日本の技術指向主義はどうしてできたか??その考察。 Fより 日本企業が技術力で優位に立っている。その優位を確立するやり方 が、こつこつと一歩一歩確実に、しかし地道に進むことで成り立っ ている。論理というより感覚に近い神経を研ぎ澄ましているのが、 日本の技術力の根底にある。論理性ではインドや欧米に勝てない。 そして10年、20年のオーダーで技術を磨き、その技術を使った 部品や製品にしている。このため、古い職人的な企業が生き延びる。 これに対して、欧米中での企業は論理で新しいサービスや物を作り 、それを核に急速に企業を大きくしている。パラダイムシフト的な 全く新しい考えが出てくることが多い。しかし、その後、それが改 善され、製品が良くなって行くかというと違い、また新しい概念の サービスや物が違う企業から出てきて、前の物やサービスを駆逐す るという展開になる。コンセプト競争になる。 日本企業は概して大きな企業が新しいサービスを構築するが、欧米 では新興企業が新しいサービスを構築する。 日本でも欧米のようなベンチャー企業の隆盛を望んだが、それはど うも無理であるようだ。ソフトバンクの孫さん、楽天の三木谷さん など、成功と呼べる物は数えるほどしかない。 大企業から分社した「ルネサンス・テクノロジ」「エルピーダ・メ モリ」の方が話題性がある。 このように、どうも日本人の気質はこつこつと技術を改良するのに 適しているようである。どうもこれは昔からのような気がする。 事例1:中国の景徳鎮で陶器が出来た。この景徳鎮が元軍に破壊さ れた時に、その陶工が日本に亡命した所から、日本にも陶芸ができ たが、陶工の多くが朝鮮に逃げたために、その朝鮮に攻め入った豊 臣秀吉軍に連れられて日本に来た陶芸家が日本で有田焼(伊万里焼 )を作り、欧州に輸出した。陶工は日本では大事にされたので朝鮮 時代より日本の方が居心地がいいので、仕事に専念でき、柿右衛門 の赤を作り出すことになる。日本は技術がなかったことで、技術を 大切にするトップがいた。 事例2:イトーヨーカ堂がコンビニエンスストアーを日本に入れる ためにセブンイレブンと交渉して、販売権とそのマニュアルを手に 入れたが、日本では使い物にならなくて、1から作ったという。 そして、米国のセブンイレブンが赤字で倒産寸前になった時に、イ トーヨーカ堂は日本のビジネスを守るために、米国のセブンイレブ ンを買うことになる。アイデアは米国生まれで、その店舗運営は日 本ということになっている。 この事例だけではなく、液晶テレビ、ビデオも発見は米国ですが、 それを製品化して、リーズナブルな価格にする地道な努力は日本が している。一度製品化して、キーデバイスができると、それを日本 から買って、台湾、韓国、中国は同じ物を低価格で作り始める。 部品開発には、地道な努力が長い期間必要なので、どうしても歴史 のある体力を持った、しかし、目立たない会社が部品産業に乗り出 してくる。ベンチャーではできない。アイデアの発見は米国である ので、大手企業がそのアイデアを日本に持ち帰るが、そのアイデア を落とし込む部品レベルになると、技術力を持った企業しかできな い。 このため、米国は起業家が新しいアイデアを持って、そのビジネス に投資してくれる投資家が必要であるが、日本は企業が企業内で投 資して、新しい部品を作っている。このように、日本と米国の投資 に対する考え方が違っている原因にもなっているようだ。 日本は古いアイデアにしがみ付いていると、欧米中から新しいアイ デアを持ち出されて、失敗することになる場合がある。これは気を つける必要はあるが、日本企業も変わり身が早くなっている。 価値観競争の行方は、どうなりますか??