5514.フィンランド・オーロラ旅行記



10月3日から9日の6日間、フィンランドにオーロラとヘルシン
キの街を見に行った。フィンエアを使い、成田からヘルシンキに飛
び、ヘルシンキでロバニエミ行のフィンエアの国内線に乗り換えた。

ヘルシンキまでは日本人が多かったし、日本人の入国審査で専用自
動ゲート機があり、この自動ゲート機は、EU、米国、カナダ専用
と日本人専用の2つが別々に設置されているが、この2つしかない。
それだけ、日本人旅行者が多いということのようである。便も成田
、名古屋、大阪の3便が毎日運行している。しかし、フィンランド
国内線には、ほとんど日本人はいなかった。我々のグループ12名
だけであった。

ヘルシンキまでの日本人は、スペインやバルト3国、ドイツに向か
う便に乗り継いでいるようだ。成田からヘルシンキは9時間半と飛
行時間が少ないので、疲れないことが良い。

フィンエアはシベリア上空を飛ぶので、飛行時間が短いようである。
フィンランドは、ロシアに近く、ロシアとの友好関係があるので、
シベリア上空を飛べるようである。

そして、ヘルシンキの空港は広くない。空港を見ると、ほとんどフ
ィンエアしかいない。フィンエアのハブであるが、その他の航空会
社がフィンランドにはないのであろう。

このため、空港が狭く乗り継ぎも簡単なので、欧州各地に行くのに
時間的な面で便利なために、この便が利用されるようである。しか
し、その狭い空港に多数の乗換客がいて混んではいる。中国人、韓
国人も多く見かけるので、この人たちも乗り換えにヘルシンキ空港
を利用しているようである。

1.オーロラ
ロバニエミからバスで、オーロラを見るイナリまで4時間、途中で
暗くなり、オーロラが見え始めた。3回バスを暗がりに止めてオー
ロラを観察した。10時過ぎにクルタホビ・ホテルに着いた。

荷物を整理後12時にホテルの外に出た。このホテルはオーロラ観
光の拠点のようなホテルであるが、ここでも我々のグループしか、
日本人はいない。1組中国人の3人家族がいて、その人たちもオー
ロラ観察のようである。

オーロラが出るのは、日本人は冬と思っているが、8月中旬から見
え始めて翌年6月まで見えるという。このため、10月でも見える。
北極圏ではないヘルシンキでもオーロラが10月7日には見えたと
いうので、今年はオーロラの当たり年なのかもしれない。

ということで、ホテルを深夜12時に出たらオーロラが出ている。
オーロラは写真を見ると緑色に光っているので、実際もそうであろ
うと思っていた。しかし、実際は白い雲が出ている感じにしか見え
ないが、カメラで撮影すると、緑色に光って写っている。良い写真
を撮りたくて2時まで外にいた。

3脚を持ってこなかったことを悔やむ。シャッター時間が長いので
3脚があったほうが良い写真が撮れる可能性が高い。

ということで、地元民は、オーロラは珍しくないので、見ることを
しない。特に雲のようにしか見えないので、それほど興味がないと
いう。

2日目も昼まで雪であったが、夜に晴れてオーロラが出た。2日目
は10時にホテルを出たが、1日目よりも強い光を放っているよう
である。肉眼でも緑色に見える。もう一度、朝4時に出たが、オー
ロラは見えなかった。

イナリ湖まで10分ほど歩いたが、この時期、夜の気温はー2℃で
ある。防寒具を持ってきたが、やはり寒い。我々のグループしか、
この夜の時間に歩いていない。現地の人たちは、寒いので車での移
動で、通学の子供たちが歩く程度だ。

2.ラップランドの原住民(サーメ人)
2日目はサーメ人の文化を見に行った。トナカイ牧場とシーダ博物館。
トナカイを20頭飼育しているが、5頭以外は放牧しているという
が、その実態はほとんど人がいないので放置しているようだ。とき
どき、道路に出てきて車と衝突するようである。フィンランドの人
口は、日本より少ないが同じような面積で500万人しかいない。
特に北極圏のラップランドには、ほとんど人が住んでいない。

サーメ人は、アジアから来たが北欧のデンマーク辺りから北上して
きたようである。トナカイの放牧で、その肉と毛皮を利用して生活
してきた。また川魚を食料にして、生活してきたという。ヨイクと
いう民謡が残っているが、哀愁の歌である。サーメ人は14言語が
あり、お互いに言語が通じない。

3.地元のスーパー
イナリのスーパーは、野菜が少なく加工食品が多かった。特にチー
ズの種類が多い。このため、イナリでの食事は期待できない。私の
家族は、娘、妻、私であるが、味噌汁を持ってきてお湯を沸かして
飲んでいた。チョコがおいしいので、それを買って食べた。

ロバニエミはラップランド州の州都であり、街を形成しているが、
イナリのスーパーより綺麗で品数も多くある。そして、首都ヘルシ
ンキのスーパーの方がより品揃えが多い。野菜もイタリアなどから
輸入しているのであろう、いろいろな種類の野菜がある。品揃えと
いう意味では、日本と同じである。

4.サンタクロース村
サンタクロース村でサンタと会う。サンタは日本語もできて、住ん
でいる場所の話になり、東京の西に住んでいると言ったら、吉祥寺
や立川などの名前が出てきた。我々の前が中国人で、サンタの執務
室に我々が入っていると、戻ってきてサンタと再度話したので、ビ
デオに中国人も写り、ビデオの提供ができないということで、ダウ
ンロードで30ドルになった。ビデオ付きの場合は40ドルである。

この時期、観光客が少なく、店を4時前には閉めていた。日本人、
中国人を見るだけである。閑散としていた。

5.サンタクロース・エキスプレス
21時15分発のロバニエミ発ヘルシンキ行のサンタクロース・エ
キスプレスに乗った。新型車であり、2階の寝台2人個室で、個室
にシャワーとトイレが付いている。トイレとシャワー室が1つにあ
り、壁を動かして、2つの機能を1つにしている。

フィンランド国鉄は、VRという表記であり、ロシアの鉄道と同様の
広軌で、ヘルシンキからサンクト・ペテルブルグまでの国際特急を
運転している。また、このサンタクロース・エキスプレスを牽引し
ている電気機関車もロシア製であった。

朝9時にヘルシンキ着。ヘルシンキ駅には改札がなく、列車を降り
るとそのまま街に出られる。ヘルシンキ行の通勤電車があり、日本
の風景と同じ様な通勤風景があった。

6.フィンランド事情
ヘルシンキを案内してくれたガイドさんが面白かった。フィンラン
ド事情が聞けた。このガイドさんは、年の頃50歳から60歳程度
の男性であり、林業を学ぶためにヘルシンキ大学に留学してきて、
35年間フィンランドに住んでいる日本人である。

今も独身で結婚はしていない。フィンランド人が外国人と結婚して
も、80%が離婚しているという。こちらは離婚率が高く、離婚し
た同士が結婚することも多いようだ。

女性は1.8人の子供を生んでいるので、日本ほどには人口減少は
ないが、それでも高齢化社会になり、高齢化率が現時点でも25%
程度である。移民なども受け入れている。このため、ホテルの部屋
の清掃等はフィリピン人であるし、外ではブルカ姿の女性を見るの
でイスラム教の移民も相当いる。このため、人口減少はなく、若干
人口が増えているようだ。

そして、待機児童はいない。全員保育園に入れてくれる。その分女
性の労働を期待されている。

公務員でもバイトがOKであり、1日の労働時間は7時間半であり、
3時頃には帰宅して、保育園に子供を迎えに行くことができる。

高齢化率が上がり、徐々に社会保障が完備されているというが、有
償化されて負担率が上がっている。教育費の無料化も徐々に、有料
化されてきている。国家予算が不足して徐々に社会保障費用を下げ
ざるを得ない状況になっている。

教育費用も下げるために、ヘルシンキ大学でもリストラが起きて、
1500人が解雇されることになった。海外留学生の費用は有料化
された。

しかし、大学生も1年で190日程度しか大学の授業がない。休み
も多く、教授はアルバイトができる。ガイドさんの知り合いの教授
は、助手の時代から学部長、そして退職してからもずーっとタクシ
ーの運転手をしていたという。

ガイドさんもアルバイトですかと聞いたら、こちらが本業ですと言
っていた。最後の日に日本人の若い女性がガイドの見習いとして、
我々についてくれた。今までオランダにして、就職してこちらの現
地の日本人ツアー会社に来たが、これからシーズンを迎えるオーロ
ラ観光のために、10月中旬から北極圏のロバニエミ駐在になると
いう。

日本人のオーロラ観光の本番は冬のようである。気温が−30℃にも
なる季節に大挙して押しかけるようだ。夜しかないので、24時間
オーロラを見ることができるためであろう。

7.ヘルシンキ観光
ハメ城、アウランコ国立公園、イッタラ・ガラスセンター、ヌーク
シオ国立公園、ヘルシンキ大聖堂、シベリウス公園、ハカニエミ・
マーケットなどに行った。あまり印象に残らない。ヘルシンキ大聖
堂でトイレに入ったが、1ユーロが必要であった。

映画で有名な、かもめ食堂(KahvilaSuomi)は、日本人観光客ため
に、かもめ食堂というカンバンも出していた。日本人がいて、日本
語で注文ができる。やはり日本人観光客が多いという。

マーケット広場やかもめ食堂など街を歩くと、ビルがつながってい
ることと石畳の道とトラムが街の雰囲気を作っている。非常に落ち
着いた街になっている。ヨーロッパの街の雰囲気である。しかし、
全体的に新しい街である。ビルが古くても100年程度しか経って
いない。

8.空港で手荷物検査
帰りの便で、妻が手荷物検査で引っかかり、まず英語が出来るか聞
かれて、少しと言うと、色々と質問をしてきた。花火職人か、建築
家か、何か花火を持っていないか、拳銃を持っていないかなど、ど
うも火薬の反応が出たということのようである。

妻は、専業主婦であり、そのような爆発物や火薬を持っていない。
何が反応したか、1つづつ検査したが全体では出るが、個別では出
ないようである。

このため、係員が上司を呼び、上司が同じようにリトマス紙のよう
な試験用紙でいろいろな所を葺き、それを機械にかけて入念にまた
調べる。

ある種のハンド・クリームも聞かれたが、つけていないと妻は言う。
ということで、わからない。

飛行機の出発時間までに間に合うのか、心配で、こちらもドキドキ
である。確定できずに、1時間程度過ぎた時点で、わからないが、
行って良いということになった。

このため、何が原因かわからない。しかし、飛行機には間に合った
ので、良いこととするしかない。

何が原因なのか、知っている人がいれば、お教えください。

最後の最後まで、ヒヤヒヤした旅行でした。


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