2741.仏教思想史2



今回は仏教の成立からインドの仏教史を見よう。   Fより

仏教は不思議な宗教である。一神教のような思いつめた一途なとこ
ろがない。このため、一度も宗教戦争を起こしていない。現世権力
とは一向一揆として反発した歴史があるが、欧州のような新旧キリ
スト教が起こすような宗教戦争はない。そして、仏教は包容的、寛
容的である。

ブッダは宗教集団を作ったが、教団はルーズな紐帯でしか結ばれて
いなかった。世界を支配する神もいないし、厳しい罰を与える神も
いない、いわば「誠実な道」常識的な戒律、自分の仏法に従って行
くだけである。このように中央からの統制がないことで、18から
20の部派にブッダが死んだ後に分裂する。

この仏教は異民族に受け入れられる。文化を育成する原動力でもあ
った。これは受け入れられるだけの普遍性、適合性があったからで
あろう。特に漢民族に受け入れられて、儒教や道教が新しい段階に
飛躍するための強い刺激を与えた。

仏教は後1世紀にガンダーラで仏像と言う仏教美術を得る。その仏
教美術は5世紀ごろに爛熟気に達する。この仏教美術が、ヒンズー
教に影響を与える。

ブッダは前5世紀の人である。ブッダはウパニシャドの権威主義か
ら離れた自由思想家の一群の一人である。同じ頃、中国では孔子や
その弟子が活躍していた諸子百家の時代である。ギリシャではピタ
ゴラスからソクラテスが活躍した時代である。

ブッダは釈迦族の王子として生まれ、一児ラーフラまでも受けたが
、29歳で出家する。そして、苦行の業を6年間行い、それでは救
われないと、禅定に入り悟りを得る。「中道」という教えである。

この時代、インドはバラモン教の時代で、最上位のバラモン階級し
か祭祀ができないという身分制度があったが、仏教は階級の差別を
撤廃し、誰でも平等に仏教者になれるとした。このような面でも、
ブッダは温和な包容力のある知性の豊かな教師と言う風情であった
と想像できる。

ブッダの説いた教説は、弟子たちによって経典や律典の形に編纂さ
れ保存された。ブッダの基本的立場は「縁起」である。そして、「
中道」「四聖諦」である。
「四聖諦」とは
1.世界は苦に満ち、人生はすべて苦の経験であるという真理
2.その苦には原因がある。すなわち煩悩がそれであるという真理
3.この苦の原因が絶滅された境地がある。それが涅槃の真理
4.その絶滅に導くところの道があり、それが八正道であり、中道
  であるとする真理である。

「四法印」とは、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆
苦」
「縁起」とは、すべての存在は自分が自立して存在するものではな
く、必ず他に縁り、他を縁とし、他との相対性において存在すると
いうものである。

このブッダ死後の弟子の時代は、ブッダの遺産を守るだけの上座仏
教の時代であるが、龍樹に始まる2世紀から5世紀に大乗仏教がで
き、次の黄金期になる。仏教の黄金期は、7世紀の中国や13世紀
の日本にも出現する。

前3世紀のアショーカ王時代に仏教はインド全域のみならず、国外
にも伝わり、それらの地に仏教文化が花開く。上座部と大衆部との
二部に大きく割れ、かつそのおのおのも数派に分かれ、全部で18
部か20部になった。上座部はスリランカを中心としたビルマやタ
イ、カンボジアの諸仏教になる。大衆部は大乗仏教を生み出し、中
国や日本に伝えられる。

上座仏教の中でも有部は説一切有部のことで、過去・現在・未来に
諸法は実在するという実在論の立場をとる。経部は過去と未来は無
で、現在のみ有であるという。これら上座の部派の教理は、「有」
の哲学であり、大乗教学の「空」の哲学とは対照的である。
有の哲学を「アビダルマの哲学」という。この哲学の主目的は無我
を明らかにすることであった。大乗仏教にも反映されて5世紀に
「阿毘達磨倶舎論」という経典になる。後に中国で「倶舎宗」が成
立し、この「倶舎宗」は奈良の六宗の中にも数えられている。
「倶舎論」には仏教用語の定義や解釈が与えられているので仏教へ
の入門書として日本では学ばれた。

大乗仏教は学僧の思索の結果であるが、最初の経典は「般若経」、
つづいて「法華経」「華厳経」などである。これらはブッダより数
世紀も遅れて前1世紀以降に無名な宗教的天才たちによって編纂さ
れ、「仏説」の名を冠したものである。天台宗、日蓮宗は「法華経
」を根拠とし、華厳宗は「華厳経」に、涅槃宗は「涅槃経」に、浄
土宗・浄土真宗は「大無量寿経」にというように大乗経典に基づい
ている。

大乗の論典は最初、龍樹(ナーガールジャナ)から始まる。世親(
ヴァスバンド)に至る。この2人を「第2のブッダ」とも称される。
龍樹は「般若経」を編纂する。その中心は「中論」で、中観学派の
根本の書であり空の哲学を論理的に解明したものである。空の手が
かりをブッダの「縁起」の概念に求めている。上座部の有の哲学を
ひっくり返した。

「般若経」では「色即是空」「空即是色」と表現して、真実の世界
を空性の世界から「生じたり滅したりすること」とした。

唯識学派は、中観学派とは違い、実践的に自分の心を観察ないし、
禅定というアプローチから理論化したようだ。この論はマイトレー
ヤ(弥勒菩薩)に帰せられるが、実際は世親(ヴァスバンド)であ
ろう。

この世界は縁起的相対的な「他による」という性格があり、「他に
よる」ことは中性的なもの、純粋透明なものを意味する。しかし、
人間は自分の我執で「妄想された」世界を作る。この否定が真実で
あり、涅槃の世界である。という論である。

世親は、論理学派を創設するが、この中で意識下の無意識なアーラ
ヤ識やマナスの問題、もろもろの心作用の分析、認識論などの問題
も追究した。そして、無をベースにしているので、世親の唯識を
無相唯識という。

6世紀に陳那(ディグナーガ)が唯識派と経量部の知識論を取り込
んで発展させた。この思想は玄奘によって中国にもたらされ、法相
宗の基本になる。ディグナーガの唯識論を完成させたのが、7世紀
の法称(ダルマキールティ)である。この派は有をベースにしてい
るため、有相唯識という。チベットでは、盛んに学ばれているが、
この派の経典は中国語に翻訳されていないため、日本には戦後にな
ってから入ってきた。

7世紀にはタントリズム(密教)の思想が主流となった。マンダラ
やマントラ(呪文)などが整備され、民間諸信仰を統合しようとし
た。

ナーランダーの仏教大学が5世紀に創立される。この大学で各学派
が論議され、各学派の論理が発展する。活発な論争の時代が出現し
た。8世紀には、ナーランダーのような仏教大学としてオ−ダンタ
プリ、ヴィクタラマシーなどの仏教大学が創設される。これらは
12世紀まで存続する。

しかし、インドの仏教はインドでは13世紀始めにはなくなる。

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