2648.インド文化伝来の道(東南アジア史)



日本文化においてインド文化の影響は大きい。仏教伝来とともに、
ヒンズー教の混合がなぜ起こり、かつ伝えられたか? Fより

東アジアは漢字や儒教の中国文化と仏教やヒンズー教のインド文化
が融合した文化であり、中国も仏教を通じてインド文化の影響を受
けている。日本も中国経由でその仏教を取得した。

しかし、中国はどうインド仏教を得たかというと、シルクロード経
由で伝わったと現在の歴史は説明している。しかし、本当にそれだ
けなのであろうか??

どうも東南アジア経由でのインド仏教伝来がある。海のシルクロー
ド経由で中国に伝来した部分があると見る。また海洋国家のチャン
パ(チャム人国家)と中国や沖縄を結び線がある。

その後、チャム人はベト族との戦いに負けて、大挙ベトナム中部か
ら逃げ出している。現在ベトナム中部にチャム人はほんの10万人
しか存在しない。チャンパ王国時代の人口は圧倒的に多かったはず。
このチャム人たちは琉球にも来たように感じている。

これは日本と元の間が元寇で断絶状態になっていたので、中継貿易
として中国(元)を日本は使えないことで、直接、海洋民族であっ
た九州・博多の倭寇たちが遠征した。朱印船貿易の始まるでもある。

13世紀から乗り出し、16世紀(戦国時代・日本)にはチャンパ
に日本人町までできることになる。そして、琉球も、その時代に倭
寇が琉球王朝の基礎を作ったと「甦る海上の道・日本と琉球」では
言っている。

17世紀の江戸時代にチャンパはグエン朝に服従することになり、
江戸日本は鎖国時代であり、海洋国家であった琉球王国に逃げてき
ていると見る。

その頃、琉球王国は中国やベトナムなどとの交易で繁栄していたの
で、直接、チャンパの大乗仏教+ヒンズー教を受け継いだように感
じる。また、江戸時代に琉球の技術が大きく前進したが、その原因
が明確でない。技術的な伝承はその技術を持った大量の移民を必要
としていたはず。もう1つ、沖縄米の在来種はインドネシア種と似
ている。チャンパの米でもある可能性があり、その面での解明が必
要になっている。

インド仏教のブッダはDC463〜DC399の人である。その後
、バラモン教からAC4世紀にヒンズー教になる。仏教が広まるの
はDC268〜232のマウリヤ朝アシュカ王時代で、AC4世紀
頃、グプタ朝時代にナーランダー僧院が建立される。

この時代がインド仏教の最盛期であり、同じAC4世紀にヒンズー
教ができ、王侯貴族が身分制度をそのままにしたいとして信仰し、
民衆にも広まっていく。8世紀ベンガル地方にできたビクラマシラ
ー寺院とサマブリマハ寺院が終末期の大乗仏教・密教の道場であっ
た。ここにインドネシアの王国やチャンパからの僧侶が集っていた。

この2寺院はナーランダーと東南アジアを結ぶ東西交流の拠点とし
て、僧侶を集めた。12世紀末イスラム教のゴール朝がこの仏教地
域でもあるガンジス河流域を支配して、仏教寺院を徹底的に破壊し
た。
これにより、仏教はインド亜大陸では消滅する。この12世紀末に
インド仏教者はインドネシアなど東南アジアかチベットに逃げるし
かなかった。

どうしてお隣のビルマには逃げなかったかというと、ビルマは上座
仏教が大乗仏教に負けて、逃げていたために、終末期の大乗仏教・
密教はビルマに入れなかった。上座仏教は仏教会議に負けてスリラ
ンカやビルマに逃げていた。

その頃には、シルクロード一帯はイスラム教地域で仏教を許さない。
特に仏像をイスラム教は嫌う。イスラム教はキリスト教やユダヤ教
には寛大であるが、仏教やヒンズー教、拝火教には徹底破壊で臨ん
だ。このため、インドとパキスタンは今でも敵対関係が消えない。
ストウーパや仏教寺院がインドになくなった理由でもある。

このような仮説を立てているために、東南アジア史を調査すること
とインド史を調査する必要に迫られる。現地調査も必要になってい
る。現地に行って、その現場を見ると、わかることがある。
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ヒンズーと仏教と 

さるボクの友人で、デリー大学卒の中年(初老?)紳士は、「仏教
はヒンズー教の1分派である」と、言っていましたよ。
インドのヒンズー教徒インテリたちは、みなそう思っているそうで
す。

だから、「日本人の殆どはヒンズー教徒」であると、彼らは理解し
ているらしいです。 

以上、ご参考までに・・・。

ken
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(Fのコメント)
kenさん、ありがとうございます。私Fも非常に近い関係にあると見
る。しかし、ヒンズー教との混合は東南アジア経由の仏教と思える
。シルクロード経由の仏教ではまだ、4世紀にできるヒンズー教は
なかった。この当時はバラモン教で、民間の風習を宗教の中に取り
入れていない。仏教自身が民間の風習を取り入れた可能性はあるが
、明確にヒンズー教の物と分かるものがある。

しかし、カースト制度がないヒンズー教と考えることはできるかも
しれませんね。修行も似ている。日本人はヒンズー教徒であれば、
インドとは、近い友達になれる。いいことですね。

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