5454.論語輪講の楽しみ



論語輪講の楽しみ
大分合同新聞の読者の声
From: tokumaru
皆さま

異常気象という言葉が超異常気象へと暴走しているようです。
しかし、我々の認知能力がそれを認めないから、「暑い夏」とサラ
リと言ってのけている。
地球温暖化が、我々の認知能力を超えた次元にあることを示してい
ます。

さて、大分に帰ってから、大分合同新聞の読者の声に投稿を続けて
います。採用率は20%くらいですから、まずまずです。

没になったものも含めてご紹介します。

得丸


(1 不採用)   ピアジェ、永遠なる前衛
 著名人の墓参りが趣味ではないのだが、旅をすると墓に呼ばれる
。昨年は南フランスで免疫学者イェルネ(利根川進さんをノーベル賞
に推薦した科学者)、今年はアメリカ・プリンストンで数学者フォン
・ノイマンとゲーデル。
 2年前ジュネーブの学会に参加したとき、20世紀最高の知性の一人
、教育心理学者ジャン・ピアジェの墓参りをした。本や論文は読んで
いたが、ジュネーブで再会するのは予想外だった。
市中心部にあるプランパレ墓地は夕方で誰もいなかった。入り口の
地図をたよりに墓を探すが、見つからない。再度入り口に戻って、
地図で確かめた場所に見つけたのは、大木の木陰にある、ゴツゴツ
した石だった。墓碑銘はなく、雑草と苔に覆われ、カメムシもいた
。まるで禅の庭、枯山水。
墓をみて、ピアジェは死してなお前衛だ!と感動した。
 前衛を生きる人々の最大の辛さは、一生懸命に人類の未来のため
の研究をしても、だれにも理解されず、後を継ぐ人が少ないことだ
。ピアジェの著作は今読んでも新鮮である。若い人にも精読を勧め
たい。

(2 不採用)  学びて思わざれば危うし
 論語は孔子が亡くなった後で編纂されたため、著者校正を受けて
いない。秦の時代には焚書坑儒があり、散逸した竹簡を後世の人間
が復元した現在のテキストには誤りもある。
 有名な「学びて思わざれば」の句は、「学」と「思」が入れ替わ
ったと思う。「学ぶ」とは「新しい言語記憶を構築すること」、「
思う」とは「脳内での言語記憶相互の思考操作」と考えると、「思
いて学ばざれば暗く、学びて思わざれば危うし」が孔子の教えで、
「あれこれ考えても、新しいことを学習しなければ(妙案はうかばな
い)暗いままだ。学習してもそれを自分がすでにもっている知識と比
較検討しないと正しい意味で使えない」という意味になる。
すると前半は「終日食らわず、終日寝ず、以て思うも益なし。学ぶ
に如かざるなり」(衛霊公)、後半は「習わざるを伝う」(学而)、全
体は「博く学んで篤く志し、切に問うて近く思う」(子張)の教えに
近くなる。

(3 採用) 論語輪講の楽しみ
 かつて富山で単身赴任していたとき、ありあまる夜の時間に論語
の勉強会をしたことがある。知り合った3,4人の仲間で、仲間の一
人が経営している蕎麦屋の二階の会議室を提供してもらって月に1,
2度集まった。
テキストは、論語テキストの丁寧な校正を試みた碩学宮崎市定著「
現代語訳 論語」の文庫版を使った。現代人にもよくわかる、それ
ぞれがストンと納得のいく解釈だった。
学而第一から郷党第十まで、ひとつひとつ声に出して読み、誰かが
解説し、みんなで議論した。
一人で読むとスイスイ読めるところが、読書会だと変則的なリズム
で読むことになる。ふと緊張がほどけて、自由な考えが生まれると
きに、とんでもなくおもしろいひらめきが生まれたことが何度もあ
った。
高校卒業後37年ぶりに大分に居を移した今、誰か好学の士を募って
、論語か孟子の読書会を開けないものかと考えているところだ。


(4 不採用)  孔子と量子力学
 論語は今から2500年も前の古典なのに、いったい現代社会で何か
役に立つことがあるのかと多くの人は思うだろう。私もそう思って
いた時期があった。実は孔子は、天才的論理学者なので、ヒトが言
語を使って生きていく限り、孔子の教えはもっとも重要な指針とな
る。
「必ずや名を正さん」(名前を正しくしなさい)という教えは、五官
で感じられない物理学である量子力学や分子生物学が隆盛を極める
20世紀以降の混乱を救うことができる。たとえばSTAP細胞があるの
かないのかを議論するにあたって、STAP細胞の定義(論理的表現)が
明らかでなかったなら、あるともないともいえない。ひとつひとつ
の言葉に厳密な定義を与えることによって、はじめて量子力学を考
えることができるのだ。
 むしろ孔子の教えが守られていないために、現代科学は混乱し混
迷している。論語を繰り返し読み、言葉の正確な使い方、厳密な定
義を心がける必要がある。

(5 採用) 洗面器の打たせ湯
 このところ時間が自由になったので、別府の公衆浴場に足しげく
通っている。百円で入浴できる公衆浴場に週に2〜3回、それも昼
間に通っている。日本一の温泉県ならではの楽しみだ。 
 あまり混み合っていないとき、洗い場で仰向けに横になり、片手
を使って湯舟から洗面器でお湯を汲んでは、チョロチョロと胸や腹
や手や足に打たせ湯をしている。按摩とも灸ともつかぬ、心地よい
刺激を体が喜んでいることがわかる。
 この打たせ湯の弱点は、背中にかけられないこと。だから時々は
、打たせ湯のある浴場にも行って、背中や足の指先に湯の刺激を与
える。
湯量に余裕のある浴場は、今後改修の折りに打たせ湯を整備しては
どうだろう。

(6 採用) 7月21日投稿
海の日の報道で、クジラの死骸が打ち上げられたという記事があっ
た。世界各地でクジラやイルカやアザラシなどの海洋生物の死が報
告されている。これまで現 代人類文明が、海を無限のゴミ箱として
、ありとあらゆるゴミや汚染物質を投棄し続けてきた結果、クジラ
たちが生きていけない環境になってしまったのではな いか。海水の
量は13億立法kmで、一人にとっては海は無限に広いが、70億人が
ゴミを捨て続けるとすぐに毒性物質で汚染されてしまう。これから
ますます 海洋生物の汚染や健康被害が広がるだろう。その責任はひ
とえに現代人類文明にある。人類はあまりに無責任だ。そのうち水
俣病のように、ブーメラン効果でヒ トの健康も持続できなくなる。
日本人はとくに海産物を食べる文化であり、海洋汚染によって日本
民族が滅びる日が近づいているのではないかと恐れる。


(7 不採用)  プロとアマの違い
 だいぶ以前になるが、友人からプロとアマの違いを聞かれて答え
たのは、「そこに何があるかを語るのはアマチュア、プロフェッシ
ョナルはそこに何が足りないかを語る」だった。
アマは幼稚であり、感じたことをそのまま口にする。そして語った
ことで自己満足してそれ以上何かをするわけではない。
プロは知識が豊富で、完成されたもの、完璧なものをイメージする
ことができる。だがイメージしたものを実際に作りだすのがプロの
プロたるゆえんであろう。
 37年ぶりで故郷に帰り、大分は空気がきれい、食べるものがおい
しいと、そこにあるものを語るとき、私は自分がアマチュアな生き
方をしていると反省する。
知的な刺激、身体を鍛える場、芸術的な生き方への渇望を感じると
き、それを見つけだす、作りだすのがお前の仕事じゃないかと、自
分を叱咤激励する。

(8 不採用)  伝統宗教と新興宗教
 宗教には2通りある。伝統宗教と新興宗教だ。どこに違いがあるの
だろうと以前から気になっていた。
 最近、平成の時代に千日回峰と十二年山籠を達成した光永圓道和
尚の「千日回峰行を生きる」(春秋社)を読んで、身体修行をもつの
が伝統宗教で、もたないのが新興宗教ではないかと思い至った。こ
の基準は、背反的だから、二分するにはよい。
 お釈迦様は6年半の修行の末に悟りを開かれた。「所詮ヒトはアニ
マルだ、人間になるために修行と学習が必要だ。」この仏教が日本
に伝来すると、修験道や山岳信仰と結びついて、千日回峰が生まれ
た。

(9 不採用)
喉仏は舌の骨
 祖母が亡くなって火葬場で、焼いた骨を骨壺に収める作業の仕上
げに、係の人が喉仏の骨を一番上においた。喉仏は人間のシンボル
なのかと思った。
 この十年ばかり、人間の言語の起源と脳内処理メカニズムを研究
してきたが、サルとヒトを分ける唯一の身体的特徴は、じつは喉頭
降下であることを知った。
喉頭降下とは、肺の空気の出口が首のまん中付近に下がることで、
そのために母音の共鳴がおきる特殊な声道を獲得したのだ。ヒトと
サルの違いは、母音の発声であり、母音のおかげで、文法(主として
単音節の付加または変化によって、意味の接続や修飾を指示するス
イッチであり、獲得すると無意識に使いこなせる)をもつ言語が生ま
れた。今から6万6千年前、南アフリカの海岸線で、母なる音が現生
人類を誕生させたのだ。
おかげでお餅や蒟蒻ゼリーが喉に詰まって窒息し、唾液が肺に入っ
て肺炎になるというヒトだけがもつ新たな身体欠陥をもつことにも
なった。
さて、喉頭降下によって、首のまん中にきた喉仏のうえに舌の骨が
ある。この骨は、他のどの骨とも関節でつながっておらず、舌筋だ
けによって動かされる。舌によって、我々は言葉を口にすることが
できる。まさに言語が現生人類を生みだしたのだ。


(10 投稿済)
最近はあまり聞かないが、かつてよく「ヒトとサルは毛が三本(の違
い)」と言われた。ヒトはサルと大差ない。ヒトも霊長類、哺乳類で
手足は四足で、明らかに動物だ。毛皮がないのは、衣服や布団によ
る摩擦のためで、毛根と産毛は残っていてそれがサルより三本多い
というのだ。
これは東洋的人間観の基本である。孟子(離婁・下)には「人と鳥や
獣の違いはほんのわずかでしかない。一般の人はその違いを失い、
君子だけがそれを保持する」とある。一般人は動物の次元にとどま
り、君子だけがその違いを理解して人間へと成長する。
孟子はその違いを仁義とするが、仁義も最近は死語で、医術や政治
の世界からも消えた。孔子の教えに照らせば、死ぬまで学習を続け
て自分を高めることが君子の生きる道と思える。ところが最近は大
学で教養科目を減らす動きが顕著で、ヒトが動物状態から抜け出す
のはますます困難になってきている。

(11 投稿済)
このところ、月に一回国東に行くたびに梅園と梅園研究をしていた
が亡くなった岩田さんのことを思いだしている。三浦梅園、広瀬淡
窓、帆足万里は豊後の三賢人と言われたそうだが、その後大分に彼
らを越える賢人は生まれていないのか。先哲資料館は大分県立図書
館にもあるが、残念ながら古文書の展示と解説にとどまっている。
せっかく先哲がいても、先哲の書き残したものを読みこなさないこ
とには、郷土の偉人として誇る意味がない。
梅園がいくらすごい人物であったとしても、彼の言ったことのすべ
てが正しかったわけではなく、彼がすべてを解明したわけではない
だろう。梅園の残した言葉を丁寧に読み解いて、誤り訂正を施して
、21世紀の最先端の科学知識で補強すれば、さらに新しいことがわ
かりはしないか。
三浦梅園を理解するためには、自分自身が梅園になりきって、梅園
の論理の発展や展開を自らの意識に再構築する必要がある。そして
さらに現代科学を学ぶとき、新たなひらめきが生まれるのではない
かと期待する。


(12 投稿)
日本国憲法第9条の平和主義は、日本人は軍隊を持たないことを規定
しているものの、日本自体は非武装にはなっていない。戦後一貫し
てアメリカ軍が駐留しているためである。
戦後民主主義は、日本人の非武装と日本の武装という矛盾から目を
そらし続けてきた。ときどき、思いやり予算や基地対策費などの名
目で矛盾が露呈するときがあるのだが、そのときにも憲法9条との関
係については沈黙してきた。
この問題は、国民主権があるのかないのか、元首はいるのかいない
のか、日本は独立国家であるのか、という国家存立の問題と表裏一
体であり、これまで政治学者も憲法学者もマスメディアも一切この
問題を取り上げてこなかった。
ここに戦後民主主義の最大の欺瞞がある。
戦後50年の節目を担った村山内閣のときに、社会党が自衛隊を合憲
とした際に確認しなければならなかった法基盤の問題である。それ
をしなかったために、戦後民主主義は死語となり、社会党も消滅し
てしまった。
戦後70年の今、それを考えることは無意味ではない。


(13 投稿) 
今年3月に米国オハイオ州デイトンにある空軍博物館を訪れたとき、
長崎に原爆を投下したB-29ボックスカーが、広島型と長崎型の原爆
模型とともに、誇らしげに展示されているのを見た。被爆者の写真
は一枚もなかった。操縦席の脇に、幌馬車の絵とともに「ソルトレ
イクから長崎へ」と描かれていた。
4月に長崎で外海町の遠藤周作文学館を訪れた後、長崎市内に戻って
中心部の諏訪神社、長崎県立図書館、立山防空壕の一画を歩いてか
ら、浦上地区の山王神社、原爆資料館、浦上天主堂、爆心地、如己
堂、平和祈念公園をさまよい歩いた。
高度9000メートルから目視で原爆を投下した際に、夏の濃い緑を背
景に赤レンガで造られた浦上天主堂の十字形が、投下目標となりえ
たことは確認できた。だが、東洋におけるキリスト教信仰の拠点で
あった浦上地区を、なぜキリスト教国である米国が原爆の投下地点
に選んだのかは、戦後70年経っても不明なままだ。

(14 不採用)
自分の死臭に包まれる

私は修行マニアというわけではないが、身体を鍛える修行は好きだ。
東京の東久留米市にある一九会道場は、山岡鉄舟門下の井上正鉄が
始めた禊と座禅の道場である。ここで修行するためには、初学とい
うやや厳しい三泊四日の修行を成就する必要がある。初学を終える
と、月々の修行に参加させてもらえる。
毎年夏には、暑気祓いと称して、前日の夕方から翌日の昼まで、禊
修行を十座する。よりによって一番暑い季節にと思うのは浅はかで
、そういう季節だから修行の効果は上がる。
声を出し、右手で鈴を振り続けていると、汗のために道着の袖が重
くなる。九座目をすぎて、道着から死臭が漂いはじめたのは驚いた
。かなりのデトックス効果があるらしい。
「精神なんか存在しない。あるのは肉体のみである」という平田内
蔵吉の言葉がある。サルより毛が三本多いだけの我々の人間性を高
めるためには、修行するしかないと思うのだ。

(15 不採用)
古山高麗雄の大分の血
 21世紀に書かれた戦争文学である『フーコン戦記』は、第二次世
界大戦中、ビルマ北東部のジャングルで飢餓と風土病に苦しんで無
意味に死んでいった陸軍58師団を描いた古山高麗雄の生前最後の作
品である。ビルマ戦線といえばインパール作戦は有名だが、フーコ
ンについてはあまり知られていない。私はビルマで戦没した大叔父
のことを調べていて、本書に出会った。
 読んでみると、戦地の地獄絵はそれを経験したものにしか伝えら
れないということと、生きるか死ぬかは運だけで決まるというドラ
イな哲学に貫かれたこの小説には、現実の暗さを笑い飛ばす突き抜
けた明るさが漂う。
 これを機に古山の作品を読んでいるのだが、自伝的小説『蛍の宿
』には、お父さんは宮城県出身の医者で、お母さんは大分の豊後高
田出身だったとあった。そうか、古山の明るさは大分の血なのかと
、妙に納得してしまった。宮城と大分の混血が、古山の文体を作っ
たのかもしれない。
 
(16 不採用)
 日本の産業革命関連施設がユネスコの世界文化遺産に認定された
。おめでたいことだ。
 そのなかに、安政の大獄で処刑された吉田松陰が、江戸移送の直
前まで自宅監禁状態で若者を教えていた松下村塾が入っている。こ
れまで松陰を産業革命と結びつけたことがなかったので、これは新
鮮であり、驚いた。
 吉田松陰は、兵学者であり、ペリーの軍艦で密航を企てた行動の
人であった。密航を試みた咎めで囚人となり江戸から萩に送られた
あと、松陰は牢内で同囚者を対象に孟子の講義を行った。その内容
は「講孟冊記」(講談社学術文庫)として今も入手できる。
松陰が教えたのは孟子の教えにもとづいた、無私の愛(仁)と徹底し
た学習(智)のうえに、死をも恐れずに迷わず行動(勇)する「仁智勇
」の行動哲学であった。
 これを機に、松陰の言葉に触れて、先の見えない時代に、何を考
えどのように行動せよと教えたのかを学ぶことは、現代においても
有効であろう。



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