2620.『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷



*** きまじめ読書案内 ***

ヨーロッパに500年間収奪されてもなお、人類を覚りへと導くアフリカ

藤永茂著「『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」(三交社)

・ヨーロッパによるアフリカ収奪を糾弾
 アフリカ分割のためのベルリン会議は、1884年に開かれた。それまでアフリカ
は、奴隷貿易や象牙貿易の積み出し地でしかなかった。ところが内陸に膨大な金
属や農業資源があることがわかり、ヨーロッパ諸国は奴隷貿易と同様、血も涙も
ない苛酷な植民地収奪に乗り出したのだ。

 この会議のとき、ベルギー王レオポルド2世は、植民地大国の間をうまく立ち
回って、自国の80倍もの面積をもつコンゴを手に入れた。そしてその後わずか
20年数年の間に、およそ800万人の黒人の人口減がおきたことは、あまり語られ
ていない。

 コンゴは、その後も、1960年の独立直後に、カタンガ州の金属鉱山利権をめ
ぐって、ベルギー人とベルギー企業によって内乱が引き起こされた。ルムンバ首
相は銃殺され、コンゴ軍参謀長であったモブツが、西欧の手先として1995年まで
独裁恐怖政治を続けた。政治的混乱は今も続く。

 こうしたアフリカの悲劇は、コンゴに限らない。15世紀の奴隷貿易に始まり、
アフリカ各地で今も続いている。

 本書は、西欧によるアフリカ人虐殺・奴隷化の歴史を、主として欧米からの訪
問者による著作にもとづいて、糾弾している。

・記憶を喪失した文明人たちの悪行
 太陽の日差しの弱いヨーロッパの高緯度地方は、そこに住む人間たちに白い肌
や青い瞳を与えた。寒冷なため生産力は低かったヨーロッパは、十字軍や海賊な
ど、第三者からの収奪を資本主義の駆動モーターとした。ヨーロッパ人の残忍さ
原因には、寒冷な気候が作用したのだろうか。

 近場からの収奪ができなくなった白人たちは、航海技術を高めてアフリカと南
北アメリカを標的とした。太陽の強い日差しと豊かな雨によって育まれた密林
と、そこに住む肌の黒い人間たちを、文明という自分中心の物差しのもっとも低
いところに野蛮として位置づけ、騙し、収奪し、殺戮した。

 一神教という不自然な宗教ゆえか、寒冷なヨーロッパで自然の恵みから遠ざ
かって発達させた文明を崇高と取り違えたからか。なぜヨーロッパ人は、南米や
アフリカで原住民をまるで虫けらのように騙し陵辱し虐殺することができたの
か、私には理解できない。著者もその理由を明らかにしてはいない。その愚行
は、今なお、イラクやアフガニスタンで、世界中で続いている。

 実は自然に近いアフリカの黒人たちの生活こそが、今もっとも必要とされる自
然との共生であったのだが、愚かで傲慢なヨーロッパ人は、自然に近いことを野
蛮と蔑んで低く見るのだ。

・アフリカの時代が待ち望まれる
 読みやすく、アフリカへの同情あふれる本書に不満な点をあえて指摘するなら
ば、ひとつは、コンラッドの『闇の奥』をはじめとする欧米の訪問者による著作
だけをもとに描いていることだろう。アフリカの匂い、アフリカ人の心意気が感
じられないのだ。アフリカの大地に足をつけ、ジャングルの空気を吸い、アフリ
カ人と付き合うと、黒人たちの言葉にしない本心や、アフリカの大地が直接語り
かけてくることを、感じるだろうに。その記述がない。

 だが聡明な著者はわかっている。「『アフリカ』は火薬を発明しなかった。羅
針盤で大海原を越えて他国を侵すことをしなかった。蒸気で鉄路を走り、船を漕
ぐことをしなかった。鳥と競って大空を制することをしなかった。木々に学び、
生き物を知り、大地と一つになって生きてきた。」(p231)いつかアフリカの時代
がやってくるだろう、と。

・文明が堕落であり、野蛮こそが正しい
 ふたつ目としては、著者は、ヨーロッパ文明を否定的に受け止めているもの
の、アフリカの野蛮こそが正しいのだという確信にまでたどりついていないこと
である。

 アパルトヘイト後の南アフリカでは、「人類のゆりかご」と名づけられた洞窟
群から1000体近い初期人類化石が発掘された。また、遺伝子解析の結果、地球上
のすべての人類がアフリカに起原をもつことが明らかになった。

 南アフリカの洞窟の中で裸化し、自然の中で暮らすことができなくなった人類
は、自然の中に人工洞窟、つまり家を作ることで生き延びるすべを見つけた。そ
れが文明である。それから、人類は、アフリカを出て、世界へと旅立った。

 何万年かたって、ヨーロッパ人およびヨーロッパ文明に毒された人々は、自然
から遠ざかれば遠ざかるだけ崇高で良い文明であるかのように勘違いする。本当
は、まるっきり反対で、自然に近ければ近いほど、持続可能で、安定した文明な
のだが、そのことに今もまだ気付いていない。

 むしろそのことにだけは断固として気付かないようにしようと心がけているか
のようだ。たとえば、アフリカに住みついた白人たちの一部は、アフリカの呼び
声に気付いていた。

「原始の闇の底にうごめく、言葉も歴史もないが人間の形だけはした黒人たちに
文明の光をもたらすつもりでアフリカにやってきたクルツは、逆にアフリカの傲
然たる荒野の沈黙の中に引きずり込まれて、黒人と同じレベルの原始状態に先祖
帰りさせられてしまう。『闇の奥』ではアフリカの荒野の魔性が繰り返し強調さ
れている。」(p153)

 この「ヨーロッパからの白人を原住の野蛮人のレベルに堕落させる悪魔的な暗
黒アフリカ」(p154)、荒野の魔性こそが、実は、記憶を忘れている文明人を、野
生へと、生命記憶へと、本覚(人間が生まれながらにもっている覚り)へと呼び覚
ますのだ。

 この呼び声を前にすると、ヨーロッパ人・文明がこの500年間にわたってアフ
リカで行った収奪も陵辱も虐殺も、すべて取るに足りないエピソードになってし
まう。つまり精神異常で多弁のヨーロッパ人が、寡黙に正しく生きているアフリ
カ人を、誤って殺してしまったにすぎない。

 人類文明はこの地球の大きさに収まらないほど拡大しすぎたために、地球環境
問題や石油争奪戦争など、文明は崩壊しつつある。そのこと自体を嘆いても始ま
らない。

 人間はかつて野生動物であった。これからもできるだけ、野生動物のように自
然に逆らわずに生きるのが正しいということを悟るべきときがきている。(得丸
公明、2007.3.21)



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