2663.人類進化の通史



人類進化の通史についての個人的考察 − 
得丸公明

南アフリカ・クラシーズ河口洞窟における裸化・言語の誕生・階級社会
の誕生と、洞窟を出たあと作られた住居による文明の誕生が、地球環境
危機へと発展するまで

1 文明の原罪としての水俣病

  5年前の「持続可能な開発のための地球サミット」のときに、水俣病関連の
本を数冊読みましたが、その際に、緒方正人「チッソは私であった」(2001)でも、
西村肇・岡村達明「水俣病の科学」(2001)でも、吉田司「夜の食国(おすくに)」
(1987)でも、共通に書かれていることがありました。

 それは、「水俣病は文明の原罪である」ということでした。

「確かに人は一人では生きられぬ。しかし寄り添って暮らすことだって余り
誉められたことではあるまい。

 家族であれ村であれ、人が群がるとたちまちそこにはおぞましい罪
と災厄が生じるのだった。そして、それは一人一人の人間存在が罪深
かったからというよりも、人が寄り集まって生活すること自体がそも
そも間違いのもとだったからではないのか。人間の暮らしが果てしな
い罪と罰の繰り返しであるのはそのためであり、姦通や瞋恚(しんい)
や嫉妬の七つの大罪とは、人間の原罪と言うよりは暮らしの原罪と呼
ぶべきものではなかったろうかとーー」 (夜の食国、p137)

 水俣病は、文明の原罪として発生した。

 しかし、では、文明とは何か、原罪とは何をさしているのか。日本
から南アフリカにいくときに、僕は手帳に書き付けていました。

2 生命記憶から人類進化をたどって

 サミット帰国後に書店で西原先生の「内臓が生みだす心」に出会って以来、
これまでこの読書会でも、進化や文明に関していろいろな本を取り上げてきま
した。

 その延長として、来月の例会では、人類進化を通史として語ってみるつもり
です。

 いつ、どこで、なぜ、直立二足歩行が始まり、裸化がおきたのかということは、
まだ誰も論じていないことです。あえて、それに挑戦するのは、これまでに読んで
きたことと、今回の南アフリカ旅行で得たことが、補完しあって、ひとつの仮説と
まではいえないものの、ひとつの物語になると思うからです。

 島泰三「親指はなぜ太いのか」・「はだかの起原」で展開されている直立二足
歩行についての仮説(「口と手連合仮説」)と、さまざまな裸化仮説への論駁を
ふまえて、

 さらに、突然変異によって進化はおきない、進化は環境適応によってしか
おきえない、という西原克成先生が提唱する「重力対応進化学」とラマルク
「用不用の法則」にしたがって、

 また、カヴァリ=スフォルツァの言語の統計学分析(主成分分析)やレベッカ
・カンらによるミトコンドリアDNAの解析にもとづいた、最新のアフリカ単一起
原説(Recent Single Origin Hypothesis)による原生人類発祥の時期の推定
を尊重して、

 南アフリカで発掘された中期旧石器時代(MSA)の遺跡の記録をふまえて、

 原生人類が、いつ、どこで、どのようにして生まれてきたのか、どのように
して、世界に広まったのか、それが地球環境危機に結びついたことの必然
についてお話しします。
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十返舎玉九

日本は国じゃあなかったんだ。昭和27年以降も、米軍による占領が
続いていたんだ。それに気づかせないようにしてきたのが、官僚た
ちであり、彼らは欲求不満を、官僚たちの内輪の役得で満足してき
た。だから官僚のやっていることは、正しいようでいて、おかしい
んだ。 

そんなきがしてきました。
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(Fのコメント)
官僚は政治家の僕であり、政治家の無理をガードするのに、法律や
今までの慣例で抑えた面があるが、政治家は米国の世論情勢で民衆
の支持をなくされるのがいやで、米国の言いなりになることが多か
った。

しかし、朝日新聞という新聞の力がなくなり、米国の世論操作戦略
の転換時期に来ている。このため、米国は中国や北朝鮮の脅威を前
面に出し始めてきたように感じる。

そして、官僚の欲求不満は昔からのような気がするがどうでしょう
ね。


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