5407.Re: no.5406.立正安球論



Re: 国際戦略コラムno.5406.立正安球論
Fさん

一神教の誤りは、創世記にある、神はアダムの人形に魂を吹き込ん
だところではないでしょうか。
これによって、ヒトだけが偉くて、他の動物は殺してもいいという
誤った思想が世界にはびこった気がします
植民地だって、南米の原住民は人間ではないとローマが決定したと
ころに誤りがあったのではないでしょうか。
一神教の誤りを一日も早く正すことが必要だと思います。

匿名希望より
==============================
(Fのコメント)
キリスト教、イスラム教などは、動物と人間は神様が違うモノとし
て作り、木の霊などを信仰する原始人は、低レベルの人間であり、
殺しても良いとして、皆殺しにした。

木を切り、畑を作ることは開発で良いことであるとみなされた。こ
のため、環境も劣悪になっていった。産業革命で都市化が進み、多
くの人間が狭い範囲に住み、そして伝染病に悩まされて、機械で早
い開墾ができて、地球は森を無くし、そのため、温暖化で海が上が
り、土地を侵食する。

「文明が発達するばするほど、私たちは不幸せになっていく」とい
う下記の歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの論説に頷ける。

一神教の誤りを治せるのであろうか?捨てて、仏教に帰依した方が
早いようにも思うのであるが、どうだろうか?

==============================
文明が発達すればするほど、私たちは不幸せになっていく
http://courrier.jp/news/archives/611?id=breadcrumbs
なぜ人間は幸せになりたいのか? そして、なぜ幸せになれないの
か? 世界的ベストセラー『サピエンス』の著者で、今最も注目を
集める歴史家ユヴァル・ノア・ハラリが、人類史を振り返りながら
そんな疑問に答えます。
From The Guardian (UK)
Text by Yuval Noah Harari
現代人の最大の関心事の一つに「幸せになること」があります。幸
せの形は人それぞれ。でも、物質的に豊かになった現代社会では、
幸福は「富」によるところが非常に大きいと言えるでしょう。今で
は経済指標として、GDPの代わりに「幸福の統計値」を採用すべきだ
という意見すらあります。
経済成長は、多くの国家が掲げる最優先事項でもあります。それが
なぜそんなに重要なのかと政治家たちに訊ねれば、「より高い生活
水準が国民に幸福をもたらすから」と答えるでしょう。しかし、生
活水準の向上が幸福度を高めるかどうかは、科学的に証明されてい
ません。
また、歴史学においても「幸福の歴史」に関する研究は、ほとんど
行われてきませんでした。学者は政治、経済、疾病、性などあらゆ
る分野の歴史を研究してきましたが、それらが人間の幸福にどう影
響してきたかには関心を払わなかったのです。これは私たちの歴史
理解のなかで、最大の空白と言っていいでしょう。

石器時代は幸せだった?
ここで、二つの歴史観を比較してみましょう。一つは、進歩こそが
人間に幸福をもたらしたと考える「ホイッグ史観」です。
人類はこれまで農耕、文字、印刷、蒸気機関といったものを生み出
し、新たに獲得した「力」を利用して発展を遂げてきました。つま
り、現代の人間は中世の人間よりも幸福であり、中世の人間は石器
時代の人間よりも幸福だったという考えかたです。
しかし、これについては意見が大きく分かれます。有史以来、人間
が進歩してきたことに疑いの余地はありませんが、進歩と幸福の相
関性が明らかにされていないのです。たとえば、農耕を始めたこと
で人類の生活は大きく変わりました。しかし、必ずしも個人の状態
が改善されたとは言えません。
数百万年の間、人間は大自然の中で獲物を追う生活をしていました
が、農耕民の生活では、土地を耕し、水を運び、作物を収穫すると
いった長時間の肉体労働が狩猟採集民以上に求められます。このよ
うな生活スタイルは人間の腰や関節に悪影響をもたらし、本来の身
体能力を鈍らせました。
しかも、農耕民の食糧事情は狩猟採集の時代より悪く、栄養失調や
飢餓に見舞われることが増えました。また、人間が密集する集落は
感染症の温床となりましたが、その多くは家畜に由来するものでし
た。さらに農耕は、社会的格差や搾取、男性優位社会への扉を開け
るきっかけになったのです。進化生物学者のジャレド・ダイアモン
ドは、農業革命を「人類の歴史で最悪の間違い」と評しているほど
です。
進歩によって人間が不幸になった例は、農業革命だけではありませ
ん。古代では、シュメールの都市国家からアッシリア帝国やバビロ
ニア帝国へと国家の形態が発展したことにより、女性の社会的地位
と経済的自由が奪われていきました。帝国主義が拡大したことで技
術や思想、産物の交換が進みましたが、多くの先住民族にとってい
いことは何一つありませんでした。しかし、いまだに多くの人がこ
の歴史観を支持しています。
もう一つ、ホイッグ史観とは対極にある考えかたがあります。ここ
では「ロマン主義的史観」とでも呼びましょう。この歴史観では、
人類が力を得るにつれて冷たい機械的な世界が形成され、それは私
たちが本来求めていたものではない、という見かたをします。
ロマン主義的史観は、「文字は法外な課税をもたらし、印刷はプロ
パガンダを生み出した」といった具合に、歴史的発見のすべてに負
の側面を見出します。なかでも最も厳しい批判にさらされているの
が、「個人主義」「資本主義」「消費主義」です。この三つの化け
物が、人間を自然、共同体、さらには健全な日常からも遠ざけたと
考えられています。
工場労働者は機械の奴隷になり、中産階級はそれよりはマシですが
、社会の荒廃とストレスに苦しめられています。ロマン主義的史観
によれば、中世の農民の暮らしは現代の工場労働者や会社員の暮ら
しより上で、石器時代の狩猟採集民が最も幸せだということになり
ます。
「人類の進歩と幸福の間に明確な相関関係はなかった」とする点で
、ロマン主義的史観には一理あると言えます。しかし、これも極端
です。たとえば、近代医学の進歩のおかげで、結核やコレラなどか
つては不治だった病気の治療法が発見されました。平均寿命は急速
に伸び、世界の小児死亡率は約33%から約5%に減少。このことが、子
どもだけでなく、家族の幸福に大きく貢献したことは疑う余地があ
りません。
また、過去数世紀の間、人間が思想的に進歩したことで、新たな人
道主義的イデオロギーが誕生する社会的土壌が育まれました。ホロ
コーストや奴隷貿易などの惨事は起きましたが、国家間の戦争や家
庭内の暴力、大規模な飢餓が減少するなど、これまでになかったこ
とが達成されているのです。

孤独に鈍感な現代人
前編で見てきたように、文明の発展によって人間が失った、幸せに
なるための大切な要素が一つあります。それは、「人間関係の豊か
さ」です。その観点から言えば、文明の発展は確かに人間を不幸せ
にしたと言えるでしょう。現代の私たちは安全な環境で、死や飢え
の恐怖に怯えずに暮らすことができるようになりました。けれども
それと引き換えに、他人との親密な交流の機会を失ったのです。
たとえば先進国に住む人々は、食料、住居、安全など必要なものの
ほとんどを国家と市場に頼っています。そのため、家族や友人の手
助けがなくても生きていくことができます。都会に住む人はどこに
行っても周りに数千人の人間がいますが、隣に住む人を訪ねたこと
もなければ、職場の同僚のことを何も知らないかもしれません。現
代の友人関係の多くは、話をして楽しい時を過ごす以上のものでは
ありませんが、単なる会話から相手のことを実際にどのくらい理解
できているのでしょうか。
それとは対照的に、石器時代の人間は共同体に暮らし、友人同士は
互いの生死を預け合っていました。一緒にマンモス狩りに行き、厳
しい冬をともに生き抜くのが友人だったからです。当然彼らは、現
代の恋人同士よりも互いのことを深く知っていたでしょう。
私たちはスーパーに行き、数多くの選択肢から食べ物を選ぶことが
できます。でも、何を食べていても味わうこともなく、1人テレビの
前で口に運ぶだけ。休暇には旅行に出かけ、世界各国の名所を観光
することもできますが、結局はどこに行ってもスマートフォンをい
じっています。確かに私たちには、太古の昔に比べて多くの選択肢
があります。でも、それらに注意を向けないのであれば、いったい
何の意味があるのでしょう。
なぜ幸せになれないのか
これまで見てきたように、文明の発達に比例して人類が幸福になる
わけではないのは明らかです。ワクチンや水道水、食べ物が詰まっ
た冷蔵庫がある現代の暮らしは、狩猟採集をしていた祖先の暮らし
より1000倍も豊かで便利でしょう。しかし私たちは、彼らよりも1000
倍も幸せになったとは感じていません。その理由の一つに、人間の
幸福は自分がどれだけ幸福になれるかと考える「期待」に左右され
ることが挙げられます。
環境によって期待の度合いは変わります。仮に環境が1000倍良くな
ったら、人は「1000倍幸福になれる」と期待します。しかし、それ
はあくまで期待であって、本当に1000倍幸福になれるわけではない
ので、環境が良くなっても満たされない感覚が残るのです。人間が
幸福を追い求め続けても、永遠に満足することができないこの状態
を、心理学では「ヘドニック・トレッドミル」と言います。これに
は、人間の生物学的な構造が深く関わっているのです。
人間の幸福感は、脳が発する電気信号や血液中のホルモンがもたら
す、生理的な現象によって生じます。しかし、幸福な状態にはすぐ
に慣れてしまうため、永遠に次の刺激を追い求める「負のサイクル
」が続いていくのです。たとえば会社で昇進して幸せを感じたとし
ます。しかし、その感覚はしばらくすれば消え失せるでしょう。そ
の幸福感を持続させるためには、この先も昇進し続けるしかないの
です。
これは「進化」のメカニズムに起因します。進化で重要なのは生存
と繁殖だけ。幸福や窮乏は、そのための刺激として使われます。ま
た、進化の過程でも、人間は幸福を求め続けるしかありません。な
ぜなら、幸福感も体温などと同じく、体内の恒常性のシステムによ
って一定の範囲内にとどまるようになっていて、人間が感じること
のできる幸福感の度合いには限界があるため、常に満たされない感
覚が残るからです。
作家のオルダス・ハクスリーが1932年に発表した『すばらしい新世
界』は、幸福こそが最高の価値とされる世界が舞台になっています。
そこでは、生産性を低下させることなく幸せな気分になれる薬を誰
もが飲み続けます。この世界は当時、ディストピア(反ユートピア
)として描かれていました。しかし、今では科学者や政治家までも
が、このような世界を目標としています。
巨大な資本主義体制の下では、幸福とは快楽のことであり、それが
すべてです。心地よくない感覚に対する人間の耐性は年々低下し、
ますます快楽だけを求めるようになっています。科学的研究も経済
活動もこの方向に集中しているため、毎年、新しい味のアイスクリ
ームや、バスを待つ間に一瞬たりとも退屈しなくてすむ、前より中
毒性の強いスマホ用ゲームが開発されているのです。
こうして感覚的、生理的な快楽ばかりが幸福とされる時代、経済成
長や社会変化、革命によって世界が幸福な場所になることはないで
しょう。
数千年前、仏教の僧たちは快楽が実は苦痛の根源であり、幸福は快
楽と正反対の方向にあるということを悟ったと言います。「幸福は
最高の価値ではない」という議論も、もちろんあります。しかし、
人間が現在のような価値観の幸福を求め続けるのであれば、薬や遺
伝子工学などを使って人間の生物学的構造を直接操作することが、
それを手に入れる唯一の方法になるでしょう。
【Profile】
ユヴァル・ノア・ハラリ Yuval Noah Harari
1976年生まれ。ヘブライ大学歴史学教授。人類史全体を俯瞰するマ
クロ歴史学を研究している。著書『サピエンス』(未邦訳)は世界
的なベストセラーに。
文明が発達すればするほど、私たちは不幸せになっていく

コラム目次に戻る
トップページに戻る