5441.僧侶の価値とは



昨日も、父の回向ということで、受け持ち担当お講師の勧めで、教
区全体のお講に出た。このお講には、住職が出てきて、「南無妙法
蓮華経」のお題目を唱えるが、その声が腹の底から出ているのであ
ろう、私に迫ってくる。相当、丹田に気を入れて声を出しいるよう
に感じる。

このため、気のレベルが他の僧侶の時より高いし、皆がその声に引
きずり込まれて、全体が一つになって一体化して、気を上げている。

担当受け持ちお講師より、その気のレベルが高いのに、ビックリし
た。丹田からどれだけ声を出せるかで、気のレベルが違うことを経
験した。

修行お講師<担当お講師<住職という順番に、気のレベルが高くな
るようである。

住職の声は、このため低く唸るように聞こえる。このため、その声
が人のはらわたに入ってくる。ある精神的な病気の人を治したとい
うが、この声で迫ればある程度の病気は、治せるように感じる。

声を出す利得は、周りの人を巻き込んでいくことができる。座禅で
は、周りの人を引きずり込むことができない。それと拍子木の高い
音が響き、その響きが一体化してくる。

気功師より、何人もの人が気を上げるので、それは1人の優秀な気
功師より気のレベルは高くなる。20人の気が一致して迫れば、そ
の迫力は大きいはずである。病人も引きずり込まれるという方が正
しいかもしれない。

帰るの電車で、寝ようとしても、自分の気のレベルが高まっている
ので寝ることもできない状態である。お寺に行くという意味は、家
で自分1人、お看琴するより気のレベルが高まり、その高まりを維
持するためのようである。

この宗派の問題点は、熱心な本門仏立宗の信者である祖母が、神社
に行っても謗法(ほうぼう)、修学旅行で他宗派の寺院に行っても
謗法と言っていたことである。仏教の勉強は必要ない、この宗派の
教えを信じることだけでよいと言っていた。この唯一主義を父は嫌
っていた。そして、私は祖母の考えに反発した。

このように本門仏立講時代は、開祖長松清風の主張した日蓮主義を
掲げていたが、太平洋戦争に関与したことで反省したのか、その子
孫である住職は、寺ヨガなどを行うように、その唯一主義が和らい
だようにも見える。

しかし、まだ、昔からの信者には、日蓮主義に影響された方もいる
ようである。

日蓮主義では、この末法の世、多くの人達に簡単な瞑想の方法と、
その大きな力を伝えることができない。

よって、何故、お題目を唱えると瞑想に入り、大きな気が得ること
で、現状が変化していくのかということを説明する必要があると思
うのだが?

それをしないと、過去からの信者の子孫か、病気などを直してもら
った人などしか信者にならず、広がりが少ないように感じる。

末法の世が来ている。黙示録の世界である。日月神示の混乱した世
である。この時に、多くの人に瞑想の方法を持ってもらい、この瞑
想でいろいろな世界の問題を解決してもらうしかないのである。



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