2711.国民国家の時代の終焉 − どうして国会議員になりたいの?



国民国家の時代の終焉 − どうして国会議員になりたいの?

 参議院議員選挙戦は、おそらく候補者たちにとっては、日々猛烈に大変である
のだろうが、テレビを見ない僕にとっては、対岸の火事以上に縁遠い。地震の話
題やその他の話題に押されて、選挙のネタはテレビでもそんなに取り上げられて
いないのかもしれないと思う。
 新聞では、どの党の政策がどれでとか、何を判断基準にして投票しましょうと
いう記事が見受けられるが、投票に行かない僕は読みとばすだけ。
 以前は、もう少し、まじめに考えて投票にもいっていた。開票の晩など、ほぼ
徹夜状態で、選挙結果の報道を見ていたのに。今は、一夜明ければわかることを
どうしてそんなにあわてて騒ぐのだろうと、開票速報が流れるとしらけた気分が
わき起こる。

 学校の社会科の授業では、国会議員が国民の代表として、国の舵取りをしてい
ると習ったけど、今まで一度としてそのような実感を得たことがない。国会議員
なんて、選挙のときはぐるぐる回るけど、あとはたまに来賓できて短い挨拶をす
るだけの人。国の法律を司り、予算を決めるというけど、形だけでしかない。
 結局、地元に国の予算を引っ張ってきて、道路工事をしたり、箱物を建てたり
するだけじゃん。僕には関係ないと思うようになったのは、20年くらい前。

 でも、最近は、様子が変わった。
 地方に予算が回ってこなくなったのだ。ばらまき福祉ができなくなったのだ。
年金も破綻しているということが白日のもとにさらされたのだ。
 そうすると、いったい彼らは何のために、政治家になるのだろう。それなりに
苦労をして。ばら撒きが減れば、彼らがおいしい思いをすることもなくなるだろ
うに。
 たんに自分のステータスを満足するためだけ? 子供のころの夢だったから?
 一生懸命に選挙に出ている人に、水をさすのは嫌だけど、自分が何をしている
か、よぉく考えてみたらといいたい。

 考えてみると、国民国家という制度は、ナポレオンの時代にはじまった。国民
皆兵、総力戦を正当化するための神話を提供するためのものだった。だから徴兵
制度がなくなった時点で、国民国家はその存在理由を失うと考えてもよいだろう。
 日本の場合には、敗戦の昭和20年、あるいは天皇が人間宣言をだした21年
に、国民国家であることをとっくにやめていたと考えられる。アメリカやフラン
スだって、今や徴兵制は残っていない。国民国家は世界中で形骸化していると思
われる。それらを束ねる国連も状況は似たり寄ったりだ。
 国民はその事実に目を向けないで、形骸化した国家の張りぼてを見ていたにす
ぎない。たまたま振ればお金が出てくるから、すがりついていたにすぎないのだ。

 21世紀は地球環境危機がますます深刻になる。もういいかげん国民国家の幻
想から目覚めてもよいだろう。まちがった認識にもとづいて、まちがった行動を
とり続ける時間的ゆとりはもうないのだ。

  マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司

 寺山は、そのことを感じていたのだろう。われわれもそろそろ肝にすえるべきた。
 宇宙からみた地球に国境はないのだから。
(得丸公明、2007.7.19)


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