5677.三鷹の縄文遺跡展示



今日は、三鷹市縄文遺跡展示を見てきた。縄文時代には、湧水があ
った丸池などの地域には多くの縄文遺跡があるという。

縄文時代の石器は、黒曜石は、糸魚川などからの交易で手にれてい
るが、日常使う木斧などは、近くの川から取ってきた石を利用した
ようである。

黒曜石は、皮を縫う針や細かい細工をするナイフなどに使っていた
ようである。

石を整形するのに鹿の角が使われ、石に穴を開けるには魚の骨を使
ったという。

水は湧水で、縄文土器は800度程度の低い温度であり、水は漏れ
ていたが、栗や草などを煮ることができたので、美味しい食事を食
べていた。川では魚を捕っていた。

塩は、海の地域から交易で手に入れていた。縄文中期までは暖かく
、海は今の中野までであり近かった。その地域で塩を作っていた。

しかし、縄文中期以降、気候が寒くなり、海は引いて四谷ぐらいま
でになった。このため、塩を手に入れられなくなり、この地域にい
た縄文人は、中野や新宿に移住したようである。

このため、縄文後期の縄文土器はでなく、弥生時代の田圃もないと
いう。しかし、古墳時代には、この地域に田圃ができている。

人口が増えて、この地域まで田んぼにする必要があったようである
という。

このため、奈良などのように、縄文土器が丘の湧水のところで、川
の近くに弥生時代の田んぼというような層は、この地域にはないと
いう。

関東ローム層の縄文人の生活が分かり、面白かった。また、時代的
な変遷も分かり、面白かった。

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