5499.テレビ版「デスノート」を観終えて



テレビ版「デスノート」を観終えて
	            2015年09月21日 S子

私は「デスノート」の原作を知らないし、その映画化されたものを
これまで観たこともなく、だから、今回のテレビ版「デスノート」
を全くの白紙状態で素直に観ることができ、存分に楽しめた。
余計な知識や視覚情報等のないニュートラル状態でテレビ版「デス
ノート」を観ることができたのは、本当に幸運だった。それ程「デ
スノート」は私の心を強く惹き付けて止まず、毎回心躍らされてく
れた。

最終回では、夜神月(やがみらいと)役演じる窪田正孝の鬼気迫る渾
身の演技が強く印象に残っているが、それだけこの「デスノート」
の持つ魔力の独断的強さ、怖さ、重さ、悲しさと言う人間の感情の
負の側面を夜神月自身が体現していたからに他ならないと、私は思
っている。

数々の場面が記憶に残っているが、とりわけ印象深く思い出される
のが、夜神親子の対決シーンである。犯罪のない心優しい人たちだ
けが住む平和な世界を目指し、構築するという同じ目標を抱きなが
らも、その方法が夜神親子では違っていた。

夜神月は「デスノート」を使って有無を言わさず容赦なく犯罪者を
抹殺していき、警察官(刑事)である父親は犯罪者を捕まえ、法の下
で裁き、その命の抹殺にもある程度の猶予を与えると言うものであ
る。

両者の唯一明確な違いは、そこに法と言う社会の正義的ルールにの
っとるか否かと言う点だ。

そして、その法の名の下ルール違反した犯罪者を捕まえる権利を与
えられたのが警察官(刑事)であるが、昨今ではその現職警察官によ
る窃盗、強盗、殺人、強姦等が増え、それを警察官が犯罪者として
の警察官を捕まえるといういびつな構図が生まれている。

また、スピード違反の取り締まりでは、警察官によるねずみ取り作
戦で新たなルール違反者を生み出しているという「正義」にあるま
じき職務遂行をしている。こうして、改めて警察官(刑事)の存在を
熟考してみると、その存在自体に矛盾しているものがあるとわかる。

夜神親子の対決シーンで父親が「月、お前は間違っている。」と断
言したが、社会の正義的ルールに違反した殺人だから「間違ってい
る」のであって、いくら弱者の立場に立ち、彼らを救済しようが、
現社会では月の行為は悲しいかな正義としては認められない。

L(エル)との対決で月が勝利した時に「勝った者が正義になるんだ
。」と月が言い放ったが、このことは現社会では暗黙の了解として
人々に容認されており、そのための愚かな戦争が絶えないのも事実
である。

最終的には夜神月は社会の正義を預かる警察官(刑事)に銃で打たれ
倒れ、燃え盛る炎の中、無念に死んでしまうが、よくよく観察すれ
ば警察官(刑事)の行為は殺人なのである。ただそこに法という社会
の正義的ルールが存在しているから、警察官(刑事)は殺人をしても
立場が正当化されるということだけである。

そのような矛盾を直に身体に感じながら悔しく思い、それでも月は
目指す所はただ一つ犯罪のない平和な世界だと言い残し若い命を果
てた。何回ビデオを観てもこの場面だけは涙がとめどもなく溢れて
くる。

夜神月の壮絶な最期は、私たちに社会の正義的ルールという法が必
ずしも絶対的なものではないことを示唆してくれる。だから、月が
「デスノート」を使った違法な殺人(あくまでも犯罪者を対象にする
)を繰り返し、いつかそれが世の中で正義として認められるまでは、
「デスノート」による裁きを続けるしかないと言ったこともわから
ないではない。

月が最終的に目指す場所は犯罪のない平和な世界なのだから…

しかし、それが叶わなかったのは、夜神月と言う名前が示すように
、「月」は自らその光を放つことはできない故に世の中を照らすこ
とはできない。所詮、夜(闇)の神でしかない。いつも燦々と光輝く
太陽が存在してこそのお陰様の「月」なのである。

だから、夜神月は「デスノート」の存在なくしては新世界を構築す
ることもできなければ新世界の神になることもできなくて当然だ。
それでも私は夜神月擁護派である。夜神月演じる窪田正孝の演技は
毎回を通じて光を放っていたし、月の生き様は生ぬるい今の平和に
安住してどっぷり浸かっている誰のどんな人生よりも明確に「生」
を生き抜いた。

(ご無沙汰しております。S子です。ここ一年三ヶ月の間に、義理両
親、父親を亡くし、個人的にも生活が一変しました。国際戦略コラ
ム、F氏の今後より一層の発展を祈願します。感謝。)
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(Fのコメント)
S子さん、お久しぶりです。精神分析的な話題をいつもありがとう
ございます。私Fは相変わらず、いつものように、今までとは変わら
ずに生きていますよ。変化なく。

精神的な修行の方法で見た予測をどう社会に活かしていくか、いつ
も、それだけを願っていますので、全然変わりません。

しかし、徐々に黙示録の世界に来て、地震や火山噴火、戦争などの
人類に降りかかる悲劇が増えると見ています。益々、このコラムで
の予測は悲劇的なものになりそうと心配しているところです。




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