2674.千日回峰行の21世紀的意味について



きまぐれ読書案内
From:得丸公明

皆様、

久々に読書案内をお届けします
最近は、どんなテーマでも、南アに結び付けて語ってしまう
という傾向があります。

得丸

生命の記憶か、人類の道行か − 千日回峰行の21世紀的意味について

 きまぐれ読書案内 板橋興宗・塩沼亮潤著「大峯千日回峰行 修験道の荒行」
(春秋社,2007年)

 天台宗の千日回峰行は、第3代天台座主円仁の弟子である相応(831-918)が、奈
良時代以来の伝統的な修験道をとりいれて大成した山岳遊巡の法である。行者は
数年がかりで約4万キロメートルの山道を歩き通す。

 これまではただ漠然と4万キロかと思っていたが、これは地球一周に等しい距
離だ。偶然で決まった数字ではないのかもしれない。

 21世紀人類学の通説となった「アフリカ単一起源説」にもとづけば、現生人類
は全員、今から5-6万年前にアフリカ大陸を出てユーラシア大陸にやってきた数
十だか数百人のアフリカ人の末裔である。7万年前に地球を襲った寒波と旱魃の
環境ストレスによって、南アフリカの洞窟の中で、人類は毛皮を失い、代わりに
服と住居を身につけて、世界へと旅立った。

 南アフリカの洞窟の中で野生を失って文明の原罪を負ったことを思い出すため
に、意識の深層に眠る生命の記憶(=本覚)を呼び覚ますために、行者はひたすら
歩くのか。

 塩沼亮潤阿闍梨は、比叡山よりさらに修行の厳しい吉野山・金峯山寺で千日回
峰をされた方である。

「山に入るということは人間本来の姿を訪ねにいくのではないでしょうか。おっ
しゃるように、『山川草木悉皆成仏』です。山の自然にも仏の種子がある。樹木
一本をみても、地球上の役割をきちんと果たして、すごく素直にお天道様に向
かって伸びていきます。

 人間だけがいろんなことでつまずく。子どものときには邪心がなくて、無邪気
というのでもいいのでしょうけれども、大人になるにしたがって、いろいろな欲
望にがんじがらめになって自分自身を苦しめている。

 そんな苦しみから自分自身を開放するために、本来の姿、あるべき姿を訪ねる
ために山に入っていく、大自然の中に入っていく」

 まもなく環境危機や食料危機やエネルギー危機の厳しい時代がやってくる。そ
のとき、野生動物のように、私たちが、ひたすらまっすぐ、前向きに歩いていく
ためには、千日回峰行者の言葉を覚えておくとよいかもしれない。

(2007.6.5)




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