5661.地震から見る日本の本来の姿とは



311の東日本大震災から日本はおかしくなっている。地震が起こ
りやすくなり、それも日本のどこでも地震が起こるようになってい
る。今後を検討しよう。  津田より

0.日本が地震の時代に入った
熊本・大分の皆様、どうかご無事でいてくださいと祈念するが、こ
の地震は、東日本大震災に続いて、日本全体に大きな影響を及ぼし
ていくように見える。日本は、いろいろなプレートの集合体であり
、この1つのプレートが動くと、それに連動して、多くのプレート
が動き、地震や噴火を起こしかねないと思っていた。

もう1つ、この頃、地震雲が度々、西の空に出ていて、何かありそ
うだと思っていた。地震前の特有な耳鳴りもしている。

そこに熊本地震が発生し、当初の14日のM6・5の熊本地震は、
「前震」で、16日未明のM7・3が「本震」と気象庁と釈明した
が、4月14日から続く熊本地震は、日本全体の地震を誘発してい
くように思える。それは16日未明の地震が、布田川(ふたがわ)
断層帯のやや北側で発生したからだ。

この布田川(ふたがわ)断層帯は中央構造線につながり、中央構造
線は熊本から四国を抜けて奈良、名古屋、松本、高崎から大洗に続
き、この最初の熊本で今回の地震は起こったからだ。このため、こ
の先、この日本列島を縦断する中央構造線に歪みが伝わり、全国各
地で直下型地震が起こる可能性があるようだ。

また、地震と火山の噴火は、大きく関係している。このため、火山
の噴火も頻発することになる。

高橋学教授(立命館大学 歴史都市防災研究所 環太平洋文明研究
センター教授)も同様な見解を述べている。

もう1つ、貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観
11年5月26日(869年7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付
近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震であ
るが、この地震の5年前の貞観6年(864年)には富士山の青木ヶ原樹
海における溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きているし、869年8月
29日(貞観11年7月14日)には 肥後で地震があり、津波が襲ったと
ある。また、2年後の貞観13年(871年)には鳥海山の噴火記録があ
る。地震の9年後の元慶2年(878年)には、M 7.4の相模・武蔵地震
(現在の関東地方における地震)が発生している。

この貞観地震と同じようになってきたようである。東日本大震災が
貞観地震とすると、今後、富士山も噴火の可能性があるし、肥後と
いうのは、今の熊本であり、今回の熊本地震であり、鳥海山の噴火
も起こり得ることになる。そして、首都直下型地震も起こるという
ことになる。

というように今後、日本は地震や噴火が多発するし、特に首都直下
型地震が東南海地震より先に起こる確率が高くなったようだ。東日
本大震災の後、東海地震の津波の影響を調査しに浜岡原子力発電所
に行ったとき、感じた東京の方が先に地震が来ると思った理由もハ
ッキリした。

しかし、この状況を予言している日本の文章がある。「日月神示」
である。ほぼ、この日月神示の方向で日本や世界は進んでいくよう
に私には見える。とうとう、この予言書の最終章に来たように思う。

1.日月神示とは
それでは、この日月神示にはどう書いているのかを見たい。

 地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせね
ば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出来て来て、わけの分らんこ
とになるから、早く此の理(みち)をひらいて呉れよ。神界ではも
う戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。
改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。上39帖

空が変わったことが現れたならば、地に変わったことがあると心得
よ。天の異変、気を付けておれよ。神くどく気を付けておくぞ。神
世近付いたぞ。天13帖

富士はいよいよ動くから、それが住むまでは三十里離れた所に仮に
祭っておいてくれよ。上21帖

というように、日本の地震、火山の噴火が多い。特に富士山の噴火
があると予言されている。この富士山の噴火も貞観地震の前に起こ
っている。しかし、この日本の掃除が終わると、世界で天変地異が
起こるとある。

日本にも欧米流の金の亡者が出てきて、日本古来から続く、皆で協
力し、皆で楽しく暮らすという霊的な世界が失われてきたことで、
日本でも大掃除が必要になってきたと、日月神示は言う。

このため、改心する必要が有り、その改心を呼び起こすために、地
震や噴火を起こすというのだ。人は自分ひとりでは生きられない。
皆の助けが必要であり、他の人が困っていたら助けることである。

地震や噴火は、人力ではどうしようもないことで、これに巻き込ま
れると家や財産を一瞬で失うことになるが、それでも他の人達が援
助してくれるので、生きながらえることができる。

その代わり、他の人が助けを求めてきたら、率先して助けることで
人たちは、相身互いの精神、他者を思う気持ちができるのである。
このため、自分だけ良ければ良いという人が多くなると、地震や噴
火を起こして、日本人の本来の精神を思い起こさせるというのだ。

日本は昔から天災が多く、人は助け合って生きてきたのであり、欧
米風、中国風の金の亡者や自己中心主義ではない。日本精神の根本
には、地震や火山の噴火で一瞬にして財産を失う経験から財産に執
着しない人生観が形成されてきたのである。財産より人の和、人の
助け合いの方が重要という精神である。それこそが、日本の霊的世
界なのである。

2.日本の復活は
私のコラムは、私の座禅で見る予知を中心にしているが、ベースに
この日月神示や日本古神道があると感じている。予知の力を使って
、日本を本来の姿に戻して、その戻した日本の精神を世界に配る役
割を日本に復活することが期待されているように感じている。

日本は、将来世界の中心的な位置になるが、その前に、日本人自体
が本来の精神を取り戻すことが必要だというのである。それは、相
身互いの精神、他者を思う気持ちであろう。または、自然な法則(
かんながら)である。

この相身互いの精神が今回の熊本地震では、いかんなく発揮してき
ている。東日本大震災でお世話された自治体から、いち早く、被災
初期に必要なものを経験上から援助する自治体が出てきたことだ。

一般のボランティアも、まだ早いと押し止めないと、多くの人が被
災現場に行こうとしてしまうほど、積極的になってきている。金儲
けより、人に尽くすことが重要という考え方が徐々に定着してきて
いる。

また、被災した人たちも、整然と行動して、皆で難局を乗り越えよ
うとしている。我先ではない。相身互いの精神である。

しかし、まだ、この機会を狙って、泥棒をしようとする不行き届き
な人もいる。もしかしたら、海外の人かもしれないが、そのような
人がいなくなるまで、地震や火山の噴火が続く可能性がある。

そして、不行き届きな海外の人は、日本から出て行くことになるよ
うな気がする。自己中心的な人は、どこで被害に遭うかわからない
日本がおそろしくなり、日本にいられないはずだからだ。

大掃除ができたら、やっと日本に住む人たちに、相身互いの精神や
他者を思う気持ちができるのであろう。

逆に、そうなるまで地震や噴火が続く事になるということかもしれ
ない。

さあ、どうなりますか?


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2016.4.16 10:40サンケイ
【熊本地震】
16日未明のM7・3が「本震」、28時間前は「前震」だった 
気象庁「予測困難」と釈明
16日未明に熊本県で起きたマグニチュード(M)7・3の地震は
熊本地震の余震ではなく、一連の地震活動で最も規模が大きい「本
震」だった。気象庁は28時間前に起きた熊本地震は「前震」だっ
たと訂正。「予測は困難だった」と会見で釈明した。

 地震活動は最初に本震が発生し、その後に小規模の余震が続くこ
とが多い。気象庁は今回もこのケースとみていたが、M6・5の熊
本地震はいわば前触れにすぎなかった。M7・3は阪神大震災と同
規模で、エネルギーの大きさは熊本地震の約16倍に及ぶ。

 なぜ“主役”の本震が控えていることを見抜けなかったのか。会
見した気象庁の青木元・地震津波監視課長は「ある地震が起きたと
き、さらに大きな地震が起きることをその場で予測するのは地震学
上、非常に難しい」と説明した。

 前震を事前に把握できれば地震予知にもつながるが、本震が起き
た後でないと分からないのが実情だ。東日本大震災でもM9・0の
巨大地震の2日前に、震源の北東側でM7・3の前震が起きていた
ことが後に判明した。

 16日未明の地震を本震と判断した理由について気象庁は、熊本
地震の余震域で発生したことや、熊本地震の規模が日奈久(ひなぐ
)断層帯の地震想定と比べてやや小さかったことを挙げた。

 もっと大きな地震が起きる恐れはないのか。青木課長は「この付
近の活断層の地震はM7級と想定されており、それ以上は考えにく
い」と述べた。

 16日未明の地震は、日奈久断層帯と交差する布田川(ふたがわ
)断層帯のやや北側で発生した。気象庁は2つの断層帯との関係は
不明としている。
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小規模噴火 気象庁、地震と関連なし
毎日新聞2016年4月16日 10時28分(最終更新 4月16日 15時49分)
 気象庁によると、16日午前8時半ごろ、熊本県の阿蘇山・中岳
第1火口で小規模な噴火があり、噴煙が火口から約100メートル
まで上がった。同庁は噴火警戒レベル2(火口周辺規制)を維持し
ている。 
 気象庁火山課は「(16日未明に同県で起こったマグニチュード
7.3の)地震との関連を明確に示すデータは得られていない」と
している。 
 火山噴火予知連絡会副会長の石原和弘・京都大名誉教授(火山物
理学)は「阿蘇山は地震前から噴火活動が続いており、このところ
の火山性微動のデータを見ていても、活発化する要因が見当たらな
い。今のところは、たまたま同じ地域で地震と噴火が重なったと見
ていいと思う」と話した。【五十嵐和大】 
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「熊本地震は南海トラフ地震の前兆かもしれない」専門家が警告
2016年04月16日(土) 高橋学 現代
非常に「いやな位置」で発生した地震

4月14日21時26分に北緯32.7度、東経130.8度深さ11kmを震源とした
、震度7、M6.5の地震が熊本県で発生した。いわゆる内陸直下型地
震であり、2004年に起きた中越地震同様に多くの余震が続いている。

この地震は、非常に「いやな位置」で発生した地震である。という
のも、この震源が阿蘇山のすぐふもとを走る布田川断層であると考
えられるからだ。阿蘇山というのは、長野、静岡、愛知、和歌山か
ら四国を突き抜け、九州に至る巨大な断層の集中帯の上にある。

このことを考慮すると、最悪の場合、長野や静岡、四国、九州で、
今回と同じような内陸直下地震が立て続けに起こる可能性があるの
だ。そして、その先には、南海トラフの巨大地震が控えている。

イメージとして、今回の熊本の地震は、2011年3月11日に起こった東
北地方・太平洋沖地震(東日本大震災)に先立って発生した、岩手
・宮城内陸地震(08年)と類似していると考えていただきたい。

というのも、熊本地震が発生する以前、福岡の警固(けご)断層や
兵庫県の山崎断層で、震度1に満たないような地震が頻発していたか
らだ。これは、宮城内陸地震の前兆と似ている。そう考えると、ま
たひとつ大きな地震が起きる、とも推測できる。

また、熊本では2月12日以降、深さ10kmでM1.7〜M2.7の地震が発生し
ていた。これらの地震は規模が小さく、とるに足りないようにみえ
た。しかし、これらの地震を発生させているエネルギーの流れを詳
しく見ていくと、台湾−琉球諸島−西日本−中部日本−東日本の一
部の位置するユーラシアプレートと、その下にもぐり込んで圧縮し
ているフィリピン海プレートにまでたどり着く。

こうしたプレートの動き全体をみる必要性があり、今回の熊本の地
震だけでは収まらないと考えるのが、自然なのである。

事実、4月1日には、東南海地震を彷彿させるM6.1の地震が紀伊半島
沖で発生している。さらに、4月10日には兵庫県神戸市南東部の六甲
断層系でM4.3とM3.5の地震が続いた。ここに至り、台湾から東日本
の一部までを全体として捉え、それらの地震を関連付けて考えるの
は間違いでないと確信するようになった。

世界的に大規模な地震が起きている

筆者はすでに、プレートの動きと、内陸直下型地震、火山噴火、プ
レート(海溝)型地震の関係を図のように整理している。結論を先
に言うと、台湾−沖縄−西日本−東日本の一部ではステージ3以降を
、東日本ではステージ4以降に注意をはらう必要がある。

ステージ1:フィリピン海プレートや太平洋プレートが、ユーラシア
プレートや北米プレートに沈み込み、その圧力でユーラシアプレー
トや北米プレートが割れ、内陸直下型地震が生じる。兵庫県南部地
震(阪神・淡路大震災)などがこれにあたる。このときのマグニチ
ュードはM7.2で、日本では5年に3回程度起きる地震である。兵庫南
部地震の場合、神戸という大都市直下で地震が発生したため、マグ
ニチュードに比して震度が大きく、建物の倒壊などの被害相次いだ。

ステージ2:ユーラシアプレートや北米プレートにあるマグマ溜まり
が圧縮されて火山が噴火する。口永良部島、桜島、阿蘇山などがこ
の例である。この段階の火山噴火はマグマ溜まりにあるマグマが噴
出してしまえば一段落するので、それ以上大きくはならない。2009
年から現在まで続く九州各地の火山がこれにあたる。

ステージ3:ユーラシアプレートや北米プレートが耐えかねて跳ね上
がり巨大なプレート型(海溝型)地震が発生する。その前にステー
ジ1のように内陸直下型地震が起きることがある。今回の熊本の地震
は、おそらくこれにあたると筆者は考えている。

ステージ4:プレート間の摩擦が減少したため、従来よりも数倍の速
い速度で太平洋プレートやフィリピン海プレートが北米プレートや
ユーラシアプレートの下にもぐり込み、ふたつのことが引き起こさ
れる。

ひとつは、もぐり込んだプレートが溶けてマグマとなり、火山の巨
大噴火を引き起こすことだ。もうひとつは、沈み込むプレートの速
度が速くなり過ぎて、太平洋プレートやフィリピン海プレートがち
ぎれて(正断層)、再び海底でアウターライズ型地震(再度、大き
な地震が発生すること)が発生すること。

今回、もうひとつ気にかかるのは、4月14日前後に、日本だけではな
く、フィリピン海プレートとインド・オーストラリアプレート境の
フィリピン海、太平洋プレートとインド・オーストラリアプレート
境のバヌアツ、太平洋プレートと北米プレート境のカムチャッカ半
島でも大規模な地震が起きていることである。

フィリピン海プレートは比較的小さなプレートで、その東側と北側
には太平洋プレートがもぐり込んでいる。これまであまり注目され
てこなかったプレート同士ではあるが、フィリピン海プレートの圧
力を受けている桜島の噴火が2009年頃から急増し、2011年にピーク
に達したことや、西之島新島が形成されたことなどをみると、今後
、フィリピン海プレートと太平洋プレートの関係にも注目していか
ねばならない。

特に、首都直下型地震の可能性を考える場合、これらの関係は極め
て重要である。

今回の熊本の地震は、ステージ3の南海トラフ地震の「前奏曲的」な
意味合いが強いと考えられる。筆者は2020年東京オリンピックまで
に、南海トラフ地震の発生が懸念される状況にあると考えている。
筆者の推計では南海トラフ地震の津波被害者は、47〜50万人である
。熊本地震を単体のものとしてとらえず、日本全体の「危機の前兆
」と認識し、対策を講ずる必要があるのだ。
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記事 保立道久
2016年04月15日 19:19BLOGOS
 火山地震103熊本地震と中央構造線ーー9世紀地震史からみる
 4月14日の熊本県地震の被害の大きさに衝撃をうけています。
なくなられた方を御悼みするとともに、被災地の皆さんのご無事を
願っています。
歴史家としての情報提供の仕事ですが、この地震を考える上で、9
世紀の東日本太平洋岸地震(奥州地震・大津波、869年)の前後
の状況を知っておく必要があると思います。しばしばいわれるよう
に、9世紀の列島の地震・噴火の様子は、現在に似ている部分があ
るからです。
 869年の奥州大地震が2011年3月11日の東日本太平洋岸
地震とほぼ同じ震源断層と津波の規模をもっていたことはよく知ら
ています。869年の熊本県地震と昨日、2016年4月14日の
熊本県地震は、もちろん同じような地殻の運動ということはできま
せんが、東北沖の太平洋プレートの沈み込みが起こした大地震・大
津波ののちに起きた地震として共通性があるということはいえるで
しょう。現在のところ、ジャーナリズムでは明瞭に報道されていな
いようですが、どのような地殻の動きの結果であるかということは
明示できないとしても、列島の大地は3月11日の東日本太平洋岸
地震に直接に続く地殻運動の中にあると考えるべきであると思いま
す。
 昨日の熊本地震は熊本を東北から西南に横切る布田川(ふたがわ
)断層帯・日奈久(ひなぐ)断層帯において発生したものですが、
869年の熊本県地震は地震学ではまだ震源断層もマグニチュード
も確認されておらず、地震本部の熊本県の地震の一覧のなかでも、
まだ明示されていません。ただ、下記の拙著で述べましたように文
献史料からは、発生したことがほぼ明らかです。
 そうだとすれば、この869年地震は徳川時代から何度も何度も
発生してきた熊本の大地震のもっとも古い例として注目されるべき
ものと思います。研究を急ぎ、それに対応して地域の小学校では基
礎知識として教材化するべきものであると思います。それによって
、列島の国土についての常識を蓄積していくことはいざというとき
に力を発揮するものと思います。現状では、歴史教育において、こ
れらの点への配慮がきわめて不十分です。
  なお、問題は、この断層帯が中央構造線につらなるものであるこ
とです。原発の置かれた伊方が中央構造線上にのびる佐田岬にある
ことの危険性はよく知られていますが、鹿児島の川内原発も、ほぼ
この布田川(ふたがわ)断層帯・日奈久(ひなぐ)断層帯の延長線
上にあることは無視できません。
  中央構造線については小学校から教えるべき事柄ですが、そのと
き、同時に原発についても子どもたちに考えてもらうことも大事で
す。彼らの未来に関わる問題なのですから。
 以下、 熊本地震を受け、拙著『歴史のなかの大地動乱』(岩波
新書)の熊本県関係の記述を部分的に下記に引用しました。地震の
事態を考える上で、少しでもお役に立てれば幸いです(拙著の
869年=貞観11年の東日本太平洋岸地震につづく部分の引用で
す)。
 (869年=貞観11年)の時期の国家は、旱魃・飢饉・疫病が
拡大し、さらに地震が頻発するという不安定な情勢に対して深い恐
れをいだいた。この年の年末一二月、清和が各地の神社に提出した
「願文」は、それをよく示している。(中略)この清和の願文は、
宣命体といって、神主があげる祝詞の文体で書かれている。そのた
め読みにくいこともあって、これまで見逃されてきたのであるが、
この史料は地震史料としても重要なものである。
  該当部分を引用すると、「肥後国に地震・風水のありて、舍宅、
ことごとく仆顛り。人民、多く流亡したり。かくのごときの災ひ、
古来、いまだ聞かずと、故老なども申と言上したり。しかる間に、
陸奧国、また常と異なる地震の災ひ言上したり。自余の国々も、又
すこぶる件の災ひありと言上したり」とある。現代語訳をしておけ
ば、「肥後国に地震・風水害があって、舍宅がことごとく倒壊し、
人民が多く流亡したという。故老たちもこのような災害は聞いたこ
とがないという。そして、陸奧国からも異常な地震災害について報
告があり、さらにその他の国々からも地震災害の報告があった」と
いうことになる。
 これによって、この八六九年(貞観一一)、陸奥沖海溝地震のほ
かに、肥後国でも、また「自余の国々」(その他の国々)でも地震
災害があったということがわかる。まず後者の「自余の国々」の地
震が何カ国ほどで、どの程度の地震であったのかが問題であるが、
これについては九世紀陸奥沖海溝地震の震源はむしろ遠く北にあっ
たのではないかという前記の石橋克彦の想定、および地震学の平川
一臣が同地震による津波の残した砂層が北海道十勝・根室の低湿地
まで確認できるとしていることを考慮しなければならない。しかし
、陸奥沖海溝地震が陸奥国のみでなく、関東地方でも被害をだした
可能性は高いだろう。また三.一一東日本太平洋岸地震は関東から
四国・九州まで多数の誘発地震を引き起こしているから、その規模
は別として九世紀においても全国的な影響があったことは疑いない
だろう。
 そのうちで現在、文献史料をあげることができるのは、陸奥沖海
溝地震の約一月半後、七月七日に発生し、京都でも感じられ、大和
国南部で断層を露出させた誘発地震である。(中略)
 より大きな誘発地震は、陸奥沖海溝地震の約二月後の七月一四日
、肥後国で発生した地震と津波であった。その史料を下記にかかげ
る。
 この日、肥後国、大風雨。瓦を飛ばし、樹を抜く。官舍・民居、
顛倒(てんとう)するもの多し。人畜の圧死すること、勝げて計ふ
べからず。潮水、漲ぎり溢ふれ、六郡を漂沒す。水退ぞくの後、官
物を捜り?(ひろ)ふに、十に五六を失ふ。海より山に至る。其間の
田園、数百里、陷ちて海となる。(『三代実録』貞観一一年七月一
四日条)
 簡単に現代語訳しておくと、「この日、肥後国では台風が瓦を飛
ばし、樹木を抜き折る猛威をふるった。官舎も民屋も倒れたものが
多い。それによって人や家畜が圧死することは数え切れないほどで
あった。海や川が漲り溢れてきて、海よりの六郡(玉名・飽田・宇
土・益城・八代・葦北)が水没してしまった。水が引いた後に、官
庫の稲を検査したところ、半分以上が失われていた。海から山まで
、その間の田園、数百里が沈んで海となった」(数百里の「里」は
条里制の里。六町四方の格子状の区画を意味する)ということにな
ろうか。問題は、これまで、この史料には「大風雨」とのみあるた
め、宇佐美龍夫の『被害地震総覧』が地震であることを疑問とし、
同書に依拠した『理科年表』でも被害地震としては数えていないこ
とである。
 しかし、この年の年末にだされた伊勢神宮などへの願文に「肥後
国に地震・風水のありて、舍宅、ことごとく仆顛(たおれくつがえ
れ)り。人民、多く流亡したり。かくのごときの災ひ、古来、いま
だ聞かずと、故老なども申と言上したり」とあったことはすでに紹
介した通りで、相当の規模の肥後地震があったことは確実である。
津波も襲ったに違いない。これまでこの史料が地震学者の目から逃
れていたため、マグニチュードはまだ推定されていないが、聖武天
皇の時代の七四四年(天平一六)の肥後国地震と同規模とすると、
七.〇ほどの大地震となる。ただ、この地震は巨大な台風と重なっ
たもので、台風は海面にかかる気圧を変化させ、高潮をおこすから
被害は大きくなる。それ故にこのマグニチュードはあくまでも試論
の域をでないが、それにしても、一〇〇年の間をおいて二回も相当
規模の地震にやられるというのは、この時代の肥後国はふんだりけ
ったりであった。
 清和は一〇月二三日に勅を発して、全力で徳政を施すことを命じ
、国庫の稲穀四千石の緊急給付に支出し、「壊垣・毀屋の下、ある
ところの残屍、乱骸」などの埋葬を指示している。被害は相当のも
のであったに違いない。なおこの勅にも「昔、周郊の偃苗、已を罪
せしに感じて患を弭め」とあることに注意しておきたい。周の地に
偃した苗脈(地脈)の霊が、文王が自分の罪を認めたことに感じて
災いをやめたということであって、その典拠は、聖武以来、つねに
参照される『呂氏春秋』の一節である。それだけに、清和朝廷は、
この勅の起草にあたって、聖武の時代の肥後地震の記録をふり返っ
たに違いない。そして、聖武の時代の肥後地震の翌年、七四五年(
天平一七)に、紫香楽京にいた聖武を美濃地震が直撃したことにも
気づいたのではないだろうか。そして、彼らは同じような事態の成
り行きをなかば予知し、恐れたのではないかと思う。
 そもそも、肥後国は阿蘇の聳える地域であり、富士山の大爆発の
後に、小規模であれ、阿蘇も噴火している。そこを舞台として地震
・津波が発生したというのは、火山の中で、阿蘇の動きをきわめて
重視していた当時の人々にとって、真剣な顧慮の対象であったはず
である。神話的な直観のようなものであったとしても、八・九世紀
の人々が、経験を通じて、地震の全国的な連動を直観していたとい
うことはいえるのではないだろうか。なお、三・一一の東日本太平
洋岸地震においても、そののち熊本県での地震が活発化している。
もちろん、陸奥沖の地震と、熊本(肥後)の地震が直接に連動する
わけではない。しかし、列島の地殻の全体が不安定性をます中で、
肥後地震が誘発されたことは明らかである。
 (以上引用終わり)
 一部では、3,11を忘れているかのような言動がありますが、
地殻の運動は目に見えない場所で、厳しく続いていることを忘れる
ことはできません。残念なことに、国家の内部にもそれを忘れたか
のような動きがあります。3,11の被災地の窮状を放置したまま
党利党略に走る様子には怒りがこみあげます。そのような国家や政
府は無用の長物ですが、私は、それとは区別された民族、その大地
と、そこに居住する人びとに対する祖国愛は歴史家にとって必須の
ものであると考えています。
 11日から京都出張でしたが、11日には9世紀地震の痕跡の可
能性のある遺跡を見学しました。そのしばらく後に地震が発生する
というのは、研究を急ぐことが職能的な責務であるという気持ちを
駆り立てます。



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