2750.仏教思想史3



中国の仏教思想史を検討しよう。      Fより

中国の仏教は、インド仏教を翻訳し、中国文化になじむように移植
するだけであったが、5世紀に鳩摩羅什がインド仏典を中国語に訳
して、中国語だけで仏教を勉強できるようになった。そして、7世
紀の玄奘三蔵がより中国語に相応しい訳語で新訳の仏典を作り直し
ている。

この中国語だけの仏教から鳩摩羅什の弟子・道生の頓悟(一度に全
部が分かる)という思想が出る。その後、中国では頓悟、漸悟の議
論が続く。道生は一切衆生にすべて仏性があり、どんな悪人でも成
仏できるとして、浄土教に影響している。

中国仏教は、初期に天台宗、三論宗、中期に律宗、法相宗、華厳宗
、密教がある。法華経を最上の経典とする天台宗の実質的な開祖、
智は、浙江省の天台山に登って仏教の全体系を確立しようと天台
教学を作る。これを最澄が日本に持ち帰る。

密教としては青龍寺の恵果が不空に従事した後、金剛頂経・大日経
の両系統の密教を統合した。この恵果に従事した空海が日本に戻り
、真言宗を開く。

中国仏教で隆盛したのが、達磨の禅と浄土教である。浄土教は民衆
の間に広まり、禅宗は山野に拠って自給自足の生活をする中国独自
の仏教を作る。

7世紀、唐時代になると、実践を尊ぶ禅宗は、中国人の心を捉えた。
この時代、仏教と儒教、仏教と道教との融合が起きたが、その媒介
が禅である。禅は今日、仏教とキリスト教の融合にも、その役目を
果たしている。世界に禅を広めたのが日本人の鈴木大拙である。

禅はヨーガの1つの手法であり、禅定に入ることと、より深い状態
の三昧を味わうことであった。そこには呼吸法や体位などいろいろ
と理論があった。

しかし、論理的な仏教体系から単に禅だけを独立させたのは、中国
仏教の創造である。神秀の漸修禅に対して頓悟禅を説き慧能は、禅
宗の六祖になる。その後、中国は2大禅宗になる。慧能系列の臨済
宗、曹洞宗になるが、このため、頓悟を目指し、心を無にすること
であるとなる。公案という課題を持って禅の境地に入る看話禅の臨
済宗と黙々と坐する黙照禅の曹洞宗になる。

善導が阿弥陀仏信仰の浄土教を大成する。インド仏教での念仏は、
正しく物を見るために、五停心観(ごじょうしんかん)という、
心を停止する観法であったが、それを善導は称名念仏をかなえるだ
けと念仏修行を簡単化した。称名念仏とは、「南無阿弥陀仏」のよ
うに仏の名号(みょうごう)を唱える行を指す。後の日本の法然・
親鸞に影響を与えた。

中国仏教はインド仏教の論理を簡単化して、論理より実践を重んじ
より大衆に受け入れられる仏教とした。


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