今日は、三鷹市縄文遺跡展示を見てきた。縄文時代には、湧水があ った丸池などの地域には多くの縄文遺跡があるという。 縄文時代の石器は、黒曜石は、糸魚川などからの交易で手にれてい るが、日常使う木斧などは、近くの川から取ってきた石を利用した ようである。 黒曜石は、皮を縫う針や細かい細工をするナイフなどに使っていた ようである。 石を整形するのに鹿の角が使われ、石に穴を開けるには魚の骨を使 ったという。 水は湧水で、縄文土器は800度程度の低い温度であり、水は漏れ ていたが、栗や草などを煮ることができたので、美味しい食事を食 べていた。川では魚を捕っていた。 塩は、海の地域から交易で手に入れていた。縄文中期までは暖かく 、海は今の中野までであり近かった。その地域で塩を作っていた。 しかし、縄文中期以降、気候が寒くなり、海は引いて四谷ぐらいま でになった。このため、塩を手に入れられなくなり、この地域にい た縄文人は、中野や新宿に移住したようである。 このため、縄文後期の縄文土器はでなく、弥生時代の田圃もないと いう。しかし、古墳時代には、この地域に田圃ができている。 人口が増えて、この地域まで田んぼにする必要があったようである という。 このため、奈良などのように、縄文土器が丘の湧水のところで、川 の近くに弥生時代の田んぼというような層は、この地域にはないと いう。 関東ローム層の縄文人の生活が分かり、面白かった。また、時代的 な変遷も分かり、面白かった。