2717.自然破壊と自然順応による答え



自然破壊と自然順応による答え

-----ポリネシア系人 二つの軌跡------

              平成19年(2007)7月24日(火)
              「地球に謙虚に」運動代表 仲津 英治
 暑中お見舞い申し上げます。

 平成15年(2003)台湾に住んでいた時、太平洋に広く分布して住む人た
ちが、類似した言語を話し、言語学者はそれらを総称してオーストロネ
シア語と呼んでいることを知りました。オーストロネシア語はオセアニ
アとメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアをはじめ、北はフィリピン
や台湾、中国南部、西はマダガスカルまでの広大な範囲に分布します。

 さらに最近、日本人のルーツを探る記事(産経新聞、7月2日付)で、
約3,000年以上前にモンゴロイドであるラピタ人が日本、大陸から台湾、
フイリッピンを経て南太平洋に至り、原住民と同化し、さらに1000-2000
年単位の時間を掛けて北はハワイ諸島、東は太平洋の遥かかなたのイース
ター島に到達したとの説を知りました。

としますと、今から600年以上前にフィリッピンのバターン諸島から台
湾の南東に位置する蘭嶼島(らんしょとう、中国読みLanyi、英名Orchid
 Island)に漂着し、定住しているタオ族(中国名達悟族)も同系列の
民族である可能性が高いと思いました。

詳しい証明は学者先生にお任せするとして、私は彼等をポリネシア系人
と呼びたいと思います。イースター島に漂着したポリネシア系人と蘭嶼
島に漂着したポリネシア系人は対照的な軌跡を残しています。人類の将
来を暗示させる二つの軌跡です。

1.イースター島のポリネシア系人の軌跡
我々にはモアイで有名なイースター島は現在チリ領で、太平洋上南米大
陸から3,500■離れた絶海の孤島です。面積は180平方キロと小豆島より少
し大き目の島です。

 樹木のほとんど無い島に草原とモアイ像が多数残されていて、1722年発
見以来謎に満ちており、宇宙人説始め諸説紛々入り乱れ、数世紀に及ぶ議
論を呼んだそうです。しかし、1980年代に科学者が島に入り様々な調査を
行った結果、謎は完全に解明されました。それは、島に漂着したポリネシ
ア系人による、森林の開墾、養鶏、漁労、石像モアイの建立競争、さらな
る乱開発、森林急減、土壌流出、耕作困難、食糧難で人口急減に至った一
方通行の歴史の結果だったのです。

 具体的には4世紀から7世紀の間に彼らが住み始め、人口が急増し、最
低6,000人から最大7万人にまで人口膨張(数字は説による)したようです。
いずれにせよ、50人くらいで漂着したポリネシア系人が、1,000年後には人
口ピークに達し、その後急減が始まり、1872年には人口はたったの111人に
なっています。

島の自然の特徴を見ますと、火山島でかつて密林で被われていました。
河川は無く、哺乳類が生息した形跡はありません。家畜としては鶏以外
の陸上動物の骨が発見されていないそうです。

今日の残されている遺構、遺跡等から類推されたポリネシア系人の歴史
を辿りますと、開墾したばかりの農業はサツマイモ栽培と養鶏だったよ
うです。森林を伐採して開発し、また得られた木材でカヌーを作って漁
業を営んでいたようです。イルカの骨も遺跡から発見されています。

そして多少の余裕が出来るようになり、人口も増加して来ると祭礼に時
間をかけるようになりました。そこで軽石で石像を造り、その石像モア
イの祭礼はどんどん競い合うように行なわれるようになりました。石切
場から祭礼場までモアイを移動させるため、木材をコロに使用したと推
定されています。遂には祭礼という宗教的儀式にブレーキが掛からなく
なり、エネルギー資源でもある木材資源は枯渇し、漁労用のカヌーを造
れなくなり、食糧不足に陥りました。食料を廻って争いも起こり、殺戮、
人肉食も行われたようです。森林伐採の結果、表土が流出し、多くの人
を養うほどのイモ類は得られなくなったのです。

17世紀からは、欧州人による伝染病持込や、奴隷調達によりさらに人
口は減ったようです。しかし欧州人探検家が訪れる前から既に人口は大
幅に減っており、その主因は、資源の有限性を知りつつも、モアイを造
る宗教的儀式を競い合って行ない続けられたからでしょう。欧州人が訪
れるようになってからモアイ像が一度全て倒されていたことがあり、大
きな争いが島内で行われた事を物語っています。

今地球上で人類は人口急増中ですが、地球的規模でイースター島の悲劇
を繰り返す徴候が出始めています。現代のモアイ教はもっと、さらにと
物質的豊かさと、便利さと快適さを追求しているモア・モア教でありま
しょう。「イースター島化する地球」との、海上知明氏の言葉がありま
す。
 写真 イースター島地図&モアイ像(インターネットより)

2.蘭嶼島のポリネシア系人   
             
一方、600年前蘭嶼島に漂着したと推定されるポリネシア系人は、自然の
恵みを活かし、動植物が太陽の下で成長する範囲内で命をつなぎ、今日に
至っています。彼等はタオ族と呼ばれ(達悟族、タオは人の意味。旧称=
ヤミ(雅美)族)は、「地球に謙虚な」半農半漁の安定した生活を続けて
きており、この文明は永久に続く可能性が高いと言えます。

タオ族の人口は約4000人で、日本時代から統計が取られ始め、それに拠り
ますと1905年に1427人、中華民国の統治に変った後の1952年に1480人、そ
して1992年に4004人となり、その後安定しています。(田哲益著 台湾的
原住民)。

島を巡って判ったこと;
 平成17年(2005)春念願の希望がかなって、家族とともにこの蘭嶼島を訪れ
ることができました。

 小さい島でも面積は45平方キロ、しかも海抜500m級の山々が連なっており、
歩いて回るには大変なので、タクシー観光することにしました。一日2,000元
(約7,000円)です。親切な運転手でした。娘の北京語通訳でかなりの事が判
ってきました。片言の日本語と場合により、漢字による筆談も加わりました。
 
 約40キロの一周道路は1973年に完成したそうで、ほぼコンクリート舗装され
ていました。ゆっくりと島巡りです。宿泊地の揶油村を過ぎると人家は急減、
海岸には絶壁が迫っています。そして猫の額のような開墾された場所に、主
食となるサトイモ、ヤムイモの水田が段々畑のようにありました。水田の水
源を含め、生活用水は自給自足可能との事です。年間雨量3,000ミリ、元海底
火山であった蘭嶼島の山塊はかなりの水を貯えてくれるようです。島にある
谷川が6本、6箇所ある村は全て川沿いにあります。小学校は4校あり、国民
中学が1校ありました。教育言語は北京語です。

サトイモ類は植えてから1年で収穫でき、年中収穫が可能だそうです。伺う
と農耕は全て人力で行なうとのこと。そして農薬、化学肥料は一切使用し
ておらず、農作物の残滓、野草そして飛魚など海の幸の残り分を田畑に帰
すことにより、全て自然の恵みを基礎に生きて来られたと言います。確か
に農業機械も肥料袋なども一切見かけませんでした。

お米は、数少ないホテル、レストランでは供されていました。運転手によ
れば、自分達ははサトイモなどを主食としており、米、麺類などには馴染
んでいないとの事でした。一方世界民族博覧会HPによればタオ族の主食
は米と記されていました。しかし蘭嶼島では稲作は遂に成功しなかったよ
うで、稲作田んぼは一枚も見かけませんでしたので、この記述は疑問に思
いました。米は台湾本島からの輸入でしょう。またホテル、レストラン等
の経営者は台湾人(漢人)で、経済的活動は全て台湾人が押えています。
物々交換で生活が成立っていたタオ族の人々には、経営的感覚が殆ど育っ
ていなかったようです。

海岸に連なる急峻な斜面で、多くの山羊(ヤギ)を見かけました。人口よ
り多そうです。伺えば全部飼い山洋ではあるが実質野生化しているようで
す。山羊は、豚とともに家を新築したり、漁労用の舟を新造したりした時、
お披露目の場でお供えされ、参列者に振舞うとのことです。山羊は増えす
ぎると山を丸坊主にするまで草木を食べつくしてしまうので、孤島では人
間が山羊の天敵の働きをしていると思いました。他に家畜として豚を飼っ
ており、運転手は自営の豚小屋を自慢そうに見せてくれました。何を餌に
しているか、確認を忘れましたが、間違いなく人間の排泄物も有効利用し
ていると思います。

次にチヌリクランと呼ばれる独特の小舟です。この舟は村々の浜辺で多く
見かけました。多くは一人であるいは複数集団で漕いで、飛魚に代表され
る魚の捕獲に出かけます。長さ3メートルから10メートルくらいまで。前
後ほぼ対称で白地をベースにした舟体に魔除け、眼、波などを象徴した模
様が赤黒で描かれています。家を建てることと舟を造ることは男一生一代
の大仕事であるとの事でした。

このチヌリクランも自然の恵みの範囲内で造られています。舟体の部材は
2種類の樹木で出来ており、大事な点は、今ある舟がお爺さんから曾お爺
さんの時代に植えられた樹木を活用して造られたということです。そして、
父の代に植えられた樹木は、その子供、孫のためにあり、数十年後に彼ら
が舟に造り変えるのです。

黒潮が運んでくる海の恵みである飛魚の漁は3月頃から7月頃までです。夕
刻灯りをともして飛魚を寄せ、網で水面近く泳いでいる飛魚を掬い上げる
そうです。飛魚漁は資源保護の観点からも10月で終え、後の季節は多種類
の魚を収穫して過ごすと伺いました。冷蔵庫のない時代から魚の保存方法
は天日干しであり、島巡りしながら多くの日干し魚を見掛けました。長く
この漁法と摂取方法を保ってきているのです。

 また、伝統的なタオ族の家は、毎年必ず襲ってくる台風を意識して作られ
ています。風が当らぬよう穴を掘ってそこに家を建て、周りを石垣で囲んで
います。屋根も石で拭いた簡単なものでした。一種の竪穴住居で、これが一
番自然にマッチした家屋であったでしょう。今やその伝統的家屋は減ったよ
うで、コンクリートの家を随分見かけました。

 それでも蘭嶼島のタオ族の生き方は、今も自然の恵みの範囲内で生きてい
ると言えましょう。限りある孤島で他の生物同様自らの限界を心得た、地球
に謙虚な生き方ではないでしょうか。蘭嶼島の空港には、タオ族は楽観的で
あり、温厚で争いを好まないとの表現を含んだ掲示がありました。

 食料同様に大事なのがエネルギー資源です。蘭嶼島には台湾電力のデイー
ゼル発電所がありました。全島隈なく電気が供給されています。家々にはプ
ロパンガスが配達されていました。かつては木材、炭がエネルギー源で自給
自足でしたが、エネルギー資源に関しては今や輸入に依存しています。そし
て、ここではこれら人工エネルギーによる現代文明がタオ族の社会に持ち込
んだ乱れの事を書かざるを得ません。

 実はこの電気エネルギーの供給は近代的生活をもたらしましたが、同時に
台湾本島の文明がテレビなどの形で流れ込みました。鍵も掛ける必要のない
治安の良い、蘭嶼島では、家々でテレビなどを観ている様子が外から丸見え
でした。子供達が外の文明に触れて、島外の生活に憧れるようになります。
島に残れば、自給自足できるにしても、島内では就職先が無いので、多く
の若者は憧れを持ちつつもどんな心情を抱いて、台湾本島へ働きに出たこ
とでしょうか。

 また島に自動車が持ち込まれ、便利にはなりましたが、車の廃車処分場
が無いためか、廃車が放置されているのを見かけました。人心の荒廃が起
こり始めているのです。貨幣経済に組み込まれたのは40年ほど前だとか。

 さらに大きく人心を乱れさせたものとして、台湾本島の原子力発電所か
ら発生する低レベル放射性廃棄物の貯蔵所が上げられます。蘭嶼貯存場と
書かれた建物があったので「あれは何ですか」と運転手に聞くと、低レベ
ル放射性廃棄物の貯蔵所らしいことが判りました。台北帰宅後インターネ
ットなどで調べると、蘭嶼島では大きな問題になっていることを知りまし
た。実際被害も出て補償金も出されたのですが、年収にも相当するような
大金で、これで島の空気もおかしくなったとの新聞記事もありました(平
成18年(2006)6月20日の朝日新聞)。

泥酔者も増えたと言います。私も泥酔者を見かけました。タオ族は元々
酒を飲まなかった民族なのですが、酒類は台湾人が持込んだと伺いまし
た。

 この放射性廃棄物の問題は、原子力発電により文明生活を享受している
我々も真剣に考えなければならない課題です。私は蘭嶼島のみであれば太
陽光、風力など自然エネルギーでかなり電気が賄えるのではないかと現地
を見て思いました。

 地球は宇宙に浮かぶ絶海の孤島のようなものです。そして孤島は大陸を
擁する地球の縮図です。人類の将来を予見してくれる小さな相似形が孤島
の実例にあります。

私は、蘭嶼島のタオ族の伝統的な生活様式が、自然の循環の中で生き、
永く後継者に資源を残す、それこそ持続可能社会の象徴のような生き方
であると思います。人類の一つの指標でしょう。
彼等のような生活の仕方は私も出来ませんが、太陽光線の下で育つ動植
物と太陽光線の下で得られるエネルギーの範囲内で生きる、その精神的
スタンスを持ち続け、実現するよう取組んで行きたいと思っています。
別添写真;水田遠景、芋田、伝統的家屋群、漁船チヌリクラン
 蘭嶼島の写真を他にご希望の際はお申し出下さい。別途お送りします。

参考 拙著「地球に謙虚に」(2002)近代文芸社
   
人口安定、自給自足の島

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グリーン・マニフェスト・キャンペーン2007
http://lp.jiyu.net/sangiin2007-ranking.htm

 ■ アシスト社のビル トッテン社長と私の対談記事(地球に謙虚に、自然に学ぶ)
が情報誌『アシスト』に掲載されています。訪れて頂ければ幸甚です。 
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/info/magazine/1183982_1214.html 

                  長い文章によくお付き合い頂きました。
*******************
仲津英治
「地球に謙虚に」運動代表


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