2728.広島原爆忌に



広島原爆忌に、
From 得丸公明

今日は広島原爆忌。あらためて、原爆投下という非人間的な行為を
悲しみ、原爆で亡くなられた方々の死を追悼するとともに、原爆の
後遺症で苦しんでおられる方々の苦しみが少しでも和らぐこと、病
気が悪化しないことを、お祈り申し上げます。


雑誌「大法輪」に奈良康明先生が、「釈尊への問いかけ」という連
載を寄せておられるのですが、その8月号で仏性について、以下の
ようにかいておられます。

「仏教の視座からいえば、万物は仏性である。真実のはたらきにつ
つまれている。自他平等であり、普遍的な真実であり、人間を含む
万物を『在らしめ』ているはたらきである。環境を考えるときに基
本となり得る価値観を提示している。

 問題はそれをどう実践するかである。すべては仏性である、とい
うだけでは観念論に過ぎない。先月号の冒頭に私は『原子爆弾は仏
性か』という問題を掲げた。縁起生であり、空なるものとして存在
している、という脈絡では原子爆弾も仏性に違いない。しかし仏性
を現実にはたたかせるのは、私たち人間の行動である。仏性として
在るものすべてえが無条件で大事にされるものではない。そこには
人間の側の『慈悲』に基づく思想と行動の選び取りがある。」
(大法輪、8月号より)

 奈良先生には失礼ですが、これは、仏性を唯物的に受け止めてし
まったがゆえの議論・概念の混乱ではないかと思います。

 すべては仏性であるとすれば、水俣湾に垂れ流しした水銀廃液に
も仏性はあるのか、田子の浦のヘドロにも仏性はあるのか。痛々し
い議論になってしまいます。

 仏性とは、生命、生命の輝き、生命のつながりであると捉えたな
らば、原爆や水銀廃液に仏性はないと、断言できます。

 人類の文明が、反自然であるという事実に気づけば、本覚も、仏
性も、本来の野生生物の命、人類が野生動物であった時代の記憶、
人類が破戒してしまった自然の中に生きていたものだといえます。

 
 たまたま、5年前の海洋汚染についてのシンポジウムで、4年前
にお亡くなりになった新潟大学の古厩忠夫先生からいただいた言葉
を思い出しましたので、「現代という芸術  爆風の中で」として
まとめました。

得丸公明

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ソトコト 9月号
From:得丸公明

皆様、 
ただいま書店で発売中の雑誌ソトコト9月号に、 「人類が裸にな
った場所を探して ー 最古の現生人類遺跡、南アフリカ・クラシ
ーズ河口洞窟へ」という短い記事(2100字+写真)が掲載されま
したので、立ち読みで結構ですので、どうかご覧下さい。ご意見や
ご感想をいただければ幸いです。
得丸公明


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