5434.上座仏教の問題点



昨日は四七会で、日曜日毎に父の法要があり、本門仏立宗の僧侶(
お講師)と会う。昨日の話は面白かったので、書き留めておく。

現在、お寺にスリランカから修行に1人の僧侶が来ている。そのお
父さんが、数年前に本門仏立宗のホームページを見て連絡してきた
ことで交流が始まったという。

スリランカは上座仏教大寺派の拠点であり、バーリ語で上座仏教の
経典は書かれている。そして、上座仏教はスリランカからビルマ(
現在のミャンマー)に伝播して、そこから東南アジアに広まったの
である。ということで、その上座仏教の拠点で何が問題で、日本の
仏教を取り込みたいと思ったのか、非常に興味があった。お講師も
私が興味を持ちそうな話題を持ってくるようだ。

上座仏教は、僧侶にならないと修行ができないし、僧侶は戒律があ
り、女性とは話をしてはいけないことになっている。しかも、女性
は僧侶になれない。このため、僧侶が法話を在家に聴かせることも
ないし、相談を受けることもない。在家でお講などもない。在家の
人たちは、ただ朝、家に托鉢に来る僧侶に供物を与えるだけであり
、在家の人に何も利益がない。

そのため、このままでは、上座仏教が限界にあり、仏教を再興する
ために、大乗仏教が必要になっているようだ。それも在家の人でも
簡単に瞑想などを経験できる日蓮宗が良いとうことで、穏やかで僧
侶より在家中心主義の本門仏立宗が選ばれたという。

このため、数度、スリランカに住職等が行って、末寺として指導し
て、そして息子を修行のために日本に留学させたという。

在家中心というのは、昔は信者の集団として本門法華宗の中の仏立
講として始まったことによる。そのため、お助行と言って、信者だ
けで僧侶を呼ばずに、簡単にお講ができるので、金がかからないよ
うにもできる。この部分も魅力的なようである。

お講師は、現時点、僧侶が不足して、修行僧を6人も抱えていると
いう。このため、お助行で信者同士の助け合いが必要になっている
ようだ。

というように、信者が僧侶と同じようなことができるように、この
信心では行っているという。勿論、チャントお金も出してくれる人
がいないと、お寺が成り立たないので、そのような正信徒も必要で
あるが、正信徒は僧侶と同じようなことができるよう期待されてい
るという。

私も毎月の会費を母経由で払っているので正信徒らしい。がお経を
知らないので、仮免ですねと言ったが、そうですとお講師はマジメ
に言う。ここら辺も、他宗教とは違うようである。




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