2772.思考は言語と言葉によって構成される



題名:思考は言語と言葉によって構成される


                           日比野

1.概念の論理演算 

「君の靴のサイズはいくつかね?」
「・・24です。」
「ほぉ、実に潔い数字だ。4の階乗だ。」

2006年に公開されてヒットとなった映画「博士の愛した数式」
では、80分しか記憶が持たない数学者の博士が、言葉の代わりに
数字を介して会話するシーンがふんだんにおりこまれている。

思考した結果は何某かの思想になって現れるけれど、その思想の構
造を分解していけば、様々な概念の連なりになる。要するに、概念
は数式化できるということ。その数式の演算結果が思想。

実際の学問に記号論理学というのがある。これは、言葉を代数学と
同様に文字や記号の列で表して、その変換について研究する学問。

記号論理学について、ウィキペディアではこう説明されている。

『たとえば「風が吹いた」という観念を文字Aで表し「桶屋が儲か
る」という観念を文字Bで表したとき、「風が吹いたならば桶屋が
儲かる(風が吹けば桶屋が儲かる)」という観念をA⇒Bで表した
りする。従ってこの場合、記号⇒は「ならば」という観念を表して
いる。』

だから思考の流れや構成を考えるということは、概念の論理演算式
を作ってみたり、概念同士の接続を考えるということになる。



2.演算式は作り、公式は発見する。

ある思考をするとき、様々な概念同士を接続して、論理の演算式を
構成していくけれど、思考の流れを考える時には、思考している言
語の語彙の基本語順も考慮しないといけない。

思考は頭の中でめぐらせるものだから、当然ある語彙の次にくる語
彙が一番意識される。いきおい語彙の語順は思考の流れに影響を与
える。

言語の語順による分類で有名なのが、主語(S)、目的語(O)、述語
(V)に三分類して、その語順で世界の言語を区別する方法。

今の言語はSVO型とSOV型の大きく2つで区分されている。世
界の言語の90%がこれら二つのうちのどちらかに該当するという
。英語はSVO型。日本語はSOV型。

概念同士の接続をエレクトロニクスの世界でいう論理回路設計に置
き換えてみると、SとOという概念をVという論理で接続している
回路構成になる。これが基本回路。

S:論理送信側の概念
V:出力されるデータ論理
O:論理受信側の概念

先ほど、語彙の順番に思考の結びつきが強くなるといったけれど、
この観点からSVO型とSOV型をみてみると面白い構図が浮かび
上がる。

SVO型はまず「自分:S」が「論理:V」を出力し「相手:O」
に伝達する。時間的に原因結果の連鎖を考えていく思考の流れにな
っている。演算項を順番に考えていく思考の流れだから、とても論
理的。最初から最後まで繋がっていて、体系化された思考を考えや
すい。

それに対して、SOV型は「自分:S」の隣に「相手:O」が存在
して、その間を繋ぐ「論理:V」を探してゆく思考の流れになる。
空間的に自分と他人の関係を把握してゆく思考。演算式というより
は、むしろ公式を発見してゆく考えに近い。だから思考が散漫にな
って、論理的厳密性は弱くなるきらいがある。思考の体系化も難し
い。

日本語はもちろんSOV型だけれど、価値観を建て増し構造にして
いる日本ではSOV型はとってもなじむ。自分と相手を繋ぐ論理を
発見していく思考の流れだから、自他それぞれの価値観をつなぐ公
式を見つけるのには向いている。



3.論理演算式の長さ

互いの概念同士を繋ぐ線(論理)には長さもある。

論理回路設計の世界でも信号送信側の論理ブロックと受信側の論理
ブロックの間が一定距離以上離れていると、その途中で中継となる
ブロックを挿入する。

長距離を線だけでつないでしまうと信号が伝送中に減衰して消えて
しまう。そうならないように信号を増幅・成形しなおす中継器をい
れる。

論理演算する思考でも同じ。互いの概念同士がかけ離れていて、距
離があればあるほど、一本の論理では結線が難しくなる。

無理に繋いでみても、その論理は飛躍しすぎていて、その論理は伝
送できない。特にSOV型の言語はSとOの間をVの論理で埋めて
いく思考の流れだから、SとOの間の距離感には注意が必要。

だから思考も前提と結論の間に何段もの中継となる概念を挟んで、
論理を構成してゆくことになる。互いの概念の距離が物凄く遠いと
、中継に挟む概念もどんどん増えていくから、演算式もどんどん長
くなってゆく。

先の「風が吹けば桶屋が儲かる」をSVO回路図的に図式化すると
こうなる。

初段目)  |風:S|⇒(V:吹く)⇒|O:土ぼこり|
                
2段目)⇒ |土ぼこり:S|⇒(V:立つ)⇒|O:目|

3段目)⇒ |目:S|⇒(V:入る)⇒|O:盲人|

4段目)⇒ |盲人:S|⇒(V:増える)⇒|O:猫皮|

5段目)⇒ |猫皮:S|⇒(V:不足する)⇒|O:猫|

6段目)⇒ |猫:S|⇒(V:殺される)⇒|O:猫|

7段目)⇒ |猫:S|⇒(V:減る)⇒|O:ねずみ|

8段目)⇒ |ねずみ:S|⇒(V:増える)⇒|O:ねずみ|

9段目)⇒ |ねずみ:S|⇒(V:齧る)⇒|O:桶|

10段目)⇒|桶:S|⇒(V:不足)⇒|O:桶屋|

最終段) ⇒|桶屋:S|⇒(V:儲かる)

実は、初段の「風が吹く」という概念と最終段の「桶屋が儲かる」
の間には2段〜10段の、合計9段の中継概念の論理ブロックがあ
る。

どんなに頭の回転が速い人でも、論理の演算式がひたすらに長いと
それだけ計算に時間がかかる。

結果、そういう長い論理演算式を使ったのでは、思想を紡ぎだすの
に時間ばかりかかってしまうことになる。

どんなに素晴らしい思想の論理演算式をつくったとしても、長すぎ
る式だと、実例を入力して、頭の中での論理演算と演算式の検証を
するのがとっても大変。式が長いと途中で計算ミスもしたりして。

そんな時、ありとあらゆるいろんな概念が小さな単位でブロック化
して用意されていると、それを使って、論理演算式を簡単に書き直
すことができる。式が短くなると演算時間も少なくてすむ。思想を
生み出す確率も上がる。

この概念を小さな単位でブロック化したものって何かというと、ち
ょうど単語がそれにあたる。



4.単語の回路構成

単語はそれだけで概念を表すことができる。その種類は、犬猫とい
った事象から抽象概念まで様々。

思考の論理演算式での概念ブロック(SまたはO)はほとんど単語
で表現できるから、単語の数や種類の多さ、端的にいえば単語の豊
富な言語って、思考の論理演算で使える概念の論理ブロックが沢山
用意されていることになる。いきおいいろんな回路が組める可能性
が増えていく。

日本語だと「魚」に関する単語が豊富だし、エスキモーは「雪」に
関する単語が豊富。

同じ「魚」をあらわす単語でも「ハマチ」と「ブリ」って出世魚の
名前で区別されていれば、それだけ繊細な論理を設計できることに
なる。単語の豊富さと種類って、概念の論理演算式での得手不得手
を規定してる。

その単語を更に分解していけば、素要素となる部分が組み合わさっ
ている。日本語でいえば、辺や旁。英語でいえば、接頭語や接尾語
なんかがそう。

金八先生のような説明をすれば、「歩くとは少し止まる」と書く。
歩く=少+止に分解できる。

だから単語という機能ブロックって、結構スケルトンで中の回路が
みえたりする。

エレクトロニクスでいえば、トランジスタやダイオードといった部
品レベルの回路図が見えるのと同じ。だから、明治期に外来語を一
生懸命和訳したのは物凄く意味があった。

概念をブラックボックスのままで放置せずに、中の回路図まで見せ
た。

その恩恵は計り知れない。知らない漢字でも偏と旁で意味を推測で
きる。日本人は漢字の回路図を読む力があるけれど、英単語ではそ
うはいかない。

英語の学習法で英単語を接頭語や接尾語に分解して覚える方式もあ
るけれど、漢字でいうと辺と旁の部分をまず覚えるようなもの。

だから、役所の文書で横文字が一杯入っている文章は、その横文字
の概念がわからなければそれっきり。日本人は、英単語の回路図が
読めないから意味が理解できない。しかもその横文字はカタカナで
表記されるから、回路図すら公開してない。とてもズルイ。



5.概念のマクロ化 

単語が豊富な言語は、回路化された論理機能ブロックの種類がたく
さんあるから、回路が簡単に組める利点があると述べたけれど、で
は単語レベルといった個別概念じゃなくて、有る程度大きい規模の
回路を組んで、エレクトロニクスの世界でいうマクロ化して、用意
している言語ってないのかというと、実はある。たとえばすこし昔
のインドがそれだった。

インドは掛け算の九九を19×19まで覚えることで知られている
けれど、一般知識も詠唱といって、歌にあわせて、知識を覚えてい
たそうだ。

たとえば、小学校向けの理科の教科書の地理では次の詠唱をする。

「祖国インドの北部には
 氷河の山脈二つあり
 カラコルムより西に流れるインダス河
 パンジャブを経てアラビア海
 ヒマラヤより東に流るるガンジス河
 デリーを経てベンガル湾」

単語だけじゃなくて、有る程度の大きさの概念をまとめて回路化し
た知識もある言語はそれだけで論理演算式を組むのに有利に働く。
マクロ同士を組み合わせることもできるから、思考のスケールも大
きくなる。

ただし、ひとつだけ条件があってマクロ化する回路は、なるべく長
持ちするものがいい。ITとか最先端学問とかその場のブームをマ
クロ化しても、使える期間が短くてすぐに役にたたなくなる。

インドの例では地理を上げたけれど、地形は1000年たってもあ
まり変わらないから有効なマクロになってる。

論理機能ブロックの種類がたくさんあれば、さらに上位層でいろん
な回路がくめる。大規模な回路がひとつのブロックに、マクロ化し
ていれば更に大規模回路になる。

組んだ思考の演算式の長さが思考を生むまでの時間に大きく影響す
るから、概念の基本ブロックやマクロ化した概念が沢山あればある
ほど有利。

でも、概念そのものを認知して、ブロックとして演算式の項を抽出
するのは人。その人が何を認知したかが重要。
 


6.実数と虚数

数には、対象物の数など直接をあらわす実数と、概念上の存在であ
る虚数が存在する。虚数は1545年にカルダノが3次方程式を解
く際に発見した、自乗して−1になる数のこと。ありえない数。

虚数を発見したカルダノ自身が虚数解について、次の言葉を残して
いる。

「それによって受ける精神的苦痛は忘れ、ただこれらの量を導入せ
よ」

でも虚数がなければ、現代科学の発展はありえなかった。量子力学
で波動関数というものを考えるとき絶対に虚数で考えないと実験と
合わないという。

目に見える事象をあらわした言葉を実数とするなら、目に見えない
抽象概念を表す言葉は虚数にあたるといっていい。

数学でも実数より虚数のほうが世界が広いように、目に見える事象
の世界より目にみえない抽象の世界が広いのだと思う。思考の数だ
け概念が発生するから。

思考が概念の論理演算とするならば、それは殆どが虚数を扱う、目
にみえない世界の出来事。

「博士の愛した数式」の映画の中で、博士は紙に書いた線は線分で
あって、本来の定義の直線ではないと説明した後、こう語りかける
。

「・・・真実の直線はどこにあるのか。それは、ここ(心)にしか
ない。物質にも、自然現象にも、感情にも左右されない永遠の真実
は目に見えないのだよ。目に見えない世界が目に見える世界を支え
ているんだ。肝心なことは心でみなくちゃ。」

虚数は概念上の存在のはずだけれど、先端物理学では「在る」もの
として扱われている。

人間の世界でも、愛や勇気なんかは目で見ることはできないし、触
ることもできないけれど「在る」ことを疑う人はいない。

これらの概念は「心」でみるもの。心でしか認識できないもの。虚
数も発見されたのであって、作り出されたわけじゃない。

真実の概念は心によって発見されてゆく。



7.心の言葉

思想の演算式は実部も虚部もひっくるめて演算式をたてる。目に見
える事象を実数項として。心でしか認識できない抽象概念を虚数項
として。

それらの項が各々回路接続され、思考の演算式ができあがる。

リアリストは実部演算式が中心で直ぐに役立つ論理演算を好む。役
に立つということは目に見える結果が出るということ。論理演算結
果としては、実数が答えに欲しい。

それに対して哲学者は虚数部も扱う。見つけた公式は、いつなんの
役にたつのかは、その時はわからない時もある。物理学者と数学者
の関係にも似ている。

お花畑だと揶揄することは簡単だけれど、いつ役に立つか判らない
ものの、その予想が美しくて、いつか日の目をみるだろうと皆が思
う論理演算をしている哲学者と、その演算式は間違っていると証明
されているのに、まだ部分的に正しい場合があるとか主張する人は
分けて考えたほうがいい。特殊条件でだけ成り立つ公式は美しくな
いし、汎用性がないから。

演算式をたてるのは思索者の自由。でも証明されないと真実とは認
められない。

思想の証明は、思想を奉じた人や国がどういう結果をもたらしたか
で証明される。

映画では、学術誌に証明を郵送した後、速達ではなかったと告げる
家政婦に、博士は応える。

「誰よりも早く真実に到達するのは大事だが、それよりも証明が美
しくなければ台無しだ。・・・本当に正しい証明は、一分の隙もな
い完全な強さとしなやかさが矛盾せず調和しているものなんだ」

きっと、思索者の思考を奉ずる人々が、完全な強さとしなやかさを
持って調和して生きるとき、その思想に正しい証明が与えられるの
だろう。

アウグスティヌスは、心の言葉こそが真に言葉と呼ぶにふさわしい
といった。心の言葉を項にしない思考の演算式は、すでに真実から
は遠いのかもしれない。

真の思考とは、心の言葉を項として論理演算式を組んだり、公式を
発見する試みであり、思考は言語と言葉で構成される。

その出発点は心で何をみたかということなのだ。
 

(了)


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