5427.瞑想と使命の関係



父が亡くなり、その法要などでお寺さんと関係ができたことで、魂
と体の関係や宇宙仏(グレイトサムシング)との関係、瞑想などを
、知らず知らずのうちに考えている。

まず、体は船で、その船の船長として魂があり、この魂は宇宙仏か
ら、地球上の船に送られる時に、宇宙全体の使命を担なわされてき
たと見える。

船は出来て古くなると、各所が傷んでくるのと同じように体も傷ん
でくる。このため、体は傷まないよう、楽なよう、という欲を持つ。

しかし、この使命と体の欲とは、相反した関係であり、この世に生
まれたことで、体の欲に負けると、宇宙仏から与えられた使命を遂
行できなくなる。

使命と相反した欲があると、瞑想しても何も見えなくなる。使命観
を持っている時には、瞑想するといろいろなことが見えるのに、欲
から出た事の未来を見ようとしても見えないし、失敗を恐れる気持
ちが出ている。

自分の欲ではない使命に属することを天に任せた状態で、見ると、
よく見えるし、成就する可能性が高い。このため、全体を考えた事
や使命と思われることを行うことが重要なのである。

そして、使命達成の武器としての瞑想は、半座半行の瞑想で達成す
るのか一番、簡単で早いことも、お寺で、お題目を唱えていて実感
したことである。これは日蓮の功績である。

チベット仏教のマニ車は、1回廻すと一回お経を読んだことになる
というが、日蓮は「南無妙法蓮華経」といえば、一回お教を読んだ
ことになるという。マニ車を何回廻しても瞑想の世界には行けない
が、「南無妙法蓮華経」を何回も言うと瞑想の世界に入れるようで
ある。ここは、脳科学が明らかにしている。

座禅で、瞑想に入るには、大変な修行が必要であり、チベット仏教
の僧でも、数年、朝から晩まで座禅してやっと、瞑想に入ることが
できる。曹洞宗の僧も座禅で瞑想に入るのは、非常に難しいと言っ
ている。

このため、在家の人は瞑想の世界をそう簡単に経験できない。専門
家の僧侶に任せるしかないというのが、大乗仏教の教えである。

常行三昧(繰り返しの動作)も瞑想に入れる。ランニングなどで、
ランナーズ・ハイの状態になると瞑想状態であるが、これが出来る
人は少ないし、大変である。簡単にはできない。半座半行の座禅+
お題目は、簡単に実行できる。

このため、日蓮は、在家の人間でも簡単に、瞑想の世界を経験でき
るようにしたのである。繰り返し唱えるお題目が、それを可能にし
ている。「南無妙法蓮華経」に変わるお題目でもよいのであるが、
前向きな口調のお題目を考えることが必要になる。今ある「南無妙
法蓮華経」でも良いと見る。

この瞑想の力をどうしたら、皆に分かってもらえるのか、そして、
皆に瞑想の力を持ってもらい、世界に出て活躍していただき、世界
の平和をどう確立するのか、それぞれ行った現場で思考してもらう
しかないのだ。

積極平和主義の日本の使命のために、どうすればよいのか、思案し
ているところである。ヒットラーが予言した超人というのは、もし
かしたら瞑想力を持った人間のことではないかと思い始めている。

もう1つ、瞑想の気レベルの高い人を呪うと、三倍返しで、自分に
呪いが降りかかってくる。このため、そのような人を嫌うことも呪
うことも危ないことになる。

誰とも仲良く、気持ちよい関係を作っていれば、良いことになる。
使命感を持って皆と接していると、気持ちが伝わるようだ。こちら
が仲良く接しても、相手が離れていくこともある。多くは使命と相
反した考えを持った人であることが多い。そのような人は追わない。

このため、他宗派に対して悪口などを言うと、その宗派に3倍返し
で呪いが降りかかることになる。分裂を繰り返すことにもなる。

危ない道を歩んできるのも、日蓮宗の一派である。瞑想の力とそれ
に反した時の反力を知って、欲しいものである。


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