみ
なそれぞれの物の哀はある事也、その感ずるところの事

に善悪邪正のかはりはあれ共、感ずる心は自然と、しのびぬところよりいづる物
なれば、わが心ながらわが心にもまかせぬ物にて、悪しく

邪なる事にても感ずる事ある也、是は悪しき事なれば感ずまじとは思ひても、自
然としのびぬ所より感ずる也、故に尋常の儒佛の道は、そ

のあしき事には感ずるをいましめて、悪しき方に感ぜぬやうにをしふる也、

歌物語は、その事にあたりて、物の心事の心をしりて感ずるをよき事として、其
事の善悪邪正はすててかかはらず、とにかくにその感ず

るところを物の哀しるといひて、いみじき事にはする也、物のあはれしるといふ
味右のごとし、されど右にいふ所はその大綱にして、猶其

中にはさまざまのしなある也、世の中にあらゆる事に、みなそれぞれに物の哀あ
る也、




石牟礼道子「苦海浄土 第二部 神々の村」第6章、「実る子」より

 踏切りのそばの溝口家を出発前にたずねた。積年のかなしみが、その面ざしを
ただただ美しくするということもある。トヨ子ちゃんのお

母さんはいつ逢っても、大きなまぶたを伏せたまま笑わなかった。

「死に支度ちゅうても、もう間に合いません。ああ、巡礼着ですね。早う揃えま
せんとね。気持ちはトヨ子の方にばかりゆくもんですから

。私も長うはなかろうで、生きとる間はわが身から離さんぞちいいよります。た
おれたところが死に場所ぞ。わたしはそう思うて、線路道

ばゆききします。江郷下の小母さんも水俣駅から線路道通って和子ちゃんば背負
うて来らしたが、線路はなあ、あの世とこの世ばつなぐ道

でございます。ようまあ、あの和子ちゃんも包帯巻きにされて線路に落ちもせず
に、わが家に戻って。

 解剖されても家にもどれてよかった。水俣病は町の道は通れませじゃった。線
路しか。
 家の横は汽車の通り道で。トヨ子はその話ば背中で聞いております。ヘソの緒
切れても背中と胸でつながって、死ににゆきよるちゅうこ

との、わかっとります。母しゃんといえませずに、ががしゃんちゅうて、
 ががしゃん、しゃくら、しゃくらの、あっこに、花(あな)の」

ががしゃんとしかいえずに、花ともいえませずに、あな、というて。背中でずり
落ちながらのびあがって、苦しか声でいうとですよ。
ーーー ああ、花し。
 死んでゆく子が親に花ば見せて、かなわぬ指で花ば教えてあなた、この世の名
残りに。

 母しゃん母しゃん花みてよこといいよるが。ああわたしは、この病気のはじ
まってから、昼も知らず夜も分らず、ただただ雲を掴むような夜昼じゃったが、
死んでゆく娘に教えられて目を上げましたら、桜の中にトヨ子の指のみえかくれ
して、ちりぢりふるえとる桜の雲でございました。



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