5481.現代という芸術アラカワ



現代という芸術アラカワ
From:tokumaru

みなさま

今日は、あさから、3本の原稿を書いています。

http://milestone-art.com/MILESTONES/issue174/htm/p11tokumaru.html

現代という芸術アラカワ  

大人になっても、より多く、より深く、より遠くまで学習し思考す
るために

アラカワはニューヨーク郊外で赤ちゃんの研究をしていた。
どんな動物でも赤ちゃんはかわいいが、ヒトの赤ちゃんは特別だ。
乳児が世界をみる目は、好奇心にみちあふれ輝いている。なんにで
も興味をもって、ちょっとしたことで天真爛漫に笑う。ヒトの乳児
の期間は、あえて1年間寝たきりの生活をして、知能を成長させる期
間なのだ。
9か月の妊娠期間があれば、ゴリラやチンパンジーの赤ちゃんのよう
に、生まれてすぐにお母さんにつかまって、木々の枝伝いに逃げる
ことも可能なのだ。おそらくサバンナに住んでいた初期人類の赤ち
ゃんは、生まれてすぐに立つことができたはずだ。
何万もの洞窟や岩陰がある南アフリカで、中期旧石器時代の始まる
今から13万年前に、安全な育児環境を獲得し、閉経後のメス(お祖母
さん)が育児参加して、赤ちゃんは1年間寝たままで脳を大きくし知
能を発達させるようになった。

本来、生まれてすぐに立ち上がれる早成動物であるのに、安全な育
児環境を獲得し、かいがいしい世話を受けるようになって、晩成化
したという点で、ヒトはツバメに近い。ツバメは人家の軒先に巣を
作って晩成化し、早く、高く、遠くまで飛べるようになった。A. ポ
ルトマンは、ヒトやツバメを「二次的晩成動物」と呼ぶ。
これは自然界では一般的な現象で、「外界の敵から自己を防御する
必要性から解放されると、子供の組織はよい大人になるための仕事
にカロリーの大部分を消費するようになる」(R.D. アレキサンダー)
のだ。
アラカワの天命反転は、大人に、赤ちゃんの好奇心と学習能力を取
り戻すメカニズムである。乳児の学習能力を回復すれば、ヒトは、
より多く、より深く学び、深遠な宇宙の法則をみつけるのではない
か。

得丸
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ケープタウンから、ポチェフストロームまで
From:tokumaru@

皆さま、

8月25日から30日までケープタウンにいて、ケープタウン大学の
友人の学生たちに、「カラハリ隕石衝突仮説」の講義を一時間
させてもらいました。

概念とは何か、公理とは何か、参照モデルとは何か。
学ぶとは何か、思うとは何か、といった理論的な話から入りまし
たが、学生たちはけっこうしっかり話を聞いてくれました。

ケープタウン大学は、南ア考古学・人類学の中心だった大学で、
アフリカ研究のための本を集めたヤガー(Jagger)図書館があり、
そこで50年分の南ア考古学協会雑誌の閲覧もできました。

南アフリカには、国立の考古学調査所があったのに1960年ごろ
とりつぶされたことも知りました。300万年前に生まれた初期人
類、7万年前に生まれた現生人類の両方の生地であるにもかかわ
らず、人類学と考古学の最近の研究活動は非常に低調である
様子も図書館で調べていてわかりました。

非常に残念なことです。人類は自らの出生の秘密を、知りたく
ないというのでしょうか。

クラシーズ河口洞窟から出土された人骨化石を所蔵している
国立南アフリカ博物館(IZIKO)の本館にいったところ、なんと
一切展示をしていないのです。これには驚きました。

さすがに文句を言ったところ、別のところに所蔵しているとい
います。そこに電話して、翌日アポイントメントをとっていくと、
一般には「センシブル(問題がある)」だから公開はしていない。
見学をしたかったら、部長に申請書を上げて許可をもらわないこ
とには見せられないと担当者に言われました。

即、受付でその部長に電話してくれといったら、通りに出て、
100ⅿくらい離れたところのビルにいるから、直接いったほうが
よいと言われて、おしかけて、申請書をその場でつくって、
APUのために用意した英文履歴書を印刷してもらって、許可を
もらって、最古の現生人類の顎骨(オリジナル)をみてきました。

アルフレッド・ウェゲナーの大陸移動説を支持して、みずから
南米の地質調査をおこなったアレキサンダー・デュトワという
地質学者のお墓参りにも行きました。広大な墓地で、はたして
お墓がみつかるのかと不安になりましたが、タクシー運転手の
機転と、亡くなった日にちがわかっていたので、なんとかなり
ました。

30日から、南ア人類学会議のために、ポチェフストローム
にきています。

ここはユネスコ世界遺産である、20億年前の隕石衝突跡の
フレデフォートドームの外輪(中心から50kmくらい)にある
小さな町です。

僕の発表は、あと2時間ほどで始まりますが、他の人の発表を
聞いているかぎり、南アという人類の生地で行われているという
気がしてきません。

1968年の大学紛争のときに、大学は学際研究をしないことを決め
て、それぞれの学問領域のなかで、たこつぼ化したことが大きい
気がします。

僕の発表は、隕石衝突、大陸分裂に少しだけ触れてから、初期
人類と現生人類の概念分割の必要性、クリック子音と母音に
よって文法が可能になったという話になる予定です。

聴衆の反応がどうなるか、楽しみです。

明後日、ヨハネスブルグにもどって、そのあとモザンビークに行く
予定です。

天正少年使節も、ペドロ岐部も、季節風を待つために半年くらい
滞在していたようです。

また、南ア共産党の中心にいたルス・ファーストが1982年8月に
手紙爆弾で殺された地でもあります。お墓参りをするつもりです。


(追伸)
ひとつだけ、書き忘れていたことがありました。

ケープタウンでお世話になったのは、ジンバブエ人の黒人で
すでに9年ほどケープタウン大学に勤務しています。

お礼にと、ゲストハウスでおいしいイタリアンを教えてもらって
二人で金曜日の夜にいきました。

すると、そこはNewlandsという白人地区で、客は全員白人、
ウェイターは全員マラウィとかジンバブエとか近隣黒人国から
の出稼ぎで、南ア黒人を排除した空間でした。

そういうところがけっこうあるそうです。

ケープタウン大学でも、南アの黒人は採用しないという不文律
があるようで、一人もいないそうです。

1994年の民主化の狙いはこんなところに表れているのかもしれ
ません。

でも、黒人たちは、昔のような暴力がないだけましだといって
います。

なかなか割り切れない南アフリカの現実でした。

得丸
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カラハリ隕石衝突仮説のその後
From: tokumaru

皆さま、

前の会社で会社員をしていたとき、会社を休んでいるときが一番
忙しくて大変でした。

会社を辞めて、それが毎日となって、超多忙です。

学会誌にカラハリ隕石衝突仮説のその後の発展について書き、
9月に松山で開かれる学会で、2本の発表(タンパク質の情報理論
と、論文自動査読システムの提案)をし、

8月末にケープタウンで地質学の、ノースウェスタン大学で人類学
の講演を2本して、

さらに、EVOLANGという言語の起源の学会の論文の締切があって、

荒川修作の七回忌のためにもう一本、、、

一日に2〜3本の論文を推敲しています。

添付したのは、学会誌に送る原稿で、3日後が締切です。

東大の先生に翻訳してもらって、大いに宣伝したら、内容が間違い
でも、学会の通説になる、、、、プレート理論批判の話です。
竹内均も、上田誠也も、きっとイギリス王立協会からターゲット
にされたのではないでしょうか。

得丸


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