2764.仏教思想史5



チベット仏教の詳細を見よう。     Fより

チベットには、民族宗教としてボン教があった。シャーマニズム的
な呪術を重視する宗教であった。仏教はソンツエンガンポ王(617
〜649)の時にチベットに伝来した。従来のボン教と仏教が習合
したラマ教というチベット仏教になる。

同時代にトンミサンポータをインドに派遣して、文字や文法を学ば
せて、帰朝後チベット文字を制定し文法書を作らせた。このチベッ
ト文字で仏典を翻訳したのだ。

8世紀中にチーソンデーツアン王の時に、インドからシャーンタラ
クシタを迎えて、サム・イエ寺を建立した。そこで密教を伝え、そ
の秘密法により悪魔を調伏し、多くの奇蹟を行って人心を引き付け
た。

中国からも仏教がチベットに伝道されたが、頓悟を説く中国からの
僧に、インド密教が勝ち、インド密教にチベット仏教はなった。そ
の後、チベット仏教の堕落からボン教を排除し、12世紀後半のイ
ンド仏教の考えも取り入れて、現代のチベット仏教になっている。

チベット仏教は日本天台宗と同じで、インドの後期大乗仏教の中観
・唯識の大乗教学と「金剛頂経」系の密教が発展した密教との混合
形態であった。

このため、日本は密教国として、同じ密教であるチベット仏教を研
究してこなかったが、チベット動乱で多くのチベット人が欧米に逃
れたことで、欧州はチベット仏教を徹底的に研究できる環境になり
、ヒトラーやユングに影響を与え、かつ現在心理学に大きな影響を
与えている。

密教は5〜6世紀に原初形態ができ、13世紀まで存続する。しか
し、日本には8世紀までの密教しか伝来していない。9世紀以降の
密教理論を日本は研究していない。

密教は、「印」「真言」「曼荼羅」でできている。印とは手のポー
ズであり、真言(マントラ)とは呪術である。曼荼羅とは礼拝対象
の仏像や図絵である。

密教経典としては、「大日経」「金剛頂経」「理趣経」までは日本
にも来ているが、「秘密集会」父タントラ、「一切仏集会ダ吉尼戒
網喩伽」母タントラは、ナーディーやチャクラなどを想定し、呼吸
法や性エネルギーのコントロールをするヨーガ技法の記述がある後
期インド密教書であるが、日本には来ていない。

母タントラと父タントラを統合して「時輪タントラ」になる。この
時輪タントラは、従来の密教で扱われた多くの要素を集大成したも
のといえる。

そして、13世紀にヴィクラマシーマ仏教大学がイスラム教徒の攻
撃で炎上して、インド仏教は滅亡するが、その仏教大学の座主シャ
ーキャシュリーバドラは、ネパールを経由してチベットに亡命する。

このため、インド密教が残した膨大な仏教遺産を整理し体系化する
任務をチベット仏教は負ったのである。

現在、チベット仏教はすべて密教系であり、ゲルク、サギュー、
カギュー、ニンマの四大宗派になっている。チベット仏教はインド
からの仏教経典を「チベット大蔵経」にすべて収めている。

「秘密集会」父タントラは、「生起次第」と呼ばれ、女性の優しさ
やしなやかさと男性の力強さの統合が悟りの究極の姿と見ている。
実際に、瞑想・幻視の状態では、性的な区別はないし、理想は両性
の性格を持つことが重要であると見る。すべてを統合する曼荼羅に
大きな影響を与えた。

「一切仏集会ダ吉尼戒網喩伽」母タントラは、「究境次第」と呼ば
れ、4つのチャクラと3つのナーディー(脈管)を定義する生理学
説である。生死輪廻の世界も涅槃界は本質的に同一であり、この真
理を悟ることによって、殺生をこととする悪人でも疑いなく成仏で
きると説く。

「時輪タントラ」の教理は、「外・内・別の三時輪」のことで。外
とは宇宙全体のことで、内とは身体生理のこと、別とは「生起次第」
と「究境次第」の体系のこと。

このように密教は、インドからチベットに移植されて、現在まで引
き継がれているのである。


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