2649.イラク戦争関連の所見



イラク戦争関連の所見

数日前に日本の政治家が米国のイラク戦争のやり方を批難した問題
に関する所見を文化人に送りました。これを添付送信します。
                       高井

本日、JMM通信拝読!! 本通信は要素が多く、しかも教養の浅い
小生には及びも付かない高度な見方が満ち溢れています。取り敢え
ず、特に気付いた部分を披露します。

自衛隊現役時代に小生は人一倍、軍事を学び、教育し、あるいは研
究する立場に置かれていた。そこで古今東西における著名な戦史の
研究を通じ、戦争の推移に関する予測及び交戦者が相手の意図
(intention)を読み取る事が如何に至難な業であるかと言う事を深
刻に認識した。

思うに、このような戦争に伴う基本的な問題ないし戦争の本質は、
何も現在、進行中のイラクの戦いに固有の問題ではない。特に不正
規戦の様相下では地方武装勢力の抗戦意思を読み取る事が容易でな
い。ちなみに英国が南アフリカに侵攻したボーア戦争(1899−
1902)においても、当時の英軍参謀本部は地方武装勢力による
頑強な抵抗に遭い、当初の予想を超える兵力を増派し、多大な犠牲
を強いられた。当然、作戦期間も当初じゃ1年程度と見ていたが、
3年を超えたのである。

第1次大戦(1914−1918)においても英仏連合軍、これに
対する独軍の各参謀本部は戦争を短期間で終らせるように然るべく
作戦を計画し、指導した。ところが西方戦場では決戦的な行動が不
成功に終わり、両軍とも長大な塹壕の線で対峙する持久戦ないし陣
地戦を余儀なくされた。更に東欧諸国、米国、日本なども参戦して
、戦争当時国が多くなり、交戦地域も拡大した。その結果、特に西
欧諸国は膨大な人的物的資源を消費して疲弊した。4年間にわたる
戦いにおいて、軍人、一般市民を含めて1千万人以上が犠牲になっ
た。

第1次大戦後、英国の軍事思想家、フラー少将が当時、尖端技術兵
器であった戦車、装甲車を中核とする機甲部隊及び空軍から成る少
数精鋭軍をもって戦えば、戦争は短期に終結すると主張した。とこ
ろが第2次大戦(1939−1945)になると枢軸、反枢軸(連合
国)両陣営とも前大戦を上回る大規模な動員を強いられて、戦争期
間も更に永くなった。その結果、犠牲者は4千万人以上と前大戦の
4倍を超えている。

日本が関与した支那事変(後の日華事変)においても参謀本部当局
は3ヶ月で戦争を終結させると天皇陛下に報告した。しかしながら
、民衆の力を活かす共産軍の人民戦争に遭い、また米英仏等からの
軍事援助を得て、広大な地の利を活かして戦う国民政府軍に決定的
打撃を与える事ができず、戦争は長期化した。

そこで東条首相は背後で国民政府軍を支える米英仏等を叩かなけれ
ば日華事変は終わらないと言明した。このため太平洋方面に新たな
戦面を開き、戦争全体は更に大規模になり長期化したのである。連
合軍の反撃、日本固有に領土である硫黄島、沖縄の戦場化などは戦
前に参謀本部が予想できなかった事態であった。一方、爆撃機の発
達の趨勢から帝都を含む本土が空襲に遭う可能性は、予測されてい
た。しかしながら原爆投下、焼夷弾による惨害などは軍部の予想を
遥かに超えている。

第2次大戦後、米国政府は共産軍による侵攻は殆どないと見て、韓
国から軍隊を撤退させた。更には韓国への軍事援助を治安警備力を
維持する程度にとどめ、戦車、重砲、戦闘機、爆撃機などを与えな
かった。然るに1950年6月に北朝鮮軍は手薄な状態の韓国に対
し、奇襲侵攻に踏み切ったのである。この事態は当初の米国の予想
を裏切った。

そこで米国政府は軍事力の投入を決意して、秋頃までに韓国領域を
回復し、年末までに北朝鮮領域の殆どを制覇して、侵略の根源を一
掃するに努めた。ところが満州方面から中国軍の大軍が雪崩れ込む
という更に予想外の事態に直面して、米軍、韓国軍は南に押し戻さ
れた。次いで半島中央部での共産軍との対峙状態が続き、1953
年夏に停戦を迎えたのである。ただし現在も南北軍事対決の態勢は
依然、解消していない。1960年代におけるベトナム戦争も米国
政府の予想を上回る長期化の様相を呈している。
                                                                                          要するに戦争は錯誤の連続である。錯誤の全くない百点満点の戦争などは先ず期待できない。しかしながら錯誤が生じた場合、その弊害を努めて少なくして、災いを福に転ずる努力、特に新たな発想と対策を生み出す英知と決断こそ、戦争の指導に当る政府及び軍部の基本的な使命である。
ちなみに朝鮮戦争勃発当時、米国のリーダーは従前の朝鮮半島放棄
政策の非を素直に反省した。これに伴い、米本土及び太平洋地域に
在る戦力を迅速に戦争に振り向けた。同時に朝鮮半島の作戦地域の
背後に位置する日本の地理的条件とその国家社会の持てる能力を安
定した状態で後方支援に利用する事に着目した。このため、米国の
中枢及びマッカーサー司令部は従来の日本非武装化政策を転換して
、再軍備政策に踏み切り、主権を回復させたのである。ベトナムの
場合、戦争末期にニクソン政権が中国との国交を回復して泥沼事態
を脱却し、アジア太平洋地域の安定を確保した。

日華事変当時の日本のリーダーは当面の戦争を収拾するために、新
たな戦争を起こすと言う愚挙を犯した。それに加えて、太平洋方面
の戦局の悪化に直面して、発想の転換ができなかった。更に参謀本
部は米軍機の空襲による東京始め主要都市の焦土化、原爆投下の惨
害、それに極東ソ連軍の満州侵攻と言う最悪の事態を迎えても、米
軍を迎え撃つ本土決戦に固執した。

米軍のイラク作戦の目的は核始め大量破壊兵器の壊滅でなく、エネ
ルギー資源の宝庫である中東全域を完全に支配するための布石であ
った。今後、20ないし30年先までは、依然、米国の先進的な国
家社会機能、特に世界随一の高度の生活水準を支えるエネルギー資
源の主力は、やはり石油である。すなわち、開発途上の代替エネル
ギーの完全な実用化を期待できる時期は遠い将来になる。石油エネ
ルギーの価値に関する認識は米国に限らず各国に共通である。この
ため、米国はライバルの先を行こうとしたに違いない。

イラクは中東資源地帯の中央に位置しており、将来、サウジアラビ
ア、イランに向くために有利な態勢、すなわち兵学の原理から見て
『内戦の利』 を追求する事ができる。要するにイラクを支配すれ
ばサウジ、イランへの進出が容易になる。先に述べたとおり、イラ
ク作戦は大量破壊兵器の壊滅が目的ではなかった。然るにイラクの
軍事力が強大になれば、作戦行動が難渋するので、早めに処置する
方策を選定したようである。

一方、アフガン自体はイラクと異なり、エネルギー資源の宝庫では
ない。しかしながら原油、天然ガスを擁する中央アジアへの進出が
可能になる重要地域である。

戦争開始に先立ち、米国大統領は『圧制に苦しむイラク国民に自由
を与える』、『イスラエルなど近隣の友好国に及ぼす大量破壊兵器
の脅威を排除する』と言明した。しかしながら、それは唯の口実に
過ぎない。圧制から民衆を解放するのであれば、先ずは米国の膝元
のキューバ、それにテロ国家と言われる北朝鮮に向えば良い。とこ
ろが、キューバ、北朝鮮はエネルギー資源の見地からは軍事力を投
じて支配する価値は殆どない。

米国のリーダーは圧制の元凶、フセイン政権さえ潰せば、すべての
民衆が諸手を挙げて、米軍を解放者として歓迎すると見ていたよう
である。戦争開始の直前に米国と日本の国際政治学者などの一部で
は、米軍支配後のイラクには第2次大戦後における日本占領統治方
式が適用されると見ていた。米国の単独占領下になるからと言う事
であった。

然るに日本の占領統治の場合には軍隊は潰されたが、元首、既存の
為政者及び統治機構を存続し、活用する体制であった。これに対し
、イラクでは既存の支配者の組織を完全に潰すという手筋を採って
いる。かっての日本と異なり、フセイン政権は大衆が憎む存在と判
断したようである。

日本国民の大部分は米軍の進駐を素直に受け入れ、政治行政担当者
は新たな支配者である占領軍当局の指令に対し、従順であった。と
ころが、イラクでは米軍の支配に対する強力な抵抗が巻き起こった。
アラブ・イスラム世界と日本の社会の本質的な違いを浮き彫りにす
る。イラクの戦いは相手の意図を読み取る事の困難性を浮き彫りに
する。

今後、米国のリーダーは親米体制を確立してから、軍隊の主力を取
り敢えず、クウエート及び湾岸地域に撤退させる体制を採るものと
判断される。

日本の政治家の一部は『米国の戦争にやり方が幼稚』、『イラクに
核兵器がなく的外れであった』と、それこそ幼稚な批判をして米国
の顰蹙を買った。批判する事よりも、その内容の論拠と程度こそ問
題である。

一方、野党及び報道関係者は的を外した戦争に協力した政府に批難
の矢を浴びせかけた。政治家、マスコミとも歴史の学習を通じ、予
測が極めて難しい戦争の本質を理解すべきである。なお防衛大臣に
思慮に富む発言をするように当該官庁のスタッフは十分な補佐に努
めなければならない。

以上、ご参考まで。高井

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