バングラデシュ ダッカ・テロ事件に想う 平成28年(2016)7月7日(木) 「地球に謙虚に運動」 仲津 英治 1.元鉄道職員&JICA国際協力事業団に関係した者として 私は、元国鉄職員続いてJR西日本の社員でしたが、外務省に出向していたこと がありました。昭和52年(1977)から2年間の事でした。専門家派遣事業等を担当 していました。実施団体はJICA(当時国際協力事業団。現在国際協力機構)で 現在は、発展途上国への政府開発援助(ODA)の一括実施政府系機関となって います。 現在、外務省の国際協力局が大使館を通じて外国政府との折衝に当っているよ うです。今や専門家派遣、研修員受入れ、資金協力そしてプロジェクト事業等を 総括した開発的経済協力を遂行されているようですね。 そして現在の日本は、産官学が一体となり,外務省・JICA以外にも,コンサル タント,研究者,大学や学生,民間企業,NPO/NGO(非営利機関・非政府機関等) 等が連携して対外技術・経済協力に当たっておられるように感じております。 日本の経済協力金額は2000年(平成12年)、135億ドルと世界一となり、米英仏 独より多く、米英合計に匹敵するレベルに達していましたが、2013年(平成25年) には金額ベースで米英日独仏スエーデンの順になっているようです。 1954年(昭和29年)、日本が開発途上国への援助機関コロンボ・プランへ加盟し て、翌1955年から研修員の受け入れ、専門家の派遣といった政府ベースの技術 協力を開始した時の話を伺った者としては、隔世の感があります。 こうした時期に去る7月1日、バングラデシュのダッカ飲食店でイスラム過激派 によるテロ事件が発生し、報道によれば日本人7人を含む20人(他イタリア9人等) が、刃物を使った残忍な方法で殺害されたとのことです。犯人6人も警察に射殺 されたとのことでしたが、全く許しがたい行為です。 日本人の7人(男性5人&女性2人)は、日本からJICAベースで技術協力・経済 協力等で派遣されている人たちでした。痛恨の極みです。彼らはバングラデシュ のために協力しようと一身を現地に預けたはずです。私自身、外務省で技術協力 の仕事をし、台湾高鉄で新幹線の建設運営のお手伝いを行ない、インド・トルコ で鉄道新線の建設・運営のためのアドバイスを提供した経験からしてそう思いま す。 また、長い目で見れば、こうした協力は日本のためにもなります。 ご本人達の無念さと残された遺族・家族の気持ちを思う時、こういう報い方を する連中がいることに激しい怒りの念を覚えます。また私自身もそういう運命に 遭ったかも知れないのです。犠牲者の一人、80歳の田中 宏さんは直接存じ上げ ていないのですが、旧国鉄の先輩で海外技術協力でご尽力されていたことは伺っ ていました。 ここで、まだ行ったことは無いのですが、バングラデシュ国について調べたこ とを纏めてみます。Wikipediaをベースに致しました。 2.インドの英国からの独立とバングラデシュ人民共和国 外務省に出向していた頃、バングラデシュでは大河ガンジス川の砂州デルタ地帯 に国土があり、鉄道線路を敷くにも基礎となる砂利が採取できないので、日干しで 焼いた煉瓦を労務者がハンマーで割りながらレール下敷き用のバラストを作ってい るとの話を伺ったことがあります。当時世界最貧国の一つでもありました。今日も 貧しい人が多い国です。人口1億7100万人。言葉はベンガル語 、主な宗教はイスラ ム教です。 親日国で国旗も日章旗を参考にしていると伺いました。 第二次世界大戦の結果、インドは1947年にイギリスから独立しましたが、三カ国 に分裂しました。インド、パキスタンそしてセイロンの三国で宗教的な理由から です。中学・高校の人文地理でもそう習った記憶があります。 中心部のインドはヒンドゥー教徒が人口の78%を占める国です。東西パキスタン はイスラム教徒主体でした。そして仏教徒中心のスリランカ(当時セイロン)の 三国でした。東パキスタンは首都カラチのある西パキスタンから統治するのは 課題が多く、遠く離れた両地域を宗教のみで統一しておくことは困難であり、 やがて東パキスタンは、1971年バングラデシュとして分離独立の道を歩むことと なったのです。 バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人 の国」を意味するそうです。 都市国家 を除くと世界で最も人口密度が高い国で、人口数は世界第7位。 インドは、仏教の祖であるお釈迦様の生誕地です。しかしイスラム教の進入、 ヒンドゥー教の勃興、英国人等が持ち込んだキリスト教により、仏教徒は少数派 になりましたが、4大宗教の国とも言えましょう。そして多宗教国家は一つ狂う と宗徒間で陰惨な争いになりますので、インド政府は宗教間の争いが生じないよ う、平和共存策に意を注いでいます。 しかし、イスラム教は、キリスト像、仏像などの偶像崇拝を否定することを 原点としており、異教を排除し、異教徒を圧迫する傾向を持っています。 3.宗教的対立と民族的対立 上述のようにインドは、インド、パキスタン&セイロンの3か国に英国から分裂 独立しましたのは、それぞれの人口に占める主たる宗教の違いからでした。英国は この三宗派間の対立を上手く利用して植民地統治を行なったと言います。しかし、 どこの国にも主たる宗教の他に少数派宗教徒がおり、多少の紛争があるようです。 そして東パキスタンでは、同じイスラム教同士でも民族的対立が生じました。 東西で経済格差が激しく、民族も異なっていた東西パキスタンが第三次印パ戦争 をきっかけに分離したのです。西はアーリア系パンジャブ人(イラン系に近い)、 東はモンゴル系ベンガル人と、民族も異なっていたのです。こうした状況で、 東パキスタンでは、西パキスタンの中央政府の支配に対して自治権獲得運動が 激化、1969年にパキスタン中央政府軍が鎮圧に出動し、東パキスタンと武力衝突。 東パキスタンはインドの援助を得て全面戦争(第三次印パ戦争)に発展し、 パキスタン中央政府軍は完敗、1971年に東パキスタンがバングラデシュとして 独立したのです。 4.宗教と創始者の性格 思想とか宗教なるものは、その創始者(宗祖)の生涯そして性格を色濃く反映 するものだと言われています。世界三大宗教であるキリスト教はキリストが、 仏教は釈迦がそしてイスラム教はムハンマドが創始者でした。 イスラム教 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、下記のように記述 されています。 イスラム教(イスラムきょう、イスラーム教とも、正式名はイスラームは、 唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たる ムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、 従う一神教 である。 キリスト教の創始者;イエス・キリスト イエス・キリスト(紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃)は、その生誕 からローマ帝国に引き渡され、磔刑(はりつけ)処刑されるまで、数々の奇跡 を起こし、人々の信仰の対象となりました。しかし戦争を起こし、その指導者 になるようなことは生涯ありませんでした。 仏教の創始者;釈迦 釈迦(生年紀元前 624-463 没年生年BC 624-463 没年BC 544-383 諸説多数) は釈迦族の王の子として誕生しますが、若くして王宮を出奔。苦行の末、菩提 樹下に端座瞑想し、成道しました。以来、インド各地を遊行・伝道し、80才 にて入滅しています。生涯戦争とは無縁でした。 しかし、イスラム教の創始者ムハンマドは全く異なります。その生涯は、 戦争に明け暮れています。 キリスト、釈迦同様Wikipediaからの情報を概略以下に記します。 イスラム教の創始者;ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ ムハンマド(Mu?ammad悩みを抱いてマッカ郊外のヒラー山 の洞窟で瞑想 に ふけっていたムハンマドは、唯一神(アッラーフの啓示のちにクルアーンに まとめられるもの)を受けたとされる。その後も啓示は次々とムハンマドに 下されたと彼は主張し、預言者として布教を始める。 征服者としてのムハンマド ムハンマドは世俗的な意味においても世界史を塗り替えた人物である。 アラビア半島を統一してイスラーム帝国の礎を築いた。ムハンマドは生涯 26回も自ら信徒を率いて戦い、多くの戦いで先手を取り、ときには策略を 用いて、何度も不利な戦闘で勝利するなどすぐれた軍事的指導者でもあっ た。また情勢を客観的に分析することができ外交も得意であった。統治者 としてのムハンマドは勇敢で英知ある行動をとることも少なくなかった。 イスタンブールでの私の体験 私が、平成24年(2012)〜平成25年(2013) に在任したトルコのイスタンブール では、イスラム寺院が圧倒的に多かったのですが(人口の99%がイスラム教徒)、 他の宗教(キリスト(カソリック&プロテスタント)、ユダヤ&ギリシャ正教) の教会も結構あり、4大宗教が平和共存している感じでした。イスラム過激派 の影響力が小さかったのでしょう。親日国でもあります。 しかし、2015年1月12日、トルコ・イスタンブール市内最大の観光地スルタン アフメット広場(スルタンアフメット・モスク,通称ブルーモスクより数十 メートルの地点)付近で自爆テロ事件が発生。死者10名(現地報道によれば ドイツ人が多く含まれる),負傷者15名(現地報道によれば,ドイツ人, ノルウェー人及びペルー人が含まれる)が出たとのニュースに接しました。 現地は私もよく訪れた場所であり、彼の国も安心できる国ではなくなったの か、と失望の念を持ちました。自爆テロ犯は1988年生まれのシリア人でした。 5.バングラデシュ等回教徒過激派の思想: 幕末の尊王攘夷に似ている? 私は、バングラデシュ人は、親日的でまた性格的にもテロを企てるような 国民性ではないと認識していました。今回のダッカでの自爆テロ実行犯と彼 らを支えるイスラム過激派の多くは、裕福な家庭に生まれ、高学歴者が多い と報道されています。 バングラデシュ内相は、犯行者は国内のイスラム系の武装組織ジャマート =ウル=ムジャヒディーンの一味であると発表していますが、IS(Islamic State イスラム国)が、犯行声明を出しており、国際的連携を取った犯罪 のように思われます。しかもバングラデシュのように識字率が高くない国に あっても(識字率55.9% 2010年)、インテリはパソコンを持っており、情報 収集・交換手段としてインターネット&E-Mailを活用しています。 少し前の6月28日にはトルコのアタテュルク国際空港で自爆攻撃がありまし た。ユルドゥルム首相は現場で記者団に対し「これまでに36人が死亡し、 負傷者は多数出ている」と説明。重傷者もいると明らかにし、現場の状況など から過激派組織「イスラム国(IS)」の犯行である可能性があると述べてい ます(日本語版Newsweek)。 戦争の原因・理由は、利益の衝突、領土・資源の紛争、民族的&宗教的 (思想を含む)対立であると言われています。最初の利益の衝突の場合は、 双方に戦争を行なった場合、得られるべき利益以上に犠牲が伴なう可能性が あれば、双方とも戦争手段を避けます。領土・資源の紛争の場合も同様です。 最近は余りにも多すぎた犠牲を出した第1次&第2次世界大戦の経験を踏まえ て、これら2点を原因とする戦争は、極めて少なくなりました。 問題は民族的&宗教的理由を原因とする戦争です。 特に宗教的対立が原点になりますと、精神的なことが理由ですから、お互 いが自分のことを正しいと信じて戦いますので、とことんまで戦い、結果が どうあれ双方に憎しみ合いが残ります。 そして一番問題ある存在は、教祖的人物です。若者に過激思想を吹き込み、 彼らを煽り、異教徒をテロ殺害し、自爆死すれば天国へ行くことができるよ うな観念を植え付ける人物が必ずいるはずです。こういう人物は仏教徒に いません。キリスト教世界でも皆無になってきたのではないですか? これら一連の自爆テロは、第三次世界大戦戦争に繋がることが有り得、 イスラム国の狙いは、それではないか、との説があります。 テレビ番組である専門家が、バングラデシュ国民の99.99%は、テロには 賛成していないし、親日的であると言っていました。人口1.7億人の0.01%は 1万7,000人です。彼らがテロリストの候補者であるとすれば、これからも限 なくテロが続くことになりましょう。 防ぐ手は何か、私は消極的と言われるかも知れませんが、当分開発協力と いった人材派遣を伴う経済協力はストップし、バングラデシュ政府による 治安回復努力による成果を待つべきではないかと思います。そしてテロの 教祖的人物を完全に社会から疎外する対策を講じてもらうのです。 政府開発援助(ODA)のような国家による人材派遣が、本人の犠牲を強い ることになり得、そして遺族の一生に不幸を背負い込せることに繋がるとす れば、国の選択として、自重すべきだと思うのです。 皆さま、如何思われますか? 同じ事件でイタリア人も9人殺害されました。 ただ、どういう立場の方々であったのか、今のところ、情報がありません。 下記のような情報がありました。ISのメンバーは空爆を受けると奮い立つと の情報もありました。 ブレイディみかこ さん(在英保育士、ライター) 2015年11月19日 あるフランス人の元人質のジャーナリストが書いた記事を読んだとき、わたし の頭にはバンクシー(Banksy, 生年月日未公表は、イギリスのロンドンを中心 に活動する覆面芸術家の有名な作品が浮かんでいた。 「ISのメンバーたちを悩ませたのはドイツ国民に歓迎される難民の写真だっ た」と書いてあったからだ。 長い文章にお付き合い、有難うございました。 以上 「地球に謙虚に運動」代表