2604.長寿企業の秘密



「千年、働いてきました」
日本には多くの長寿企業がある。その検討。  Fより

「千年、働いてきました」   野村進  角川oneテーマ21新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047100765/kokusaisenrya-22
を読んだ感想と、長寿企業の秘密を探る。

日本には、長寿企業・創業100年以上の企業が東京商工リサーチ
で調べると、1万5000社もある。個人商店や小規模な会社は、
東京商工リサーチが把握していないため、10万社以上の創業
100年以上の老舗があるという。アジア各国には創業100年以
上の企業は皆無に等しい。お隣の韓国も、朝鮮日報によると80年
の歴史が最長企業だそうである。

加護野先生によると、長寿企業は第1に、環境の変化に対して敏感で
あり、第2に、強い結束力があり、企業組織全体の健康状態を大切に
する経営者に経営をゆだねていること。第3に連邦型の経営を行って
現場の人々の判断を大切にしていること。第4に、資金調達に関して
保守的で質素倹約を旨としていること。が特長だそうである。

この長寿企業でも、時代の最先端を切り開いている企業は、娘婿が
社長をして、伝統の技術に流されるだけではなく、伝統の技術を使
った新しい分野を切り開いている。携帯電話のような小さい容器に
機能を詰めた製品の要求仕様は高く、長い歴史のある企業の積み重
なった技能が必要なのでしょうね。職人芸でしかナノの世界は切り
開けない。
今後、日本しかない技術は最先端分野の製品で、加工精度がナノレ
ベルで、長い歴史の中でその技術を確立しているものである。

今、企業や製品がグローバルになり、このため競争が激しくなり、
企業の能力構築競争が激しくなっている。この能力構築競争に打ち
勝つためには、企業内にその企業しかない独特な技術のノウハウを
蓄え、そのノウハウを後輩に引き継ぐ教育体系があり、そして、そ
の技術が活用できる新分野を探すことが重要になっている。
長寿企業にはこの企業しかない独特な技術が既にある。ここが強み
でなっている。あとはその技術を生かす分野を的確に探ることでし
ょうね。

この独特の技術を持って、かつ長寿企業がイノベーションを生み出
すうえでも、「執念」というべき不屈の精神が重要な役割を演じて
いたことがわかる。林原のように研究の成果が20年後でいいとい
う企業もあり、トレハロースのような成果を上げている。この物質
自体は昔から良く知られていたが、安価に製造できずにいた。
そのトレハロースを2つの酵母菌で簡単に作ることできるようにし
たのが林原である。安価になり、食品にどんどん使われるようにな
っている。

DOWAグループの歴史は秋田県東北部の小坂鉱山から始まり、この地
域で採掘される鉱石(黒鉱)は、金銀が豊富に含まれているが、処
理が難しいという欠点があり、それまで有効利用の妨げになってい
た。その課題となる技術の壁に挑戦し、永年の技術向上の結果、複
雑に入り混じった様々な金属を回収する技術を蓄積してきた。
小坂製錬所はこの黒鉱処理技術を基盤に、都市の資源ごみ(携帯電
話など)から貴金属回収とリサイクルを生業としている。また、こ
の技術を進化させ続けている。

というように、日本企業は課題に長年取り組み、その解決を図った
ことで技術が蓄積されて、それがリサイクルという時代の寵児にな
るということが起こるのである。

日本で一番古い企業は金剛組である。聖徳太子の命を受けて西暦578
年に百済の国から招かれた3人の工匠のうちの一人、金剛重光によっ
て創業された。それ以来、四天王寺の宮大工として1400年以上の歴
史を持っている。この伝統の上に近代的なコンクリート製の神社も
建てている。となる。
長寿企業のすばらしさとその強さの秘密が分かりましたか??

林原
http://www.hayashibara.co.jp/
林原商事
http://www.hayashibarashoji.jp/
同和鉱業
http://www.dowa.co.jp/jp/jigyo/metalmine_summary.html
金剛組
http://www.kongogumi.co.jp/
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上場しない「長寿企業」が元気な理由
http://www.president.co.jp/pre/20050214/001.html
神戸大学大学院経営学研究科教授      加護野忠男 

企業の平均寿命は40年から50年 

 和歌山の和菓子会社、駿河屋の社長が架空増資の疑いで逮捕され
た。同社は、室町時代に創業された長寿企業である。おそらく上場
企業の中ではもっとも長寿の企業だろう。社長の行ったことの愚か
さに驚かされるとともに、同情も禁じえなかった。500年以上続く老
舗ののれんを預かる長寿企業の社長にかかるプレッシャーの大きさ
を考えれば、窮余の一策に頼ろうとした気持ちが痛いほどわかるか
らである。長寿企業を受け継ぎ、それを次の代に引き渡すという仕
事は大変な仕事なのである。たんなる守りだけでは企業の存続はお
ぼつかない。だからといって下手に攻めると企業の存続が危険にさ
らされる。

 日本の会社の寿命は35年だといわれた時期がある。米国のフォー
チュン500社を対象にした研究によれば、その平均寿命は40年から50
年であるという。企業の平均寿命は意外に短く、日本人の平均寿命
よりもはるかに短いのである。

 ところが、日本の地場産業には、長寿企業が数多く存在している。
近畿地方には、長寿企業がとくに多い。なかでももっとも長寿なの
は、大阪の金剛組であろう。金剛組は、聖徳太子の命を受けて西暦
578年に百済の国から招かれた3人の工匠のうちの一人、金剛重光に
よって創業された。それ以来、四天王寺の宮大工として1400年以上
の歴史を持っている。日本でももっとも長寿の会社ではないだろう
か。世界的にも珍しい長寿企業である。古すぎて資料が残っていな
いため、公認の記録にはなっていない。この金剛組と比べると他の
どんな長寿企業も若く感じてしまう。同じ宮大工をルーツにする会
社では、竹中工務店も古い。織田信長の家来だった竹中藤兵衛正高
によって1610年に尾張の国で創業されている。その後宮大工として
の歴史を守り、明治以降は神戸・大阪に本拠を移し、総合建設会社
に脱皮した。まもなく400周年を迎える。

 清酒醸造業にも多くの長寿企業が見られる。京都伏見では、1637
年創業の大倉酒造(現・月桂冠、ブランドも月桂冠)があるし、灘で
は、1662年創業の辰馬本家酒造(ブランドは白鹿)、1711年の大関
、1717年創業の沢の鶴、1743年創業の白鶴酒造など、長い歴史を誇
る企業が多い。なかでもとりわけ長寿なのが1550年創業の伊丹の小
西酒造(ブランドは白雪)である。

 その他の産業でも、京都では、呉服卸の外与《とのよ》が1700年
創業であるし、寝装品の京都西川は1566年の創業である。金粉金箔
の福田金属箔粉工業も、1700年の創業である。
 こうした長寿企業は、どのような経営を行っているのだろうか。
そのヒントを与えてくれる研究がある。
 世界中で100年以上の歴史を持つ長寿企業がどのように経営されて
いるのかが調査され、その成果が『リビングカンパニー』(日経BP社
)として出版されている。それによると長寿企業には4つの共通点が
ある。
 第1に、環境の変化に対して敏感であること。第2に、長寿企業に
は強い結束力があり、企業組織全体の健康状態を大切にする経営者
に経営をゆだねていること。第3に長寿企業は、連邦型の経営を行っ
て現場の人々の判断を大切にしていること。第4に、長寿企業は、資
金調達に関して保守的で質素倹約を旨としていること。
 このうちのいくつかは、日本の長寿企業にも当てはまる。日本の
長寿企業がどのような経営をしてきたのかを知ることは、経営の長
期的な健全性を考えるうえで貴重なヒントになる。

 日本の長寿企業も、時代の変化に対して敏感である。それだけで
はない。変化への対応に際して、自社の基軸を大切にしている。伝
承された技術やノウハウが利用できる範囲でしか仕事をしていない
。清酒醸造会社の多くは、明治になり、全国市場が成立するととも
に、瓶詰めの酒を出荷し、自社ブランドを確立した。戦後は、焼酎
、地ビールやワインなど、他の酒類にも進出している。最近では飲
食業にも進出している会社が少なくない。酒だけではなく、飲酒文
化を売り始め、製造業からサービス業に変わり始めた。しかし、多
くの酒造企業は、清酒事業あるいは醸造業という基軸を大切にして
いる。

つづきはリンク先へ
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金剛組1400年 (朝鮮日報)2005/12/18 
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/12/18/20051218000008.html
 日本大阪では11月3日、「四天王寺ワッソ」という祭りが開かれる。 

 日本の古代国家の基礎を築き上げた聖徳太子は先進文明をたずさ
えて渡来した百済の使節を迎えている。その様子を再現したのが仮
装行列であるこの祭り。 

 およそ4000人の参加者が大阪市内を練り歩く。四天王寺に至るま
での道路沿いには40万人あまりの人波が押し寄せ、皆が口々に「ワ
ッショイ!ワッショイ!」と叫ぶ。「ワッショイ」はハングルの「ワ
ッソ(来た)」から来た言葉だという。 

 祭りのメイン舞台となる四天王寺は、聖徳太子が593年、百済の技
術者、柳重光(ユ・ジュングァン)を招いて建てた日本最古の寺院。 

 寺院が完工された後、「今後、あなたの家系は子孫代々にわたっ
て四天王寺を補修し、管理する役目を担いなさい」という聖徳太子
の命を受け、柳重光は故郷に帰らず、その子孫らは寺の建築を家業
として引き継ぐようになる。 

 1400年で40代を継いできた大阪の建築会社「金剛組」はこのよう
にして誕生した。 

 日本には100年以上の歴史を誇る店や企業が1万5000個あまりにな
る。石川県の法師旅館や京菓子を代表する「虎屋黒川」は1300年、
京都の平井常榮堂薬房は1000年の歴史を誇る。このような老鋪の中
でも断然古いのが金剛組だ。 

 ヨーロッパ最古の企業とされるフランスのワインメーカー
「Chateau de Goulaine」よりも400年古い。韓国では、京城(キョ
ンソン)紡織、三養(サムヤン)、柳韓洋行(ユヘンヤンヘン)な
どがわずか80年の歴史を有しているに過ぎない。 

 金剛組を1400年間、支えてきたのは「基本に充実に」という言葉。
1995年、阪神・淡路大震災の時、金剛組が建てた寺院「戒光院」も
被害を被った。 

 垣根が30メートルにわたって崩れたほか、寺の裏手の墓地の石塔
もすべて倒れたが、大雄殿だけは無事だった。垂木の一部に被害が
生じたものの、それも1年で元の姿に復元された。 

 金剛組は建築の際、天井や床下といった見えない所に投資する。
そんなことから、日本では「金剛組が揺れれば、日本列島が揺れる
」という言葉まである程だ。 

 金剛組が来年1月、倒産するという。1980年代のバブル経済時に買
い付けた土地の値段が暴落し、借金に耐えられなくなったためだ。 

 金剛組は、1930年代の日中戦争当時もすべての工事がストップし
たため、倒産の危機に追い込まれている。これに、37代金剛治一社
長は先祖に顔向けできないとし、切腹している。 

 哀れに思った四天王寺の住職は、室町台風で崩れた五重の塔の復
元工事を依頼、再び息を吹き返した。古代の韓日交流を象徴する金
剛組も、今回だけは厳しそうだ。 

朝鮮日報 


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