2661.師弟教育制度



題名:師弟教育制度                  
                          日比野
1.師弟

日本の医療はスクリーニング制度、国民皆保険制度によって安く見てもらえる。
なんども篩にかけることによって本当に高度な治療が必要な人を抽出できる。
企業でも同じ。毎年勤務査定・昇進をすることで、優秀な人材を抽出する。

学校の試験は大分甘い。期末テストの成績が悪いからといて留年になるケース
は稀。どちらかといえば出席日数が指標。入学できるできないの厳しい試験は
、高校・大学・大学院の3回、3年か4年に1回だけ。これでは篩の目が粗過
ぎる。

入学は簡単にして、期末試験・進級試験を厳しくすべき。どうせ、少子化でど
この学校も生徒は不足している。何もしなくても入学試験は簡単になる。
一旦入学してしまえば、後は単位を積みあげるだけで卒業できるシステムでは
不十分。大学生は勉強しなくなる。

寺子屋では、年に何度も試験して結果に応じて席次を決めていた。当然進級も
厳しかった。寺子屋教育システムを見直すべき。
 
寺子屋教育において、教師は師であって、弟子から敬われていた。教師は師と
なるべきで、生徒は弟子の立場。

生徒は自分で決めた師匠に弟子入りできるように、どの教師に教わるかを選択
制にすればいい。教員一人でみれる生徒数は20人だの30人だからと人数頭
でクラスを決めるのではなく、教師自身が面倒を見れると思う範囲で、弟子の
人数を決める。

弟子が何人いてもきちんと面倒見れる教師は何十人でも何百人でも弟子を取れ
ばいいし、厳しい教師であれば、厳しい教育をすると宣言し、少数精鋭で10
名までとかでもいい。良い教師には弟子入り志願で溢れるかもしれないが、夜
回り先生みたいに問題児こそ弟子にして更生させる教師もいるだろう。 

人生で師と仰ぐ人に出会えるチャンスは少ない。でも、人生の糧となるのはそ
ういう師。これぞと思う教師を選んで、弟子入りを志願する。教師が弟子入り
希望者と面談して弟子としてとるかどうか決める。教師によっては、次のテス
トで10番以内なら弟子にするとか条件を付けてもいい。それくらいの厳しさ
があっていい。

本当に弟子入りしたい教師の元へはそれこそ、下宿生活してでも教わりにいく。
そういった師弟関係を構築すべき。師は尊敬の対象であって、生徒は教えを請
う立場なのだ、ということを明確にする。でないと、いじめ問題とか解決しな
い。生徒を動物までに貶めるから、いじめになる。弱肉強食の世界になる。生
徒は未来の宝であるが、宝として光るかどうかは、師の情熱とそれに応える弟
子があってこそ。 

生徒は尊敬できる人物に尊敬を払う。オリンピック銀メダリストの山本先生の
クラスにいじめがあったとは思えないが、どうだろう?


2.順位戦

教師にも教える実力がある筈で、教員免許制度とは別に順位戦をやればいい。
将棋の世界では、毎年順位戦をやって、成績上位2,3名を昇級、下位2,3
名を降級とし、レベルの高さを維持してる。

教職にも査定があるのだから、たとえば、その教師に教わった生徒は劇的に成
績が上がったとか、問題児の更生に著しい実績を上げたとかで厳しく査定する。
実績と実力のある教師は毎年の査定で順位をつけて、優秀な教師はAクラス、
次はBクラスとかに分ける。各クラスごとに定員を決めて、毎年上位と下位の
入れ替えを行い、各クラスのレベルを保持する。もっと厳しくするなら、最低
クラスで10年以上在籍は強制引退、またはフリークラス転籍で担任クラスを
持てなくなったり、他の教師の補佐になるとかにしてもいい。
 
毎年の順位戦の結果をもとに人事移動などで各学校に各クラスの教員が行き渡
るよう、バランスよく配置する。教師も実績があがらなければ、いつまでたっ
ても上のクラスにいけないことになるが、キャリアは段位をつけて別に評価す
ればいい。教員免許更新毎に昇段するとか。学会研究発表等の実績で昇段する
とか。

将棋の棋士は順位戦のクラスが下がっても段位は下がらない。同じ表現をすれ
ば、○○教諭:九段、在籍クラスはA。とか、△△教諭:六段 在籍クラスは
B2。とか。給与を順位でなく段で査定すれば、年功序列と同じになる。順位
での査定と段での査定をバランスさせれば、問題も少なくなるだろう。

教師達自身が厳しい競争原理の中に身をおいて、その後姿でも教育すべき。師
が弟子より努力する後姿は何よりも教育効果がある。これで高等教育のステー
タス、特に教師の格はうんとあがる。教師を唯の労働者にするのではなく、実
力を厳しく査定し表記して、師範であることを明らかにする。弟子入りする生
徒も誰に師事するか判断できる。

将棋で棋譜が残るように、昇段実績や順位戦実績を残しておけば、教師の個性
もより明確になる。それをみて、この師ならと生徒が自分で弟子入り希望する
ようになれば、師弟の絆はより深まる。

生徒も勉強させられているんじゃなく、自分の責任で選んだ師に教わりにいく
という意識が出来る。見込み違いで駄目と思ったら、師に断りをいれて、次の
年に別の師に弟子入りすればいい。こうしていくことで、学歴は履歴として扱
われる。どの学校を卒業したというのではなく、どの師匠について教わったか
に重点が置かれる。
 
優れた師には優れた弟子が集まる。クラスによって学習進度もバラバラになる
だろうけど、そういう教育制度があってもいい。


3.利自即利他

師弟関係にもとづいたクラス編成と教師の順位戦を行うことで、師も弟子も向
上する。師は弟子の成績向上が即、自分の順位に直結するので、指導力が明確
に現れる。弟子を自分で選んだ以上、生徒の出来が悪いなどと言い訳できない。

弟子もまた、良き師に巡り合うことの難しさと有り難さを感じ、学ぶこと自身
に意味を見出す。自分で師匠を選んだのだから、成績が悪いのは師が悪いから
だなんていえない。悪いと思ったら去ればいい。

生徒が頑張って成績が上がるほど、教師の順位も上がっていく制度。弟子達が
師匠を偉くするために、自発的に勉学に励むとき、生徒達が自分達の先生を偉
くしようと頑張り始めたとき、クラスはひとつの目標に向かう。

自分達の努力が自分の成績向上になり、それがそのまま他人の幸せに直結する
ことを生徒達は学ぶ。出来る子が出来ない子の面倒をみるくらいにまでクラス
の一体感が進めば、いじめは消える。

生徒達の頑張りがクラスを押し上げ、そのまま教師も押し上げる。利自即利他
の教育になる。弟子が師を偉くするために努力する姿は美しい。

 (了)


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