2687.「アブダクション」



「アブダクション」
From: 安田

得丸さんへ
  前回のレポート新しい人類学が出来ているようで本当におもし
ろかったです。今後の展開が楽しみです。得丸さんのような新しい
推論をする方法があるのかと思っていたら、あるんですね。

この間、日経を読んでいたら、その推論の仕方「アブダクション」
の紹介がありました。恥ずかしながら、私は初めて知りました。
参考までにウイキペディアからコピーします。時間のある方はどう
ぞ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アブダクション、またはアブダクション的推論(-てきすいろん)は
、ある個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出するための
推論方法である。定訳はないが、仮説法、発想法(川喜田二郎によ
る)などということもある。
ある結果や結論を説明するための仮説を立てることを言うこともあ
る。また、哲学やコンピュータの分野でも、定義づけされた言葉と
して使われている。
アブダクションの意味や方法は、演繹法や帰納法ともまた異なるも
のであり、失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮
説を推論したりすることにも応用できる。
例えば、プログラムの論理的な誤りを探し出し直すという過程では
、アブダクション的な解釈と推論が行われており、一般的な立証論
理の手法と通じるものがある。
古くはアリストテレスがアブダクションに相当する概念を議論して
いる。アブダクションの語を推論に関して最初に用いたのはチャー
ルズ・サンダース・パースであり、彼は演繹(Deduction:導き出す
こと)、帰納(Induction:導き入れること)に対する第3の方法と
してAbduction("導き放つ"こと)の語を用いた。彼は当初、これを
論理的な推論の意味に用いたが、のちには「論理に縛られずに」新
しい知見を説明する方法として強調している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
==============================
帰納でもなく、演繹でもなく、
From: "Kimiaki Tokumaru (得丸公明)

安田さん、

Abductionという言葉、私も知りませんでした。 そんな言葉があったのですね。
ありがとうございました。


ヨハネスブルグ・サミットの総括から、文明の原罪、そしてハダカの人類の発祥
を求めての旅という、かなりあわただしい旅をしてきました。

クラシーズ洞窟で、人類がハダカ化したかという証拠はないですが、あそこの
ような洞窟でハダカ化したのだとすれば、ハダカデバネズミと類似の環境ですか
ら、言語の発生も、階級社会も、攻撃性や残虐性も、狭い洞窟の中でハダカ化
と同時に生まれた可能性はあるかもしれないという仮説です。

ハダカ化した時期は、約7万年前の寒冷期、食料・温度ストレスが最大の時期。

この仮説は、霊長類学や化石人類学の主張とは違っていますが、このふたつの
学会は、鉱脈のないところで資源を探しているようなものだと考えて、とりあえず
触らないようにして、

遺伝子研究や、言語学の研究がいっている、10万年前のアフリカの共通の祖先、
および5−10万年前に50−500人がアフリカを出てユーラシア大陸にわ
たってき
たという解析結果と、島泰三先生の「はだかの起原」(はだかの定義はあいまいで
すが)の問題意識とを、ひとつに合わせて考えたら、クラシーズ洞窟にたどりついた
というわけです。

この立論は、たしかに演繹的でもないし、帰納的でもありませんから、どう考える
のかと思っていましたが、abductiveという言い方があるのですね。


私の推論に対しては、南アフリカの考古学者から、否定的なコメントがきています。

AAA 「 caves are rare places」(洞窟は少ない、きわめてまれである)
当然、平野にも、砂漠にも、あまり洞窟はないでしょうから人類が caves が存
在するところからだけ発達したとするのは少し疑問があるというものです。

しかし、50人だか500人が、5万年で65億人に増えるのであれば、アフリ
カの中で1−
2万年過ごせば、仮にクラシーズ河口洞窟で最初にハダカになった人類が30人
だった
としても、そこそこは増えたと考えられます。

BBB 「Very speculative」:僕が勝手に独断的なことを書いていて、あまり科学
的な立証
とは云えない。という批判です。

仕方ないですね。

ただ決定的な否定ではないので、もう少し、議論を整理して、固めてみなければ
ならない
と思っています。


しかし、江戸時代の「生類哀れみの令」のようなものを、全人類がもっていたなら、
地球生態系はこんなには、壊れなかったでしょうね。我々も明治以降、駄目に
なったわけですね。

憲法改正するにあたって、生類哀れみの令を、一条加えると、ぐっとよくなるかも
しれませんね。いわゆる環境権などより、よほどいいんじゃないかなあ。

得丸公明



コラム目次に戻る
トップページに戻る